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 2003年5月の独想録


 5月7日  多彩な経験に満ちた人生と平凡な人生
 世の中には、まだ若いのに、すでに普通の人の一生の何倍も濃密な人生を送ってきたような人がいる。そういう人たちは、たとえばビジネスを立ち上げてさまざまな人と出会い、成功も失敗も味わい、世界のあちこちを飛び回ったり、たくさんの人と恋をしては別れるとか、結婚も二回、三回しているといったように、多様性と変化に富んだ人生を歩んでいる。
 かと思うと、十年が一日のごとく、平凡に歩むような人もいる。
 一概に、どちらか幸せだということはいえない。一見すると、さまざまな人生経験を積んできた人は幸せそうに見えるかもしれないが、彼らは「安定」とは無縁であり、緊張と苦労の連続である。それを楽しめるタフな精神力や体力がないと、人の何倍もの濃い人生を送る人にはなれないだろう。また、こうした人生経験の豊かさが、必ずしも人生を意義のあるものにするかどうかも、わからない。人生のさまざまな経験を、ただ単に味わったというだけでは、バイキングの料理を少しずつかじったのと同じで、「結局、あなたは人生において、いかなる価値あるものを築いたのか?」と問われたときに、返答に困ってしまうこともある。
 それに対して、決して変化に富んだ人生でもなく、むしろ平凡な人生かもしれないが、その人生に多大な価値が込められている、といったこともある。たとえば、マザーテレサの施設で働くシスターなどは、最低限の所有物しかもたず、来る日も来る日も街で捨てられた人の世話にあけくれるだけの生活である。マザーテレサは世界中を飛び回り、さまざまな人と出会って多様な経験をしたが、彼女のもとで黙々と働く人たちは、ほとんどワンパターンの生活であるに違いない。私たちは、そんな彼女たちの生き方を、すばらしい生き方だと賞賛する気持ちで見つめるが、それは第三者が、いわば「お客さん」のような立場で見るからそう思うにすぎないのかもしれない。
 もちろん、その生き方は事実すばらしいのだが、私たちが思うような、ドラマチックでわくわくするような興奮に支えられているのではなく、うんざりするような平凡な毎日(もちろん彼女たちはそんなふうには思っていないだろうが)の積み重ねによって実現されているのだ。
 実際、彼女たちが毎日毎日、悲惨な人を助けるとして、それが30年も続けられたなら、いったいどれほどの数になるだろう。これまで自分が救った人たちが目の前にいっぺんに集合したら、それこそ大変な数となるだろう。その光景を、彼女たちは現実に見ることはないのだが、もし見ることができたなら、自分がどれほど偉大なことを成し遂げたのか、その光り輝くような自分の人生に、感激するに違いない。
 私たちはどうだろう? たったひとりでも、悲惨な人を助けることなどできるだろうか? ただあちこち飛び回り、自分の経験としては面白かったかもしれないが、いったいそれが世界という基準に照らし合わされたとき、自分の人生はいったい何だったのか? ということになる。
 たとえ平凡でも、こうだと決めた崇高な信念のもとに不屈の忍耐で毎日を生きるならば、ついには、非凡だといわれている人の人生などよりも、ずっと偉大な業績を残して閉じられることになるだろう。
 結局、人生の価値は、変化があるか、平凡かといった表面的なものとは何の関係もないわけだ。平凡なだけで終わる人もいる。問題は、そこに一貫した信念や哲学をもって生きるかどうか、ではないだろうか。
 多様な人生を歩み、人の何倍も豊富な人生経験をもって生きていながらも、ひとつの信念と哲学で貫かれているならば、単なる「人生のつまみ食い」では終わらない。いつか必ず、豊かに積み上げられた経験が統合され、ひとつの偉大な業績を結実させる肥料となる日がやってくるに違いない。


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 5月14日  スローライフについて
 ここ数年、「スローライフ」を提唱している人をあちこちで見かける。つまり、「あわてずに、ゆっくり生きる生活」である。
 かつて、高度成長期の時代から、働くことが美徳であると見なされてきた。40歳代以上の人は、竹村健一のあまり上品とはいえない「おー、モーレツ(猛烈)!」というCMをご存じであろう。あれは時代を反映したCMだった。
 ところが、やがて働きすぎて「過労死」が問題になってきた。そして今日では、あいかわらずリストラなどによって、今まで二人でやっていた仕事を一人でやらなければならないとか、リストラされた方も、収入の少ない転職先で残業をしなければ生計が維持できなくなるといった、緊迫した忙しい生活を送るようになり、そうして疲れ果て、疲れからくる鬱病によって自殺する人が急増するようになった。
 そこで、誰が考えたのか、こんな社会風潮を皮肉った、有名な童話「アリとキリギリス」の新たな結末というのが生まれている。
……夏の間、遊んでいたキリギリスは、冬になって食べ物の蓄えがなくなり困りました。そこで、夏の間、せっせと働いて食べ物を蓄えていたアリさんに助けを求めようと、アリさんの家を訪ねました。しかし、いくらドアをノックしても、アリさんはでてきません。おかしと思ってドアを開けて中に入ってみると、アリさんは過労で死んでいました……。
