HOME書庫空海物語

                   空海物語(パート10)

 パート10

 最澄との決別はなぜ起こったのか
 また、天台宗の最澄も空海のもとで密教の教えを受け、親しい交流が始められました。
 しかしながら、最澄は天台宗の開祖であり、その方面でも多忙を極めたため、空海から直接に教えを受ける機会が十分に見い出せないでいました。そこで仕方なく、弟子を派遣させて空海のもとで学ばせたりしました。空海は快く最澄の弟子に法を伝授し、また空海が持ち帰った密教経典を貸してほしいとの願いも聞き入れています。一時期、空海は最澄を密教の継承者と見なしたときもあったようです。
 けれども、最澄の基本的な立場は天台宗でした。天台宗は法華経を最高の経典とします。密教は天台教学の柱のひとつであり、実際、天台宗はしだいに密教を中心にしていったのですが、それでも最澄の目的は天台教学を世の中に広め、天台教学によって人々を導くことだったのです。そのために多忙となり、空海から直接に教えを受ける機会がもてなかったわけです。
 ところが、密教では、教えは文字で伝えられるものではなく、あくまでも師と弟子との直接的な交流によってのみ、伝えられるとします。
 また、密教の教えを受ける資格のない者や、密教の教えと異なる立場の者に法を伝授することは、重い罪であるとも見なされていました。
 最澄は、直接に空海から法を受けることなく、経典だけを借りて文字を写筆することに専念していたので、密教の真意からはずれていたのです。
 もちろん最澄は、誠実でまじめな人柄でありますから、怠惰やいい加減な気持ちがあったわけではありません。そのことは空海もよくわかっていたはずです。それゆえにこそ、空海は悩んだに違いありません。
「最澄どの、そうではないのだ。密教とは、そのようなものではないのだ。どうかわかってください」
密教のさまざまな作法や教義などは、ていねいに書かれた解説書を読めばマスターできるでしょう。本よりも人間が教えたほうがわかりやすいから、あるいは効率的だからという理由で、師匠から直接に教わるというわけではないのです。そうした技法的な知識を伝えることが密教の伝授ではありません。
 密教の知識や技能ではなく「密教の心」を弟子に伝えるのです。心がわからなければ、いかに密教の修法に励んでみたところで、単なる「まねごと」をしているにすぎません。
「秘蔵(密教)の奥旨は文を得ることを尊しとせず。ただ心をもって心に伝えるにあり。文はこれ糟粕(そうはく)、文はこれ瓦礫(がれき)なり。糟粕瓦礫を受くれば、すなわち粋実至実を失う」
 空海はこうした真意を手紙で最澄に伝えました。けれども、なかなか理解してもらえなかったようです。そしてついに、経典の貸出をきっぱりと断ったのです。
 また、こんなこともありました。最澄の高弟であった泰範(たいはん)が、最澄の勧めで空海のもとで学ばせたところ、そのまま空海の弟子になってしまったのです。こうした一連の事情もあり、両者は決別してしまったのです。
 もちろん、空海も最澄も、国と民衆の福利のために尽くそうとした高潔な人柄でしたので、俗人的な私情や感情のもつれから決裂したわけではなかったのです。

このページのトップへ