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 2023年4月の独想録


 4月19日 人工知能ChatGPTに宗教的な質問をする
 
まずはご報告から。
 今月のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は、「アビラの聖女テレサの瞑想法」というテーマで行いました。瞑想というと、一般には坐禅やヨーガなど東洋のものが主流ですが、キリスト教の瞑想法には、東洋の瞑想法にはないよさがあり、また東洋の瞑想法の弱点を補う長所もあります。なかでもアビラの聖女テレサは、瞑想の道標とも言うべきすばらしい教えを残してくれました。ぜひダイジェスト版をご覧ください。
●瞑想教室第29回「アビラの聖女テレサの瞑想法」

 では、本論に入ります。
 最近、人工知能ChatGPTが大きな話題になっています。私も試していますが、驚くほどよくできています。まず、その日本語文章の自然さです。まるで人間を相手にしているかのようです。また、質問に対する回答の深さもたいしたものです。質問してから回答までほんの数秒程度で、その速さにも驚かされます。ただ、あきらかに間違った情報が盛り込まれていることもありますので、現段階では、あまり過信しない方がよいと思います。
 さて、このChatGPTに、いくつか宗教的な質問をしてみましたので、少しご紹介してみたいと思います。

●質問「仏教では神の存在を認めていないのはなぜですか?」
●ChatGPTの回答
「仏教では、神や創造主などの絶対的な存在を認める考え方はありません。その理由は、仏教では「無常」や「苦」といった人生の根本的な問題を解決することに重点が置かれており、神や創造主が存在するとすると、それらの問題を解決する上で、神や創造主に依存することになると考えられているからです。
 また、仏教では「縁起」という考え方があり、あらゆる存在は自己の因果律に従って存在し、相互に関連しあっているとされています。このため、仏教では全ての存在が平等であり、神や創造主が特別な存在である必要がないとされています。
 ただし、仏教においても、天界や神々の存在が認められており、彼らが存在すること自体は否定されていません。ただし、彼らもまた、自己の因果律に従って存在し、最終的な解脱からは逃れることができないとされています。」

↑この質問は、けっこう専門的で難しいと思うのですが、それなりにうまく、バランスよくまとめられていると思います。ただ、創造主(一者)としての神と、「神々」との区別が、少し甘い気がしました。それでもこれだけ簡潔にまとめる文章力はすごいと思います。

●質問「解脱をするには、どうすればいいのですか?」
●ChatGPTの回答
「仏教における解脱とは、苦しみや無明から解放され、完全な自由と幸福を実現することを指します。解脱をするには、以下のような修行が必要です。
1.仏教の教えを学ぶこと:仏教の教えを学び、仏法に親しむことが重要です。仏教の教えを通じて、自分自身や他者、そして世界を深く理解することができます。
2.瞑想を行うこと:瞑想は、心を鎮め、内面の平和を取り戻すための修行です。瞑想を通じて、自己の内面に向き合い、自己の本質を理解することができます。
3.心の浄化:心を浄化することは、解脱に向けた重要なステップです。心の中にある執着や憎しみ、無知などの負の感情を取り除き、心を清らかに保つことが求められます。
4.仏教の教えに従うこと:仏教には、八正道や五戒などの教えがあります。これらの教えに従って、自己の生き方を修正し、自己を改善することが重要です。
5.善行を行うこと:仏教では、善行を行うことが解脱につながるとされています。善行を行うことによって、自己の業を浄化し、ポジティブなエネルギーを発生させることができます。
 これらの修行を通じて、自己を改善し、自己の内面を深く理解することができれば、解脱への道を歩んでいることになります。」

↑「解脱」という言葉は仏教だけのものではなく、ヨーガなども解脱という言葉を使います。ですから、解脱を仏教だけに限定しているところがやや不自然かなと思いました。また、1と4は実質的には重複しています。とはいえ、解脱に必要な要素である「瞑想」、「心の浄化」、「善行」などがきちんとそろっているので、とりあえず合格点をあげてもいいのではないかと思いました。

 ChatGPT の他にも、多くの国や企業がこの分野に参入しようとしており、これから私たちは人工知能と共存していかなければならなくなるでしょう。社会を大きく変えることは間違いありません。私に興味があるのは、果たして宗教の世界に人工知能がどの程度まで関与し得るかです。人工知能が霊的指導者(グル)の代理を務めることは不可能でしょうが、単に宗教的な知識を伝授したり、ありきたりな説教しかしない宗教家には、とって代わられる可能性はあると思います。また、正確なデータの蓄積さえあれば、霊的修行に迷った時のよきアドバイザーにはなるでしょう。しかしくり返しますが、グルの代理をすることはできません。なぜなら、グルは論理や知性を超えた霊的直感によって、あるいはしばしばテレパシーを通して、弟子を指導するからです。まさか霊的直感やテレパシー能力をもった人工知能が開発されることはないでしょう。