 笑えないユーモアである。
 このような事情を考えるとき、スローライフには賛成である。
 許されるならば、もっとゆっくりと生きた方がいい。新幹線で早く通り過ぎるよりも、各駅停車でゆっくり行った方が、窓からいろいろなものが見えて、そこにいろいろな発見をすることもできる。人生をゆっくりと生きて、たとえば近所を散歩して、道端に咲いているタンポポをじっくりと観察してみれば、思いもかけずに、タンポポの美しさを発見し、タンポポの美しさを通して、人生の本当の価値というものが、ふっとわかったりするかもしれない。
 しかし、そう思う反面で、私は、生きることに対する基本的な姿勢というか、ある信念をもっている。
 それは、決して「固定化されない」ということ、変化の中においてバランスを取る、ということだ。
 生命は常に変化し循環しているのであり、また変化し循環しているからこそ、より生き生きとすることができる。変化の中で一所懸命にバランスを取ろうとする生活の中こそ、生命が活性化する環境であると思っている。
 むかし、ある癒し系の本を書いている執筆者とお会いして、帰り際に私が「それじゃ、がんばってください」と声をかけると、その人はいささか不満そうに「いいえ、私はがんばりません!」というのだった。その人の本は、今でいうスローライフなのか、「がんばらなくていいんだよ」といった優しい言葉が書かれている。
 しかし、私はそうは考えない。人間は、がんばらなくていいときもあれば、がんばっていいときもあると思う。スローライフばかりに固定されると、むしろ逆に、すぐに老けてしまうような感じがする。毎日を惰性で生きてしまい、より美しいもの、新しい価値観といったものに対する感性が鈍化して、保守的となり、因習にとらわれ、自分や社会をよりよいものに革新していこうという意欲が衰退していくような気がしてしまうのだ。
 忙しいばかりでもダメだが、スローライフばかりでもダメだと思うのである。
 人間は、ときには猛烈にがんばりたい、と思うときもある。そう思うのは、生命が燃えるように生き生きしているからだ。それなのに、それを「よくないことだ」というように決めつける風潮、「がんばること」に対して、後ろめたくなるような風潮を作るのは、あまりよいことではないと思っている。
 休みたくなったら、罪悪感もなしに徹底的に休む。がんばりたくなったら、自分の全エネルギーを投入して、徹底的にがんばる。これこそ人間らしい生活ではないのだろうか。
 ちなみに、私の理想とする生き方は、どちらかというと「がんばるタイプ」である。けれども、私ががんばろうという気持ちになれるのは、自分のやることが基本的に好きで、意味を感じているからで、もしも仕事が嫌いで何の意味も感じなければ、がんばろうとは思わないし、第一、本当にはがんばれないだろう。
 また、もちろん、がんばるばかりではなく、立ち止まるときには立ち止まるようにしている。私はときどき、夕陽を見るために、近所の高い所にでかけていき、そこで10分ほどじっと夕陽を見つめる。このような行為を、何の意味も面白みもない、時間の無駄に感じる人もいるかもしれない。
 だが、世の中には、ぞっとするほど美しいものがいくつもあるが、明らかに夕陽はその中のひとつなのだ。そして、「ぞっとする」というのは、魂が震えて「ぞっと」するのであって、魂が震えるというのは、魂がもつ生命力や叡智が活性化されるということなのだと思う。夕陽を見つめるとき、そこに神を感じ、偉大な愛を感じる。それは理屈ではなく、言葉でも説明できない。そうして私はエネルギーをもらい、仕事や生活に情熱を注ぐことができる。
 そのようにしながら、私は、死ぬ直前まで、誰かのために、世の中のために情熱を燃やしたいと思う。私には退職後の楽々人生だとか、隠居生活といったものはない。死んだときが「退職」である。ロウソクの炎がしだいに弱くなって消えていくような死に方は、私の性にあわない。激しく燃えていた炎が、死神の猛烈な息吹によってパッと消えるように死ねたら最高だと思う。それまでは、私はこれでもかこれでもかと全力を出しきって生きたいのだ。
 しかし、私だけではなく、どんな人も、人や世界のために尽くす使命をもっており、その使命を死ぬまで放棄することなく燃やすべきだと思うのだ。
 スローライフは、そのための情熱を回復する周期的な期間であるなら賛成だが、スローライフそのものが、利己的満足を追求するライフスタイルとして固定化されるなら、あまり好ましいことだとは思わない。


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 5月22日  不屈の精神
 何か物事を達成しようとがんばっているとき、どうも予期せぬトラブルや問題が生じて、うまくいかないということがある。それは偶然的な事故だとか、自分の努力や意志とは無関係の「不運」によるものなのだ。こういうときは、自分のやっていることは、何かが間違っているので、天(神様)がやめるように警告しているのではないかと感じられたりもする。実際、私はそのような不運が連続するときは、自分のやっていることを反省したり、あるいはそれをやるべき時期というものを考えたりする。そして、それによって途中でやめたり、あるいは中止して時期を待つといったことも、ときにはしたりする。
