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 2018年11月の独想録


 11月22日 格好よく生きる
 まずは報告とお知らせから。
 先日の11月17日と18日に、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第2回を行いました。テーマは「サブリミナル瞑想法」
 前回、初めて瞑想教室を行ったとき、参加者の多くが、この地上生活に対する悩みや不安を抱いており、そのために瞑想に専念できない様子が伺われました。やはり、この現実生活を不安のない、明るいものとすることが大切だと考えました。そこで、潜在意識に「すべては必ずうまくいく」という肯定的な暗示をインプットする技法(サブリミナル効果)を使った動画と音声を制作しましたので、それを参加者の皆さんに試していただきました。実際の効果については、今後の声を聴かないとわかりませんが、前例のあまりないサブリミナルの手法を駆使したという点では、面白い動画と音声ができたのではないかと思っています。一部ですが、ダイジェスト版で実際に視聴することができますので、ぜひご覧になってください。潜在意識に肯定的な暗示をインプットできれば、運命が好転し、将来への不安がなくなるでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=Gzyo1we4TLg
 なお、次回は12月1日と2日に哲学教室第3回目を開催します。社会学者ピティリム・ソローキンの偉大な業績、すなわち、「隣人愛の実践者はどのようにして誕生するか」という研究を紹介します。真の人間性はどのような環境や条件で目覚めるのか、非常に感動的で意味深いこの研究について、ぜひ皆様に知っていただきたいと希望しています。参加ご希望の方はメールをください。
メール

 さて、本題ですが、私は「格好よく生きる」ということが、人生においてとても大切だと思っています。
 もちろん、格好といっても、単にルックスだとか、上辺だけのものではなく、深い人間性、すなわち人格を土台としている、という意味です。
 では、具体的に、どんな人が、真の意味において「格好いい」と言えるのでしょうか?
 たとえば、勇気があって強い人でしょうか?
 それも確かに、一面では格好いいと言えますが、それだけではちょっと物足りないと思います。

 誰が言ったかわかりませんが、こんな言葉があります。
 「男は、強くなければ生きられない。優しくなければ、生きている価値がない」
 私は、こういう男(女)こそ、格好いいなあ、と思うのです。強さと優しさという、一見すると相反する面を持った人ですね。お相撲さんの世界でも「気は優しくて力持ち」なんていう言葉があるみたいですが、やはりこんな両面性がある人が格好いいと思うのです。
 以上のことは、どなたも同じように感じると思います。
 しかし、次のような場合、感じ方は分かれるかもしれません。

 それは、強さと弱さの両面をさらけ出して生きる人です。
 完全な人間はいません。必ず弱いところがあります。ある人は、弱いところなど持っていない完璧な人を、いわばヒーローとして讃え、そんな人を「格好いい」と思うかもしれません。だから、その人の弱いところを見ると、失望して去っていってしまうでしょう。
 しかし、自分の弱さをどうどうとさらけ出せる人を、格好いいと思う人も、世の中にはいます。
 禅の高僧、良寛が死期を間近に読んだという、次の句があります。
 「裏を見せ、表を見せて、散るもみじ」
 つまり、強さも弱さも、美しい面も醜い面も、みんな見せて死んでいくという生き様を表現した句ですが、私はこれこそ本当に格好いいと思うのです。逆説的ですが、弱さを見せられるということは、強さの証拠でもあるからです。弱い人ほど、自分の弱さを人に知られるのを怖れるでしょう。弱さを隠そうとする態度は、決して格好いいとは感じません。
 そして、弱さをさらけだした上で、しかし、その弱さを克服していこうと懸命に努力していく生き様を見せていく姿こそが、さらに格好いいと思うわけです。

 こういう、見せかけではない真の格好いい生き方をしていると、やはり同じような人が集まってきます。そのような集まりは「見せかけの交わり」ではなく、深い友情の絆で結ばれるものです。そのような人と縁ができて、強い親交を結ぶことができれば、それは人生におけるもっとも幸運なことではないかと、私は思うのです。


 11月9日 人の目を気にしないで生きる
 まずはご報告とお知らせから。
 先日11月3日と4日に、イデア ライフ アカデミー哲学教室第2回が行われました。テーマは「魂の衝動<ホロガニズム心理学>」です。ホロガニズムというのは、私の造語で、生命の基本的な2つの働きを総称したものです。私は若いときから「人生はいかに生きるべきか」について考えてきて、さまざまな偉人たちの考え方を学んできましたが、しょせんは、主観的で個人的な見解に過ぎないのが不満でした。主観は間違うことがあるからです。主観ではなく、客観的で、科学的にも絶対に正しい「人生の生き方」が知りたいと思って探求を続け、そうして得られたのがホロガニズムです。その考えに導いてくれたものが、「粘菌」です。粘菌の不思議な働きから本当の人生の生き方を学びました。この生き方はおそらく真理です。では、具体的に、人生はどう生きればいいのでしょうか? 動画をアップしましたので、ぜひご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=3xiJN483IRU
イデア ライフ アカデミーでは、哲学教室と瞑想教室を毎月行っています(1月と8月は休講)。人生の真実の生き方を探求してみたい方、ぜひ、ご参加ください。

