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 2006年10月の独想録


 10月1日  斉藤啓一さんは死にました・・・
 先日、突然、大学時代の後輩からメールが送られてきた。
「斉藤さん、お元気ですか? お元気ならいいんですが・・・。妙な噂を耳にしたものですから」
 私はいったい何のことかわからなかったので、どんな噂なのかとメールを返した。
「よかった。お元気だったんですね。実は、出版社に出入りしている人と会ったのですが、斉藤啓一さんは死んだというんです。一応、ミクシーで見つけた斉藤さんの写真を見せて、この人なのかと尋ねたら、この人だというんです。それで気になってメールしたんです。でも、生きていたんですね。よかった・・・」
 この文章を読んでいる皆さん、私は生きています。ご安心ください(笑)。
 それにしても、半世紀近くも生きていると、いろいろな噂がたつものだ。
 さすがに、死んだという噂を流されたのは初めてだったが。このことをある人に言ったら、「最近、本を出していないからじゃない?」といわれた。
 なるほど、確かに作家としては、本を出していないので、死んだも同然なのかもしれない。よく「○○生命」ということをいう。「作家生命」という点では、私は死んだと思われても仕方がない。もう3年も本を出していないのだから。作家は本を書くから作家なのであって、本を書かなければ、もはや作家ではないのだ。「斉藤啓一さんは死にました」というこの噂は、何か奥が深いメッセージのようなものが感じられた。
 それでは、人間という点でいえば、「生きている」とは、どういうことをいうのだろう?
 作家としては生きていても、人間としては生きていない人がいるかもしれない。
 人間として「生きている」とは、どういうことなのだろう?
 かつて、ナチス強制収容所を生きた精神科医フランクルは、いつか本にしようと思って書きためていた大切な原稿を隠し持っていたが、それがドイツ兵に見つかって奪い取られ、破棄されてしまった。このとき今までの全人生に棒を引いたという。しかしフランクルは思った。
「人生の意味が、本が出る出ないにかかっているとでもいうのか? 本を出版するよりも、自ら書いた本の内容通りに生きること、すなわち、避けられない苦しみや死であれば、それを心静かに受け入れること、この方がよほど重要で意味がある。なぜなら、模範的な生き方をしたという実績は、過去という、決して侵害されることのない避難場所に保管され、永久に失われることがないからだ」
 私の場合、自分の原稿は、ドイツ兵ではなくて出版社が破棄してしまうのだが(面白くないという理由で!)、出版ということに限らず、フランクルのこの悟りは、どのような職業や立場の人にも当てはまるように思われる。男はもちろんのこと、女性であっても、自分が歩む職業によって自己実現したいと思うだろう。つまり、自分を世の中に認めてもらいたいと願うだろう。そして成功して有名になれば、自分の業績が長く世の中に評価され支持され続けられるかもしれない。
 しかし、世の中には、目立たないところにいながら、黙々と、誠実に、すばらしい仕事をし、あるいは生き方をしている人がいる。目立たないから、世の中から評価されたり感謝されたり賞賛されることもなく、あるいは誰ひとりとしてそのすばらしさに気づいてもらえないこともあるだろう。しかし、そんなことにおかまいなく、すばらしい模範的な生き方をしている人がいる。一方、すばらしい本を書いて有名だが、陰ではあまり褒められない生き方をしている人もいるかもしれない。
 フランクルが、「過去という、決して侵害されることのない避難場所に保管され、永久に失われることがない」といった意味は何だろう? それは、単純に人々の記憶の中に残るということなのだろうか?
 そうではない。
 世界の究極的な本質は時間も空間も超えているのであり、どのような行為も、たとえそれが物質的には隠された場所で行われていようと、世界に強い影響力をもたらしているのであり、その影響力は時間を超えて永遠に影響し続けるということなのだ。たとえば、誰もいない場所で、あなたがゴミを拾ってその場所をきれいにしたとしたら、その善なる行為の波紋は、時間と空間を超えて世界に影響を与えているのである。このことは、世界の本質がエネルギーであるという視点からすれば理解できることだ。
 人間的な感情からすれば、そんな善行為を誰からも認めてもらえないのは寂しい気もする。しかし、肉体をもった人間からは認められないというだけであって、肉体をもたないエネルギーの身体をもった人間からは、すべてのことがお見通しなので、あなたの陰の善行為を認めてくれる存在が必ずいる。その賞賛は声としては聞こえないが、ハートで感じることができることもあるし、不思議な運命的な現象を通して感じることができることもある。
 そして、そんなエネルギーで生きている人間たちから見れば、人知れず誠実さと愛と善行為で生きている人こそが、「この人は生きている」と感じる人たちなのだ。
 マーラーの「リュッケルトの詩による五つの歌曲」という歌曲集の中に、「私はこの世に忘れられて」という、私がもっとも好きな、美しく叙情的な歌があるのを想い出した。


私はこの世に忘れられて/リュッケルト詩:マーラー作曲

私の姿はこの世から消えてしまった
かつて多くの時間を無駄に費やしたところから
私の消息は絶えて久しく聞かれず
もう死んでしまったと思われているかもしれない

死んでしまったと思われたところで
別にどうということもない
苦情をいう筋合いでもないのだ
事実、私はこの世では死んでしまっているのだから

世の煩わしさの前では死んでしまって
私はある静かな世界に安らいでいる

私は生きている
ひとり、私の天国のなかで
私の愛のなかで
私の歌のなかで・・・
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