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 2013年3月の独想録


 3月1日 母の入院
 
先日、心不全による足の浮腫のために立てなくなった一人暮らしをしている母(82歳)が、どうしても耐え切れず入院を決意した。救急車を呼んで通っている病院に搬送してもらおうとしたところ、ベッドの空きがないと断られ、別の病院に行った。私もあくる日にその病院にかけつけた。その病院の看護師の対応は親切で機転が利き、とてもすばらしいと思った。そういう病院は、建物全体も何となく明るく感じられるものだ。
 その病院でいろいろ検査をしてもらったところ、驚いたことに大腿骨が骨折していることがわかった。他にもリウマチや糖尿病があることもわかった。あいにく、その病院には整形外科がないので、それがある病院を探してくれたところ、結局、通っていた病院が受け入れてくれることになり、救急車で搬送されていった。私もこのとき同乗したが、救急車に乗るのは初めてであった。室内にはさまざまな計測器具や心肺蘇生装置やらが所狭しと装備されていた。
 実は、私の父もこの病院で亡くなっている。この病院の対応のひどさについては、このホームページの書庫に収納されている「別れの日」というエッセイで書いたことがあるが、この病院はあまり好きではない。そして案の定、病室へ運ばれていった母について、ひとりの看護師がいろいろと聞き取りなどをさっそく始めたのだが、その上から目線の横柄な口の聞き方、乱暴な態度に、憤りを感じた。この看護師だけが特別というわけではなく、その後、血糖値の検査をしに来た別の看護師の対応の乱暴さにも腹が立った。人を人と思っていない。「余計なめんどうをかけるんじゃないぞ、わかったか!」といわんばかりの態度であった。父がこの病院で亡くなって4年。まったく変わっていないんだなとがっかりした。前の病院の看護師の対応がすばらしかっただけに、またしても嫌な病院に入院することになってしまったと感じた。こういうスタッフがいる病院の建物というのは、どことなく暗くよどんでいるような雰囲気を感じる。やはり、そこで働いている人の「気」というものが、その建物を支配することになるのだろう。
 それにしても、老人の骨折というものは、実にまずい状況である。それをきっかけに寝たきりになってしまうケースが多いからだ。しかも母の場合、骨折に加えてリウマチ、糖尿病、心不全もあるのだ。また元気になって家に戻り、一人暮らしをすることができるかどうか、かなり厳しい状況のように思われた。
 私には他にも仕事や経済面での悩みがあり、家族の悩みがある。それだけでも私には背負いきれないほどの重荷なのであるが、さらに重荷が増えることになった。人生というものは、どうしてこうも容赦がないのだろう。

 
 3月8日 母の入院A
 最初、大腿骨頚部骨折があると言われていた母(82歳)であったが、精密検査の結果、骨折がないことがわかった。結局、主要な病状は関節リウマチであり、その他は、糖尿病と心不全である。ベッドで寝ていても、身体を動かしてベッドから落ちそうになるので、落ちないように寝るときはベッドに縛りつけられている。入院してからはほとんどベッドの中で過ごしていたようで、先日など「もう嫌だ、死にたい」などと何度も口にしていたが、今日、見舞いにいくと、車椅子に乗ってロビーにおり、比較的元気な様子だった。軽い認知症があるが、車椅子に乗っているときは、普通と変わらないしっかりとした受け答えをする。
 再び家に戻って一人暮らしができるようになるかどうかはかなり怪しいので、役場に行き、退院後の施設などについていろいろ話を聞いてきた。とりあえず、どの程度の介護が必要かをチェックする介護認定の申し込みをしてきた。
 私はふと思った。
 私もいつか、このように介護されながら施設に行くことになるのだろうかと。オムツをして、交換してもらったり、寝たきりになったり、認知症で物事が正しくわからなくなるというのは、実に辛いことだ。だが何よりも辛いのは、そのようになると家族に迷惑をかけてしまうということだ。また、お金もかかるということだ。
 父の場合は、癌のため入院して一ヶ月で死んでしまった。一般に癌などの病気は怖れられているが、人の介護を受けながら長く生きるよりも、潔く一ヶ月くらいでパッと死んでしまう方が、実は楽なのではないかと思った。本人も楽だし、周囲も楽である。そう考えるなら、介護が必要になる前に癌にでもかかった方がいいのではないだろうかと思った。癌というのは、苦しまないようにうまくコントロールさえしてもらえれば、みんなが忌み嫌い怖れているほどの病気ではなく、案外、いいものではないかとさえ思えてきた。実際、「死ぬなら癌がいい」と本で書いている医師もいる。人はいつかは何かで死ななければならない。若いうちは嫌だが、老年になったなら、まだ元気なうちに癌になって死ぬということは、それほど不幸なことではないのかもしれない。

 3月15日 母の入院B
 
数日前から、入院している母はリハビリを始めた。歩行器具を用いて病院の中を歩いている。予想以上に回復が早いので少し驚いたが、ベッドから一人で立ち上がれないのがまだ少し気になるところだ。認知症の方も、一時はひどくなったような感じであったが、今はほとんどおかしなところはなくなった。
 やはり、ベッドで寝てばかりいるときが一番よろしくない。寝ていなければならない状態のときはもちろん仕方がないが、少しでも起き上がったり、行動できるのであれば、やはりそうするべきであると思った。からだにしろ、頭にしろ、使わないとどんどん退化していってしまう。働きすぎはダメだが、無理のない範囲で、人間はからだも頭もまめに働かせるべきなのだ。からだも頭も、使えば使うほど機能を維持できるのである。使わないと、本当にあっという間に衰えてしまうものだ。
 いつまでも若々しくいられる秘訣は、からだも頭も大いに使うことにあるようだ。このことは、あまりにも楽をする生活はよろしくないことを意味しているともいえるだろう。人間というものは、あまり楽すぎる生活をすると、早く老けてしまうように思われる。


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