
vol.25
<詩>借りる(山本楡美子)へ
山本楡美子詩集『うたつぐみ』より 2000年 書肆山田刊
|
ヘラクレスの日
急襲
水の村
冬の椅子
手紙
漁港行
真夜中に
ある暗さ
ヘラクレスの日
|
| | ガラスごしの
| | すきとおった日差しを浴びて
| | ヘラクレスが格闘している
| | 降りてきた力だ
| | と人は言うが
| | しばらくすれば
| | ガラスの内にも外にも澄んだ秋だけで
| | 巨漢の力は
| | 植木鉢の緑の思想よりも長つづきしない
| | 押さえつけられた河馬も
| | 血のまじった河水とともに消えている
| | 追いつけない目や
| | 時間があって
| | 籠の果物のように取り残される
| | そんな犬の淋しい顔があるが
| | 後から行くという希望が
| | 庭の葉の上で金色にまぶされ
| | 光っているのが見える
| | みんなの分も数えよ
| | というのが祖母の考えだが
| | 秋や
| | 秋の光は
| | 数え切れない
|
|
<詩>急襲(山本楡美子)
急襲
|
| | こうして
| | 何本もの矢を浴びたライオンのレリーフを見ると
| | かつてと同じように
| | ふいに生きていくものの悲しさに襲われる
| | 忘れていた色や描線の野面を
| | そりで滑り降りていく勢いの急な悲しさだ
| |
| | 人とけものの間を飛ぶ風景
| | 矢は稚く
| | けものを射ぬき
| | 絶滅していくものは
| | もっともろく
| | 大きな赤ん坊だ
| |
| | ニネベ出土狩猟図浮き彫り
| | 教科書を開いて絵を見せてくれたこどもたちは
| | わたしのブラウスの袖口を引っぱって
| | 次の木陰へ
| | 夏をとんでいく
| | こどもたちとは別に
| | わたしは壁画のページに渦巻くことばをさがしている
| | 死が滅ぼすものを
| | まだわたしが知らないかのように
|
|
<詩>水の村(山本楡美子)
<詩>ヘラクレスの日(山本楡美子)
水の村
|
| | 明け方の椅子に座って手をつなごうとする
| | 脳髄の中を漂う死者たちの手と
| |
| | (そこにいるの?)
| | わたしの口をまねて言葉の数々が叫んでいる
| | 暗い水面が(ここにいる)と波立つ
| | ふたたび日の射し込まない水底へもぐる
| | 泣きながらダイバーになる
| | (そこにいるのね)
| |
| | 「お前はいつもなにをしているのだね」
| | 「物語を書いています」
| | 「どんな?」
| | 「人生について たとえばあなたみたいな」
| | 影とわたしの短い会話は
| | 泡立っては消える
| | 一番先に
| | 何色の水を飲んだのだろう
| | この荒れ果てた村は
| |
| | 明け方
| | わたしに抱きかかえられた村で
| | やがてそこらじゅうの水のかたまりが光ってくる
| | 人気のないところへ帰る霧のようなものもあるが
| | きのうと同じところからくる陽ざしがある
| |
| | 霊草を摘みにいくんだよ
| |
| | 朝の風が立ち
| | これが霊草だと言った人の前で
| | ヒメジオンがいっぱい咲いている
| | ほのかに色づいて
| | 人の顔をしている
| | 浮上する大勢の顔を見たことがある
| | そばにいる死者たちを |
「 」内はペーター・シュナイダーの『壁を飛ぶ男』より
|
<詩>冬の椅子(山本楡美子)
<詩>急襲(山本楡美子)
冬の椅子
|
| | ダイニング・チェアの布地がほつれて
| | 草むらがのぞいている
| | その綿毛はどこにつながっているのだろう
| | もろい陽光が揺れるたびに
| | 一点が銀色に光る
| | やがて
| | もう一つの椅子から
| | 女が立ちあがった
| | 女は草の傷口に両手を当てて
| | 名前のない光を
| | そっと包んだ |
|
<詩>手紙(山本楡美子)
<詩>水の村(山本楡美子)
手紙
|
| | 上腕にさわって
| | 「どこへいくの」と訊いた
| | 「ホームのいちばん先頭です。そこに友達が待っています」
| | まるで予期していたかのようにあなたは答えた
| |
| | 以来あなたがなぜ予期していたか思い巡らしている
| | すきとおった窓の向こうを見て
| | 黙り込んで
| |
| | 今上水路は雨上がりのうろこ曇