 さて、以上のべたように、客観的で科学的にも絶対に正しい「人生の生き方」とは、いったい何なのか、詳しい説明は動画を見ていただくとして、結論から言いますと、
 1.世のため人のため(全体集団の利益のため)に生きる。2.自分の個性(特技、才能)を発揮して生きる。
 この二つです。ただし、最終的な結論としては、両者を併せて、
 「世のために人のために、自分の個性(特技、才能)を発揮して生きる(貢献する)」
 ということになります。これは生命の本質的な働きから導き出された結論であり、主観的な考えや感想ではありません。私たちの本質は生命なのですから、生命である限り、こうした生き方をするように作られているのです。だから、これこそが「人生をどう生きるか」ということの解答だと思うのです。

 しかしながら、それは容易な生き方ではありません。
 世のため人のために生きることも難しいですが、それ以上に難しいのは、自分の個性(特技、才能)を発揮して生きることです。
 それが難しい理由は、まず第一に、自分の個性や特技や才能が何であるか、わからない場合が多いからです。個性というのは、単純に「好きなこと」であると解釈してもいいと思いますが、「自分は何が好きなのかわからない」という人が少なくないのです。
 仮に、何が好きで、自分の個性や特技や才能を自覚することができたとしても、それで世のため人のために貢献できるかどうかは、別問題です。具体的には、自分の個性や才能に合った、好きな仕事をして世のため人のために貢献するということになるわけですが、いったい、そのようなことをして生活が成り立っている人は、どれくらいいるでしょうか。ほとんどの人は、特に好きでもない、また、誰でもできそうな仕事を、しぶしぶ我慢しながらやっている、というのが現状だと思います。

 もちろん、仕事ばかりが手段ではないでしょう。仕事以外の活動、たとえば趣味やボランティアといった領域で、自分の個性を活かして世のため人のために貢献するという道もあるでしょう。
 ところが、やはり現実は厳しくて、日々の仕事をするだけで精魂を使い果たしてしまい、時間的にも労力的にも、とてもそのようなことをするゆとりはない、という人も数多くいるわけです。
 このように考えると、この地上の人生というものは、生命のあるべき活動がやりにくい、ということになるわけです。生命の力がうまく発揮できないのです。
 そのために、さまざまな病気や苦悩といったものが、世の中に氾濫しているわけです。生命力が抑圧されているために、心身の健康を害してしまうからです。

 では、いったいどうしたらいいのでしょうか?
 ひとつの回答としては、要するに、お金があれば、自分の個性を活かした好きなことができるわけですから、お金があればいいわけです。
 そういうと「お金がないから苦労しているんじゃないか!」と叱られそうですが、お金を稼ぐことよりも、なるべくお金がなくても生活できる道を選ぶという選択肢もあるのではないかと思います。
 好きなことをするために、それとは関係のない余計な出費を抑えて生きるのです。
 多くの人は、「見栄を張るために」お金を欲しがっています。人から貧しい人だと思われたくないのです。いまの社会はお金のあるなしで人間を評価される時代ですから、お金がないということは、下に見られ、バカにされてしまうといった恐怖心が、お金を求める背後に存在しているわけです。そのために、必要以上のお金が必要になってくるのです。
 たとえば、クルマなどは、軽自動車で十分です。「軽自動車に乗っていると貧乏人だと思われてバカにされるのではないか」という見栄(言い換えれば恐怖心)から、軽自動車ではなく、普通自動車、さらには高級車に乗りたがるのです。
 服や持ち物などもそうです。ブランド品は確かに品質はいいですが、ブランドでなくても品質のよいものはいくらだってあります。ブランド品を持ちたがるのは、見栄(恐怖心)からであり、言い換えれば、自分自身に自信がない人(自己肯定感が低い人)が、そういう持ち物を所有することで自己肯定感を高めようとしているわけです。

 そのような見栄のために、つまりは、人の目を気にする生き方をするために、出費がかさみ、好きなことができないでいる、といったことが多いわけです。
 私は、これは愚かなことであると思います。もちろん、人にはそれぞれ生き方があるでしょうから、とやかくいうつもりはありませんが、少なくとも私は、そういう生き方は窮屈でイヤですね。
 衣食住のすべてにおいて、見栄のためだとか、無駄で必要のないものを切りつめれば、生活費は思ったほどかかりません。
 そうしたら、仕事なども、ある程度、稼ぐことができさえすれば、無理な残業などはせず、なるべく定時に帰宅して、そのぶんの時間と労力を好きなことに使うようにした方が、よほど生命の理にかなっていますし、幸せだと思います。もちろん、残業をしなければ、残業代はつきませんし、出世もできなくなるかもしれませんが、生活費がかからなければ、そういう仕事の仕方も選択肢のひとつだと思うのです。ある程度、いい年齢をして出世もできず役職もつかないでいれば、まわりの目も冷たいでしょうし、屈辱を感じるかもしれませんが、そんなことは気にしないことです。人からどう思われようと気にしないことです。

 人の目を気にしない生き方をするだけで、肩の荷が軽くなり、今までよりはるかに自由に生き生きと生きられるようになります。ストレスも減ります。健康にも貢献します。そして、人生の新たな可能性が開けてくるものです。
 人から何と思われようと、いいではありませんか。バカにしたい人は、させておけばいいのです。彼らの方こそバカで可哀想な人間だと思うことです。自分の好きなことに時間をかけられる喜び、人の助けになるために時間をかける喜びに比べたら、人の目など、クズにも等しい価値のないものです。
 「人の目を気にしないで生きる」
 これは「人生をどう生きるか」を論じる上で、とても大切なポイントだと思っています。

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