 4月6日 世俗に対するアレルギー
 
子供の頃、当たり前のように牛乳を飲んでいましたが、特にこれといった理由なく、半年ほど牛乳を飲まない時期がありました。そして久しぶりに牛乳を飲んだところ、下痢をしてしまい、以後、牛乳を飲むと腹を下すようになり、牛乳が飲めなくなりました。つまり、「牛乳アレルギー」になってしまったのです。※一説によれば、牛乳は牛が飲むもので、牛乳を受け付けないのが、本来の健康な人の反応である、とのことです。
 
さて、私は今、埼玉の閑静な田舎町の一軒家に住んでいます。家族と顔を合わすのは食事のときだけで、会話らしい会話はほとんどしません。仲が悪いわけではありません。価値観がまったく違うので、会話が成り立たないのです。そして、ほとんどの時間、書斎で一人で過ごしています。あとは、月に一度、イデア ライフ アカデミーの教室に行って、そこで何人かの生徒さんと会うだけです。
 以前はそれ以外にも、小さな勉強会やセミナーを頼まれて行ったり、まれにですが、飲み会なども行ったりしていましたが、今はまったくありません。その他の人付き合いもまったくありません。また、3年ほど前に「年賀状じまい」をしたので、年賀状もきません。人との交流といえば、せいぜいメールくらいですが、これもあまり来ません。
 つまり、私は毎日、ほとんど孤独に過ごしているのです。テレビもニュース以外はほとんど見ないので、世俗とはほとんど無縁の生活を送っています。いわば、ある種の隠遁生活に近い状態です。
 私の毎日は、イデア ライフ アカデミーの授業のために、古今東西の聖者たちの本を読んだり、瞑想したり、少し運動するといったことくらいです。

 このように、世俗とは距離を置き、超俗的で霊的な本や思索に専念するという生活を、ここ2、3年ほど続けてきているのですが、最近、大きな変化を感じるようになりました。
 それは、テレビで映し出される世俗の人々の様子に対する、ある種の「アレルギー」です。すでに述べたように、見るのはニュースくらいで、あとはときどき教養番組くらいなのですが、たまたま家族が見ていたので、他の番組を見てみました。それは、バラエティというか、タレントがふざけあう番組というか、お笑い的なものでした。
 自分でも驚くほど、非常な嫌悪感を覚えました。
 まず、やっていることの低俗さです。あまりにも無意味で、何が面白いのかという感じです。特に嫌悪を覚えたのは、言葉使いの下品さで、なかでも「ヤバイ」という言葉です。この言葉は、もともと泥棒の隠語で下品な言葉なのですが、世俗では誰もが当たり前のように使っています。この言葉を耳にすると、まるで目の前に汚物をつきつけられたような不快感を覚えるようになりました。

 以前は、これといって気になることもなく、平気だったのですが、このところ、急に嫌悪感を覚えて、苦痛になってきたのです。
 もちろん、いい番組もあります。私が見た番組は、たまたまひどかったのかもしれませんが、でも全般的には、低俗なものが多く、くだらないと思います。
 私は何も、自分は高貴な人間であると言うつもりはなく、上品ぶっているわけでもありません。ただ、私の内面の状態をそのまま伝えているだけです。
 私が申し上げたいのは、これは私だけの特別な状態なのではなく、誰でも、私のようにある一定期間、世俗から遠ざかった生活をすると、このようになるのではないか、ということです。

 むかし、霊的な本を読んでいたら、こんなことが書かれていました。

 「人は死後、霊界に移行してしばらくそこに住む、そして時期が来て、再び地上に生まれ変わることになる。そのとき、まだ霊界にいる魂は、どんな気持ちがするのか? それは、たとえるなら、地下の下水道に流れる汚水の中にもぐっていくような気持ちである」というのです。つまり、暗くて汚らしいところに行くような気持ちになるらしく、ほとんどの魂はいやいやながら(修行のために仕方なく)、地上に生まれ変わってくるらしいのです。
 最初にそれを読んだとき、そんなものかと、あまりピンときませんでしたが、今ではそれがとてもよく理解できるようになりました。まさに、その通りだと思うのです。この世俗世界は、真理も正義も覆い隠された暗い場所、欺瞞と利己主義、悪や不正、隠蔽、野放しの欲望といった、汚物のたまり場ではないでしょうか?

 しかし、私たちの本来の姿である霊的な魂は、そんな汚水の中がほんらいの住む場所ではないはずです。ただ、ずっと汚水の中に浸かっているせいで、そのことに気づかないのです。もし、一定期間、世俗から離れた生活をするなら、本来の自分のありかたを思い出して、なんとしてもこの悪臭ただよう不潔な下水の世界から、本気で脱出したいと思うはずです。世俗に対する「アレルギー反応」が生じるはずです。まだ記録はありません。

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