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 2014年4月の独想録


4月16日 私の3人の母について A
 東北宮城県の田舎から東京のおんぼろアパートに連れ戻されたとき、そこには二番目の新しい母がいた。練馬区の豊島園の近くにあった、六畳間と四畳半、トイレ共同のアパートで、冷蔵庫もなければ洋服ダンスもない貧しい状況だった。ただ、テレビ(当時はみんな白黒テレビ)はあった。
 二番目の母は、私の記憶だと、まだ若かったのではないかと思う(20代後半くらい?)。きれいな女性のように見えた。でも、とにかく優しく柔和な人で、私はこのお母さんが大好きになった。そして、いろいろと遊んでくれた。あるとき、雑誌か何かのマンガのキャラクターが描かれた絵があったのだが、それをはさみで切り取って欲しいと頼んだ。そうしたら母は喜んでにこにこしながら切り取ってくれたのだが、その出来上がりをみて子供心に驚嘆したのを覚えている。寸分もずれることなく、完璧に切り取られているのだ。私はそれを見て、しばらく驚いていた。相当、手先の器用な人であったようだ。
 記憶ははっきりしないが、この人とは父と3人で半年か一年ほど一緒に暮らしたように思う。

 ところがあるとき、急に父と母の二人だけで外出していって、私はひとり家で留守番をさせられることになった。お母さんは(夕方5時か6時くらいに始まる当時のアニメ番組である)「鉄人28号」を一緒に見ようね、それまでには帰ってくるからねと約束してくれたので、私は何の不安もなく家で待っていた。
 ところが、鉄人28号が始まる時間になっても帰ってこない。そのため、私はひとりでそれを見た。そしてしばらくした頃、父だけが帰ってきた。父は何もいわず、一通の手紙を私に渡した。それは母からのものだった。最初に「鉄人28号を一緒に見られなくてごめんなさいね」と書かれていた。ほかにも、2、3枚ほどの便せんで「体には気を付けてちょうだいね」とか、そのようなことが書かれてあったと思う。
 誰が見ても、それは別れの手紙であることがわかった。まだ幼稚園にも行っていない私でさえもそれがわかり、もう二度とお母さんは帰ってはこないのだということがわかった。

 狭くて暗いアパートの一室でそのことを悟ったとき、今でもそのときの状況は生々しく覚えているのだが、深い海の底に沈んでいくような、とてつもなく深い悲しみと孤独感に襲われたのを覚えている。泣いたかどうかは覚えていない。人間というものは、本当に辛いときは、涙さえも出ないのかもしれない。だが、とにかく心の奥深くにその悲しみと孤独感のくさびが打ち込まれたことは確かだった。実の母親がいなくなったときよりも、この大好きだった二番目の母親がいなくなったときの方がショックだった。そして実の母親同様、この二番目の母親も私に会いに来ることは二度となかった。
 会いに来なかった理由は、実の母と同じく、わからない。けれども、物心ついて以来、私は二人の母親に捨てられたのだと思った。そして、せっかく「鉄人28号」を見ようと期待していたのに、それが裏切られたことに対する悔しさと残念な思いもあった。そのためか、今でも、どんなに小さな約束でもそれを守ってもらえないと、深く落ち込む傾向が残っている。そのルーツは、たぶん、ここにあるのだと思う。そして、どこか人間に対して心から信用できないところがあるようにも思われる。
 私は今でも、何か少しでも落ち込むようなことがあると、二番目の母がいなくなった当時の底知れぬ悲しみと孤独の気持ちが胸の奥から湧き出てくるのを感じる。状況にもよるが、あるときはほんのささいな感覚程度のものとして、しかしあるときは津波のように押し寄せて圧倒させられてしまう。こんなときは地面に触れ伏してしまいたくなる。

 こうした幼少時の心のトラウマは「インナーチャイルド」などと呼ばれ、それを癒すと宣伝しているセラピストがインターネットを見るとたくさんいる。私も独学で少し試したことがあるが、ほとんど効果はなかった。この悲しみと孤独の思いは、何かあるとすぐに顔を出してくる。インナーチャイルドというと、多くの場合、親から虐待されたことによるもののようだが、捨てられるより、虐待の方がマシではないのかと思う。もちろん、虐待にも限度があるが、それほどひどい虐待でなければ、まだ母親がそばにいて交流ができるだろう。多少でも母親の温もりや、ときには見せるであろう母親の愛情を受けることもできるであろう。だが、捨てられていなくなるとなると、そのような可能性はゼロになり、まったくの孤独におかれるようになる。人間でも動物でも、無力な子供にとって、保護者がいなくなりひとりにされるほど危険で不安なものはない。