| | 木の葉は濡れた目となって空にはりつき
| | 居場所を心得たように
| | 小さな声で歌っている
| |
| | あのときいつものホームで
| | いまにも泣きだしそうな雲が突然真っ黒になり
| | 雨が降りだしたのだ
| | 不安な雨に押されて わたしは
| | 知らぬ間にあなたに手を伸ばした
| |
| | 白い杖の少女よ
| | もう友達に会いましたか
| | 用事はすんで家路についているのでしょうか
| |
| | わたしは重篤な母の見舞いを終えて上水路
| | 砂利道に靴音が三つ四つ 時を突ついています
| | 夕暮れの川の水は葉むらとは別の歌を歌って
| | わたしの中をうねっています
| |
| | すきとおった窓の向こうに
| | 見知らぬあなたがいます
| | わたしは黙りこんで見ています |
|
<詩>漁港行(山本楡美子)
<詩>冬の椅子(山本楡美子)
漁港行
|
| | 築港で働く
| | ゴム長の人たちが指さした
| | (ほら
| | (午後のお参りにいくよ
| | いっぴきのクラゲが
| | 海の深みにとけていく
| | すきとおったたましい
| | うす暗くも軟らかな
| | 光
| | (サンチャゴまで泳いでおくれ
| | (サンチャゴ デ コンポステーラだよ
| | 稲取へ
| | 骨折した友を見舞うと
| | 彼女の声がした
| | 入り江はつづき
| | わたしたちは
| | 何度か夏を振り返った
| | そそりたつ
| | ひのきの山がついてきた
| | どこで別れるつもりだろう
| | 山裾で別れるつもりだったが
| | 私たちが小さくなるまで
| | 山は
| | ついてきた |
|
<詩>真夜中に(山本楡美子)
<詩>手紙(山本楡美子)
真夜中に
|
| | 夜中の二時すぎに
| | 眠れぬまま階下のキッチンに入ると
| | 遠くから啼き声が聞えた。
| | 体の向きを変えると聞えなくなる。
| | もどすとまた聞えた。
| | 向きを変えた。またもどした。
| | こんどはしばらく立っていた。
| | 昼間ならみんなの息でかき消されてしまうほどの声。
| |
| | 太古からの恐竜の啼く声がここに届いたのだ。
| | 彼女が啼きわたしが聞いた。
| | 恐竜? 恐竜かもしれないし
| | いま化石になろうとしているものかもしれない。
| | 木炭になったり
| | 骨になろうとしているものよ。
| | 死んでしまったものよ。
| | 死んでいくものよ。
| |
| | この球体のどの辺りにいるのか。
| | 国というものはあるのか。
| | 争いはあるのか。
| | 誕生日のお祝いはあるのか。灯はともっているのか。
| | 生まれたばかりの赤ん坊の顔が浮かぶ。
| | どんなにわたしが誤解しても
| | それはわたしが知っているもののはず。
| | いちどは想像して一緒に住んだもののはず。
| | わたしたちの息で消されているものよ。
| | ちょうど向き合っているときだけ発信して――
| | あなたのように誇り高いものだと思う。 |
|
<詩>ある暗さ(山本楡美子)
<詩>漁港行(山本楡美子)
ある暗さ
|
| | 家の奥の暗闇で
| | 彼は
| | 火花があがるごとに鉄を鋳る人になる。
| | 入り口には
| | 鉢植えの花が揺れ
| | 乾いた土に花びらがこぼれる。
| |
| | 花の奥の
| | 暗がりで鉄を鋳る人は
| | オランダの画家のように
| | 火花に照らされて
| | 消えて浮かぶ。
| |
| | 通りがけに
| | 私は自画像を描くように彼を覗かないではいられない。
| | 向こうの火花に隠れる暗闇が
| | 遠ざかりながら
| | きっと話しかけてくるからだ。
| | (おまえは
| | (このようなところから
| | (生まれたのだよ。
| |
| | だったら
| | 帰っていくところでもあるだろう。
| | それで とうとう きょう
| | 「お願いがあるのですけど」と声をかけて
| | 入り口にころがるコールタールの空缶をいただきたい
| | と頼んだのだ。
| | それで落葉や木くずを燃やすために。
| | それでその暗闇と
| | ただ親しくなりたくて。 |
|
<詩>魚の類――父へ(山本楡美子詩集『耳さがし』より)へ
<詩>真夜中に(山本楡美子)
<詩>スネーク通りの11月(関富士子)へ