空海物語(パート8)
パート8
ついに宿縁の師と出会う
空海はしばらく遣唐大使の秘書のような仕事をして行動を共にしていました。そして翌年の二月に大使が長安を旅立つと、さっそく本来の目的に向けて行動を開始しました。
まず、西明寺(さいみょうじ)という寺に身を寄せて、そこを足場に長安の諸寺を訪ね歩いたのです。つまり、そうして密教の真の師を探し歩いていたのです。
ところが、ここがまた空海のすごいところなのですが、自分の目標をせっかちに達成しようとは考えません。用意周到に準備を進めていくのです。
「たとえ真の師に出会って密教を学ぶ機会を得たとしても、梵語(サンスクリット語)が読めなければ理解できないだろう。だからまず、梵語を学ばなければならない……」
そして、インド人の僧侶を見つけて梵語を習い始め、さまざまなインドの仏教にも習熟していったのです。当時の長安はシルクロードの起点ということもあり、西の文化が入ってきて国際的な色調を帯びていました。仏教だけでなく、ゾロアスター教、マニ教、キリスト教の寺院までありました。
空海は、驚くべき早さで語学やその他の勉強をマスターしていきました。求聞持法のおかげかもしれません。空海の噂は長安中に広がっていきました。
「とんでもない天才が日本から来て仏教を学んでいるらしいぞ!」
この噂は、恵果和尚の耳にも届いたことでしょう。そして和尚は思ったに違いありません。
「ついに、来たか!」
空海のほうも、青竜寺(しょうりゅうじ)に恵果和尚という、最高の密教指導者がいるという噂を耳にしました。幸い、梵語も完璧にマスターしていたようです。準備はすべて整いました。それを待っていたかのような、恵果和尚の噂です。
空海は、恵果和尚を訪ねていきました。
恵果和尚の前に正座した空海は、額を地面につけて最敬礼の礼拝をしました。そして二人は対面したのです。空海を見るなり、恵果和尚は言いました。
「私は、あなたの来るのをずっと待っていたのです」
そして、こう続けました。
「私の命はまもなく尽きてしまうでしょう。だから、早くあなたに法を伝えたい。さっそく灌頂壇(かんじょうだん・密教を伝授するための道場)に入りなさい」
そうして、六月から八月にかけて、両部の灌頂を矢つぎ早やに授けられました。
千人を超える弟子をさしおいて、異例ともいうべき特別待遇です。
灌頂壇に入ると、空海は目隠しをされ、しきみの花を手に持たされて、曼荼羅(まんだら)の上に落とすよう命じられました。曼荼羅に描かれているどの仏さまの上に落ちるかによって、その人の守り本尊を知るのです。
空海の手から落ちた花は、大日如来の上に落ちました。そこで恵果和尚は、空海に「遍照金剛(へんじょうこんごう)」という称号を授けました。遍照とは、あまねく照らすという意味で大日如来を意味します。金剛は堅い悟りの心をもった者という意味です。
こうして、恵果和尚から空海は、インド伝来の正系の密教を、あますところなく受け継ぐことができたのです。ついに念願がかないました。
その後も恵果は、ことごとく自分のもてるものを空海に伝えました。
そして十二月十五日、仏舎利(釈尊の骨)八十粒、その他、金剛智・不空・恵果と受け継がれてきた至宝を惜しげもなく分け与えました。
自分のもてるすべてを空海に授け終わった恵果和尚は言いました。
「早く日本に戻って密教を広め、国の平安と人々の幸せに尽くしてください。これが仏の恩、師の恩に報いるということです。大いに努力してください」
そしてまた、次のように言いました。
「今度は、私が日本に生まれて、あなたの弟子になるでしょう。お互いに師匠となり弟子となって、これからも仏法を世の中に伝えていきましょう」
この日の夕方、自分の仕事はすべて終了したかのように、沐浴して横たわると、そのまま遷化(せんげ・高僧が亡くなること)されたのでした。