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 2009年1月の独想録


 1月20日 新しい家族
 おとといの夕方、書斎で原稿を書いていると、突然、「みゃ〜、みゃ〜」という声が聞こえた。
 いや〜な予感がした。私の家の隣は公園で、ときどき、その公園に猫や犬を捨てに来る人がいるのだ。外に出てみると、その予感は的中した。小さな子猫(オス)が一匹、鳴いているではないか。
 これまでに、我が家はこんな感じで、三匹の猫を飼うことになった。すでに二匹は死んで、今は一匹の黒猫だけがいる。
 どんなペットでも、責任をもって飼い続けるのは楽なことではない。猫の場合、あちこちツメをといで家のなかはボロボロになるし、おしっこをかけられてふとんをダメにされたり、近所迷惑になったりする。家族みんなで泊まりがけの旅行に行くこともできなくなる。病気になれば医者に診てもらわなければならないし、えさ代だってばかにならない。
 しかし、とても寒い夜で、しかも天気予報によれば雨になるという。親猫がいれば、雨の当たらない場所で体をくっつけて寝れば死ぬことはないだろうが、まだひとりで生きていくすべを知らないこんな子猫が、冷たい雨に打たれて一夜を過ごしたら、凍えて死んでしまうかもしれない。
 だが、こんな小さな生き物だって、神様が造ったものなのだ。もし明くる日、公園に行ってこの子猫が死んでいたら、私は一生後悔するかもしれない。
 なので、とりあえず、今晩だけは家に連れて帰ることにした。
 可愛い顔をしたきれいな猫で、ものすごくやんちゃで、じっとしていない。すでに飼っている黒猫を親と間違えているのか、あとを追いかけて頭をこすりつけようとする。しかし、黒猫の方は当惑して逃げまどい、遠巻きに、いきなりやってきたこの子猫を見つめている。
 思えば、この黒猫も、この子猫のようにいきなりやってきて、とりあえず誰か飼い主を見つけるまで家で飼おうということになったのだが、結局、そのまま我が家の猫になってしまったのであった。この黒猫も甘えん坊で、特に冬の寒い時期は、私の書斎に入ってきては、膝の上に乗って眠るのである。なので、私は少し窮屈な思いをしながら、ワープロで文字を打つことになる。
 今回の子猫は、この黒猫以上の甘えん坊で、ツメを立てて足下から登ってきて、肩にまできて、そこで私の顔に何回も頭や顔をすりつけるのだ。
 そうして、いつのまにか一時的に飼っているはずが、いつのまにか家族によって「クーちゃん」という名前がつけられ、暗黙の了解のごとく、すでに我が家の一員となってしまった。
 けれど、この天真爛漫で無邪気な顔を見ると、なんだか心癒され元気が出てくるのを感じる。成長を見守る楽しみが与えられ、これからさまざまな経験を共にしていく未来が生まれたということだ。未来が創造されたという思いは、なんとわくわくすることだろう。それは猫だって人間だって同じことだ。出会いというのは、未来の創造なのだ。
 朝起きると、クーちゃんはどうしているかなと嬉しい気持ちになる。もちろん、前から飼っていた黒猫チーちゃんがやきもちを焼かないように平等に愛情を向けなければならない。
 私はこうして、猫を助けてあげたつもりになっているが、もしかしたら猫の方が、私を助けるためにやってきてくれたのかもしれないなどと、そんなふうに思ったりもした。

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