 そして大人になると、それは「母」がいないことに対する悲しみや孤独ではなく、この世の中そのもに対する悲しみと孤独へと変わっていった。釈迦が「この世は苦である」といったように(そういえば釈迦も幼少時に生みの母親と死別している。関係があるのかもしれない)、この地上世界というところは、本質的に悲しみであり、孤独なのだという根深い信念や価値観のようなものを宿すことになったのだ。このことをはっきりと自覚するようになったのは、高校生のときからであった。そして、この悲しみと孤独を癒してくれるものは、宗教の世界で言われている悟りだとか解脱、覚醒というものにあるらしいということがわかった。そのために、私はこの世界に入り、いつのまにかこの世界の研究家になってしまったのである。

 というわけで、私はもともと「厭世的」な思想が根本にある。だから、(私から言わせれば)明るくノー天気なスピリチュアル本(すべてとは言えないが)は、あまりにも軽薄に感じてついていくことはできなかった。「念じれば何でも夢のように叶うとか」、あるいは「引きよせ」の法則などといったものも嫌いだった。無意識の魂のレベルだと言われればそれまでだが、私は決してこのような人生を間違っても選択しようとは思わなかっただろう。その心の痛みはあまりにも強くてしつこすぎる。そのために、私は物心ついて以来、心のそこから幸せを感じたことはほとんどない。(「ほとんど」というのは、そのような体験も少しあったからで、その点については新著『悟りを開くためのヒント』を読んでください)。

 昨年から、(3番目の)母の状態が悪化し入退院をしたり施設にあずけたり、またそのたびに(認知症からくると思われる)信じられない母の言動に傷ついたり、その他、さまざまなことがあり、おまけに両肩と両股関節の痛み(五十肩?)になって、心身ともに状態が悪くなったとき、あの幼少時代の悲しみと孤独感が胸に去来することが増えてきて、ますます厭世的な思いに憑かれて、死に憧れる気持ちが強くなってきた(実際に自殺しようという気はないが)。自殺の統計によれば、50代が一番多いらしい。原因はいろいろあるだろうが、もしかしたら、幼少期のトラウマが、この歳になると再現されるようになり、それに押しつぶされてしまうようになるのかもしれない。そういえば私も最近は、むかしのことをよく思い出すことが多くなったような気がする。

 また、私個人のことだけでなく、これまでカウンセラーや、その他の機会を通して、本当に私なんかよりも気の毒な人にたくさん接してきたことも、今の私の状態に拍車をかけたような気がする。やっと念願の子供が生まれたと思ったら自分が癌になって死んでしまうとか、愛する娘が病気で死んでしまう母親の苦悩だとか、そういうさまざまなクライアントさんにたくさん接してきたために、その当時はそれほど意識しなかったのだが、最近になって、世の中は何と残酷で容赦がないのだろうと思えるようになってきた。神という存在は、いるにはいるのだろうが、私たちのレベルで私たちが抱える苦悩の程度をさじ加減してくれる存在ではないのだということも、ひしひしと感じられ、それが今の私の絶望感につながっていることも確かだ。
 今回ようなブログは、人気がある明るく楽しいブログとはまったく反対の、気分を落ち込ませてしまうような悲観的でネガティブなものかもしれない。けれでも、私としては「悲観的」だとか「ネガティブ」といった主観的な価値観で書いたつもりはなく、あくまでもこの現実のありのまま、その真実を見続けてきた結果として書いたものであると考えている。

 もちろん、世の中には楽しいこともある。だが、楽しいことと、悲惨なことを天秤にかけるならば、私にはそれらが平衡を保つことはない。「一億円あげるから、あなたの両眼をください」と言われたら、あなたは両眼を差し出すだろうか?  人生には楽しいことや幸せを感じることがあることも事実だが、それ以上に悲惨な辛さがあるということは(個人差はあるが)事実なのではないだろうか。
 このような世の中は、ある種の学校であり、そこで魂は磨かれるのだと、主にスピリチュアルな考え方では述べられている。ならば、そういう人に尋ねたい。「あなたの成長のために、あなたの愛する子供が強姦に襲われて殺されてしまうことを選びますか?」と。ほとんどの人は、そんな選択などしないだろう。第一、その子供にとっては、父親の成長のためにそこまで悲惨な苦しみを経験することになる。私なら、自分の親の成長のために、自分がそこまで苦しい体験を引き受けたいとは思わないし、自分が親だったら、自分の成長のために子供をそこまで悲惨な目に遭わせようとも思わない。もしもそこまでして自分が成長したいというのなら、それはある種のエゴであり、成長とは逆行する行為ではないだろうか。
 そういうわけで、「成長するために地上に生まれてきた、その運命を自分で選んできた」という説には、全面的には賛成できない。確かに、そのような傾向もあるように思うことも事実だが、それだけではないと思うのだ。この世には、個人の思惑や自由意思を超えた、何か巨大な流れのようなものがあり、人はいやがうえでもその流れに身を任せて生きるしかない存在であるように思う。
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