 ニューエイジ系の精神世界だとか、占いや霊能者のいうことを信じる人たちは、とりわけ、こうしたことを気にして、自分の行動を決める傾向が強いようだ。
 けれども、それほど重要ではないようなことは、確かに状況の雲行きしだいで実行したりしなかったりするが、心の底から「これは何としてもやり抜かなければならない」と決めたことは、いかなる不運が起ころうとも、やってみた方がいいのではないかと思うことがある。
 というのは、まず、周囲の状況に容易に影響されて自分の行動を左右するようなことばかりやっていると、ついには自分に対する自信が喪失するというのか、アイデンティティのようなものが失われてしまう気がするからだ。早くいえば、「あやつり人形」のようになってしまって、本当に自分の人生を生きているという実感が失われてしまう気がするからである。そうなるくらいなら、断固として実行して、その結果、失敗や挫折をしたとしても、まだ自分を許せて納得できるだろう。そして自分を許せる限り、何度失敗しようと、再起できる勇気と自信が失われることはないと思うのだ。
 我が国で最初の日本地図を作製した伊能忠敬は、調査のために長い旅にでかける前日、仲間たちと別れの祝宴をあげていた。するとそこに、一羽の鳥が飛んできて、彼の前に来ると、どういうわけかパタリと倒れて死んでしまったという。周囲にいた人たちは驚いて、「これは旅に出かけてはいけないという、神様からのお告げに違いない」と騒ぎ出した。ところが伊能は「ただ寿命がきて死んだだけだ」といって、まるで気にしない。そして明くる日、旅立つために草鞋(わらじ)のひもを結んでいると、そのひもがプツンと切れたのである。すると周囲の人は驚いて「ほら、やはり。これは絶対に、旅に出てはいけないというお告げなのだ」といった。「旅に行ったら何か災いがあるのだ」と。
 ところが伊能は「たまたま材質の悪いひもだっただけのことだ」といって気にすることなく、旅だっていったのである。そうして、彼は確かに、苦しい旅を続けたし、最終的な完成を見ることなく、直前で死んでしまったけれども、その後を弟子が引き継いで見事な日本地図を完成させたわけだ。もしも彼があのとき、臆病で迷信にとらわれた周囲の人たちの言葉を真に受けて旅に出かけていなかったら、日本地図の完成は、もっとずっと後になっていたに違いない。つまり、それだけ日本の発展が遅れて損害を招いたということである。
 一方、日本に仏教の戒律を樹立するために招聘され、中国から日本にわたった鑑真なども、まさに不屈の男であった。すでに55歳。すぐに渡航を決意するが、一回目の試みは弟子の内輪もめに巻き込まれて妨害され挫折。二回目は海にはでたが、難破して失敗。三回目は中国の反対勢力の僧のために挫折。四回目は弟子の裏切りによって途中でとらえられて挫折。そして五回目は、台風のために漂流して島に漂着。このとき両目を失明した上に愛弟子が死んでしまうという、さらなる悲劇に見舞われる。
 だがついに日本から来た遣唐船に乗り、密航という形で日本に着いたのである。最初の渡航から、何と12年もかかったのだ。
 普通の人なら、これほど運悪く妨害やトラブルに見舞われれば、「自分はするべきではないことをしようとしているのではないのか?」と思うであろう。「きっと、仏様は、日本に仏教を広めることは望んでいないのだ。だから、こんなにも挫折に遭うのだ」と考えてしまうだろう。
 だが、鑑真はそんなことは考えなかった。あくまでも自分の信念を貫き通したのである。もしかしたら、悪いカルマだとか悪霊のようなものが、彼を邪魔したのかもしれない。しかし鑑真の不屈の精神の前には、ついには降参してしまわざるを得なかったのだ。
 あるいは、鑑真は運気の悪い時期に渡航しようとしており、その悪い時期が明けるのが12年後であった。したがって、12年待って渡航を試みていれば、これほど苦労なく、すんなりとうまくいったはずだという考え方もあるかもしれない。
 しかし、たとえそうであったとしても、彼がこれほど苦労して日本に来たという事実そのものが、どれほど後世の人々に感動と勇気を与えたかわからない。もしかしたら、それは日本に戒律をもたらすのと同じくらい、価値あるものだったといえるのではないだろうか。すんなりと楽に来てしまっては、こうした恩恵は得られなかったのだ。神は、鑑真にそうした「使命」も持たせていたのかもしれない。鑑真はとにかく、不屈の精神で諦めることなく、最後までやり抜いた。途中で諦めていたら、すべてが無に帰していただろう。
 日本に渡った鑑真は、熱狂的に歓迎され、貧民救済や古寺修復、仏教の戒律の樹立その他、福祉的にも宗教的にも文化的にも、計り知れない恩恵と業績を残した。
 私たちも、伊能忠敬や鑑真を見習って、こうと決めたら、どんな苦難や試練が訪れようと、絶対にあきらめたりしない生き方をしたいものだ。
 人間は頑固なくらいでないと、ほとんどたいしたことなどできないものなのだ。
 英国の首相チャーチルの言葉を胸に刻み込もう。
 Never、Never、Never、Never give up!
(決して、決して、決して、決してあきらめるな!)

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