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                    空海物語(パート4)

 パート4

 空海の一生を決定した出会い
 こうした求道の最中、二十四歳のとき、空海は『三教指帰』(さんごうしいき)なる書を著します。
 これまでの人生を振り返りつつ、儒教・道教・仏教のうちでは仏教が一番すぐれていることと論じたもので、仏教を志す空海の出家宣言書ともいうべき内容となっています。
「この世の栄華のはかなさを覚え、病や障害をもつ人々、ボロボロの衣服をまとった人々を見て悲しみの絶えることがなかった」としながら、年老いた父母に対しては、(官吏になるという)期待に背き仏道を歩む決心をしたことに対する申し訳ない気持ちも綴られています。
 それでも空海は、まるで自分を励ますかのように、万人を救い真実を求める仏教の道を歩むことは親不孝ではないのだと書いています。
この本の中に登場する仮名乞児(かめいこつじ)という架空の修行僧は、当時の空海の姿をモデルにしているともいわれます。
 仮名乞児は、薄汚れた顔で体は骨と皮ばかり。路傍の道祖神に供えられているようなボロ草履を履き、駄馬の手綱を帯代わりに締め、茅で編んだゴザを抱えています。
「(そのありさまは)乞食さえあざ笑い、人々が蔑んで石や馬糞を投げ付ける……」
 しかし姿はみじめでも、求道の高い志の炎は明々と燃え上がっているのでした。
「あるときは金の嶽(大和の金峯山)に登って雪の中で修行し、石の峰(四国伊予の石鎚山)に登って絶食して修練した」
 当時のすさまじい修行ぶりをうかがい知ることができます。
 空海は、このような辛く孤独な修行を十年あまりも続けていたことになるのです。単に仏教を学ぶだけなら、ここまでする必要はありません。どこかの寺の住職にでもなり、衣食住を満たしながら悠々と経典でも読んでいてもよかったはずです。
 しかし空海は、単なる学僧(学問を研究する僧)ではありませんでした。知識で仏教の本質をつかもうとしたのではなく、体験的につかもうとしていたのです。それこそが仏道だと思っていたからです。
 いくら高邁な理論を説いたり、ありがたい説法を垂れたとしても、それだけでは民衆は救われません。「今にも死にそうな飢えた貧者や病人に理屈を説いたところで、なんの役に立つというのか」
 こんな思いがあったのです。
 かといって、現世利益だけの呪法を主体とした密教でもダメだと考えていました。人間が根底から救われるための、正しい仏の教え、真の密教を求めていたのです。残念ながら、当時の寺にそのような理想を発見することはできませんでした。僧侶とは名ばかりの、堕落した仏教界に大きな失望と憤りを覚えていたようです。
「僧侶の使命は国家を安泰させ、国民の福利厚生に寄与することにあるのに、今の僧侶は頭ばかり剃って心を剃らず、きらびやかな法衣に身を染めるだけで、心を染めていない」
 こんな厳しい口調で非難しています。
 そして東大寺大仏殿に二十一日間参拝し「真の仏教とはなんであるか教えてください」と祈念しました。
 すると、夢の中に何者かが現われて次のように告げたというのです。
「『大毘盧舎那経(だいびるしゃなきょう・大日経)』という経典がある。これがあなたの求めている経典である……」
 空海は、この幻の経典を求めて諸寺を探し歩き、そして実際に出会ったのです。
『大日経』は、理論だけに偏らない実践的な内容をもった密教経典でした。空海は、これこそ民衆を救う真の仏教であると確信し、狂喜しました。
ところが、その内容を理解するのは至難を極めました。インドの古典的な言語サンスクリット語があちこちに引用されており、解読できません。しかも密教作法においては、師匠から直接的な伝授を受けないとわからない内容だったのです。
 結局、密教を真に会得するためには、唐に渡り、師匠から直接に密教を伝授してもらうしかありませんでした。さすがの空海でも、独学では限界がありました。
「なんとしても、唐に渡ろう!」
 空海は目的を定めました。
 しかし、いくら優秀な能力を備えているとはいえ、正式な僧侶でもなければ、乞食さえあざ笑うようなみじめな姿の空海が、どうしてはるか彼方の異国の地に渡り、しかも密教の指導者から教えを受けられる道など開かれるでしょうか。
 多少のお金さえあれば、誰でも簡単に海外留学できる現代とは違います。当時の状況を考えるなら、空海の願いは荒唐無稽ともいうべき夢だったのです。
 しかし空海の非凡なところは、こうと目標を決めたら必ず道は開かれるという揺るぎない信念をもち続け、道を開くためにあらゆる可能性を考えて計画を進めていった姿勢にあります。
「機会は必ず訪れる。それまでは自分を磨きながらじっと待っていればいいのだ」
こんなゆとりのある声が、空海の生きざまを見ていると聞こえてくるのです。実際、「意志あるところに道あり」という空海の信念は、次々と現実のものになっていくのでした。
 空海は常に遠い未来を見ながらも、用意周到に足下を整えていったのです。
 おそらく空海は、入唐と密教伝授に備えて中国語の猛勉強をしていたに違いありません。通訳として入唐させてもらえるかもしれないという計画もあったのかもしれません。いずれにしろ、空海は常に大きな夢を描きますが、そのための具体的で綿密な計画を必ず立てて地道に実行していったようです。

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