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 2014年2月の独想録


 2月5日 母の認知症がさらにひどくなる
 本日、母(83歳)が、下血のため緊急入院していた大病院から、小さな病院に移った。すでに先月の独想録で紹介したように、もともと入居していた施設の食事を「毒を盛られる」という妄想のために受け付けなくなり、点滴で過ごすようになって病院に運ばれ、たまたまその時に大量の下血となり、急きょ大病院に救急搬送されて10日ほど入院していたのだった。最初、食事を摂るようになれば施設に戻れますとドクターが言っていたが、別の病院に転院するという連絡を受けて、あいかわらず食事は拒否していることがわかった。
 今日会ってみると、食事を摂らないだけではなく、妄想的な認知症がますますひどくなっていた。病院で会計をすませている間、ロビーで待っているとき、「うちに帰りたい。啓一、うちに連れていって」という。私が「家はもうないよ(不動産屋に売りに出している。第一、一人暮らしできる状態ではない)」というと、「この親不孝者! こんな子供を育てるんじゃなかった。恨んでやる、化けて出てやるから覚えておけ!」などといい、大きな声で「おまわりさ〜ん、助けてくださ〜い」と何回も叫ぶありさまであった。つい3ヶ月くらいまではまともだったのに、いきなりひどい妄想と柄の悪い言葉使いをするようになってしまった。少なからず母のために労力とお金を捧げている私としては、いくら高齢や病気のせいとはいえ、親不孝者呼ばわりされたり、恨んでやる化けて出てやるなどと言われ、何ともいえない悲しみと情けない気持ちになった。生前はどちらかというと品のよかった母が、こうも醜悪な言葉使いや態度、頑固さを発揮するとは思わなかった。健康なときの母が、将来、このようになってしまうことがわかっていたら、きっと大きなショックを受けたに違いないと思う。
 私は絶対にこうはなりたくない。こうなるまえに病気か何かで死んだ方がよい。だが、認知症の老人は少なくないらしい。歳を取ると、肉体ばかりでなく、精神までも醜悪になっていくのだろうか? 考えれば考えるほど、歳を摂るということは、まったく残酷なことである。本人にとっても、また家族にとっても。精神的な負担ばかりではなく、経済的な負担なども重なってくる。私の場合はまだ施設や病院で世話をしてもらっているので助かっているが、自宅で介護している人は、どれだけ大変だろうかと思う。この地上の生というものは、何と厳しく辛い下地によって成り立っているのだろう。
 動物は、比較的あっさりときれいに死んでいく。人間も本来はそのようにできているはずなのだ。犬や猫や鳥に認知症があるというのは聴いたことはない。もしかしたら多少はあるのかもしれないが、人間ほどひどくはないだろう。
 歳を摂って、こうした醜態をさらさなければならないということは、個人の生き方もあるが、私たち人類の生き方そのものが、どこか不自然でおかしいことを物語っているのではないだろうか。

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