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 2006年12月の独想録


 12月11日 健康であることの大切さ
 先日、クルマの車検を頼みに行った。このクルマは中古の安物を買ったもので、おかげで車検を通すにはあちこちの部品を交換しなければならないといわれ、結局、たいそうなお金がかかってしまった。
 機械、特にクルマなどは、日頃のメンテナンスの善し悪しでずいぶんと性能が違ってくる。乱暴な乗り方をせず、まめにエンジン・オイルなどを交換したり、定期点検を怠らなければ、クルマはかなり長く乗っても性能が極端に落ちるということはあまりない。カー・マニアなどは、基本的なそういうメンテナンスに加えて、クルマの性能を向上させるさまざまなものを利用している。たとえば、エンジン出力がアップするとされるオイルの混合液だとか、特別な材質でできたプラグだとか、さまざまなものがある。そうして、いつもボディをピカピカにし、メカニズムの整備に余念がない。タクシーなどは、普通の自家用車と比べると信じられないような走行距離を走っていたりするが、性能はまるで衰えていない。これは日頃の適切なメンテナンスのおかげである。
 ところで、クルマの性能にはこれほどの神経とエネルギーを費やすのに、おそらくクルマよりずっと大切であろう自分の身体に関しては、驚くほど無関心で怠惰であることが多い。
 たとえば、タバコなどというものは、発ガン率が高く、その他さまざまな肉体的な障害を作りだし、健康と美容にとって大敵であるのに、毎日ぷかぷかと平気で煙を吸い込み肺を真っ黒にしている人がいる。
 あるいは、暴飲暴食を続けた結果、生活習慣病になって、無理のきかなくなる中年以後に深刻な病に苦しんでしまったりする。
 人間は、健康が失われると、いくらお金があり、愛に恵まれていたとしても、その幸せがだいなしになってしまう。自分だけでなく、家族や社会に迷惑をかけることにもなる。あるいはまた、その人が仕事をして活躍していれば、たくさんの人々がその恩恵を受けたであろう、その可能性までつぶしてしまう。
 「健康に注意しましょう」という教訓は、あまりにもありふれていて聞き飽きた、陳腐な言葉なので、誰も真剣にその言葉に耳を傾けようとしない。それよりも、「一ヶ月であなたも億万長者になれる!」だとか、「幸運を呼び寄せるスピリチュアル・レッスン」といったような、扇情的なお金儲けの本や精神世界系、自己啓発系の本に飛びついてしまう。
 けれど、健康でなければ、いかに億万長者になったとしても、スピリチュアルな気づきを得たとしても何にもならない。というより、真にお金の価値とその使い方を知る人間、また真にスピリチュアルな人間であるならば、高度な自己管理力が要求される健康については、少なからぬ関心を寄せて実行しているはずである。不健康な生活をしている金持ちや精神世界系の人たちは、何かが間違っているように思う。
 それはともかく、健康であり続けるということは、難しくもあり、また簡単なことでもある。
 難しいという意味は、ちょっと油断をしていると、たちまち病気になってしまうからだ。気が向いたときだけ運動をしてみたりとか、「このくらいは平気だろう」といいながらいつも甘いものばかり食べていると、急にガタンと体調を崩してしまう。すなわち、健康であり続けるには、健康的な生活が持続されること、ひらたくいえば「健康的な習慣」が要求される。
 この「習慣」ということが非常に難しい。習慣を変えるのは容易ではないからだ。子供の頃によい習慣を培われた人は幸せである。習慣を変えることができるかどうかによって、その人がもつ人格的な力量が試されるといってもいい。一時的な大胆さだとか頑張りといったものは、ちょっと野心的な人なら誰だってできる。しかし、長期に渡る持続的な努力といったものは、人間の底力の賜である。
 一方、健康であり続けることが簡単だという意味は、特別な才能だとかお金などはいらないからだ。高価なサプリメントを飲まなければ健康でいられない、というわけではない。よほど劣悪な環境に住んでいるのでなければ、健康であり続けるために必要なのは、バランスの取れた食事を少な目に摂取すること(腹八分目)、定期的に運動すること、そして頭は使って神経は使わないことである。
 最後の「神経は使わないこと」という意味は、要するにストレスをためないということだが、ストレスというのは、不安やイライラ、取り越し苦労や不平不満といったことである。謙虚さと感謝の気持ち、そして何事も前向きに解釈する気持ちがあれば、たいていのことに関しては必要以上にストレスをためこむことはないはずだ。神経を使うことは大量のエネルギーを浪費させてしまう。
 しかし、頭はおおいに使わなければならない。どんなに歳を取っても、本を読んだり人と会話したり、勉強したり、語学を習ったり、ピアノを習ったり、論理的によく思考したりして、脳をどんどん使うことだ。脳が活発に機能すれば、肉体の方も活発に機能する。脳が若いと肉体も若くいられる。
 このような生活をしていれば、歳をとってもそこそこ健康でいられるはずだ。
 世の中は奇妙なもので、健康に注意している人は「軟弱もの」であるかのように見られる傾向がある。特に男性の場合、健康にいいからと、昼食にヨーグルトなどを買って食べようものなら、「女のように弱々しい」という印象を与えてしまうらしい。人の二倍も三倍もモリモリ食べ、浴びるように酒を飲む男が、たくましくて男らしいといった、中世の野蛮な風習を思わせるような価値観がいまだに残っているようだ。
 しかし、健康でいれば、また健康で長く生きていれば、それだけ世のため人のためになる活躍ができるのである。そんな崇高な目的と理念をもって克己的に健康に注意する男のどこが弱々しいというのか?
 そういう観点から、ちょうどクルマのメンテナンスをするような感覚で自分の肉体を管理する人間こそ、これからの人類のライフスタイルなのだと思う。タクシー・ドライバーにとって、クルマは仕事の大切な道具である。同じように、私たちの肉体もまた、それは神から与えられた天命をまっとうするための「道具」なのである。だから、よく整備して大切に管理しなければならない。

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