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 2004年11月の独想録


 11月7日  ラストタイマー
 このところ、時間のたつのがとても早く感じる。11月になり、すでにカレンダーは最後の一枚になってしまった。
 今年、親戚の婦人が亡くなった。若い頃から病気やその他、いろいろな苦労を重ね、晩年はキリスト教に心の安らぎを見出し、70歳前半で病気で亡くなる少し前にいった言葉が印象的だった。
「人生は、短かった……」
 それを聞いて、若い頃、ある宗教の本に、次のような言葉が書いてあるのを読んだのを思い出した。
「地上生活における人間の一生なんて、霊界での永遠の生活に比べるなら、ほんの一瞬にすぎない……」
 20歳くらいだった私には、この言葉が実感として理解することはできなかった。それまでの20年というのは、本当に長い歳月のように感じられたからだ。平均年齢くらいは生きるとして、80年の人生。あと3倍も生きることになる。これは大変な長さであり、人生、その気ならどんなに大きなことも、どんなにたくさんのこともできるような気がした。
 子供の頃、1年間というのはとても長い歳月であるように感じたが、今では、テレビなどで「年賀状はお早めに」などというコマーシャルを見ると「えっ、このまえ年賀状を書いたばかりじゃないか」などと驚くようになってしまった。
 ホスピスで働いていることもあり、人間の死にはいつも直面している。死に行くほとんどの人が私より年上であるが、ときおり、私と同じくらいか、私より若い人が病気で亡くなっていくのを目の当たりにする。そうなると、本当に人間の人生というのは短い、というか、ある種の「はかなさ」のようなものさえ感じられる。
 私の好きな作曲家のグスタフ・マーラーは50歳で死んだ。モーツァルトが30代で死んでしまったのと比べれば長生きとはいえ、50歳である。その間に、指揮者としてはウィーン国立歌劇場の監督という、いわば指揮者の王様の地位にのぼり、作曲家としては未完を含め11曲の巨大な交響曲を残した。非常に密度の濃い人生であったことはいうまでもなく、永遠に歴史にその名を刻むことに成功したという点では、決して「はかない」ということはできないだろう。けれども、50年という時間は、たぶん、彼にとって「あっというま」だったのではないだろうか?
 世の中には、老後のことを心配して、ほとんどそのためだけにせっせと働いている人がいる。だが、皮肉にも老後を迎える前に病気や事故などで死んでしまう人もいる。運良く定年を迎えて隠居生活の余生を送ることができたとしても、平均寿命的にいえば、せいぜい20年くらいである。歳を取ってからの20年という時間は、いったいどれほど楽しいものだろうか? あれよあれよという間に死が迎えにくるのではないだろうか。
 精神世界では、人は輪廻すると信じられている。何百回も、何千回も生まれ変わるのだそうだ。だから、人間のたった一回の地上人生など、それこそ漫画「サザエさん」のひとこまエピソードくらいの、小さな意味しかないのかもしれない。
 若い頃、私にはそんなに数多くの回数を、この地上に生まれて来なければならないということが、とても嫌だった。生きている間中、健康の心配、生活の心配、人間関係や仕事、その他、ありとあらゆることで煩わされなければならないということ、そんなことが何百も何千も繰り返されるなんて、考えただけでも疲れてしまうのだ。
 そのため、私が精神世界や宗教の世界に関心をもち、修行のまねごとなどもやったその動機は、「二度とこの地上に生まれ変わりたくない」であった。仏教などでは、修行をすると、もうこの地上での人生が最後になるという悟りの段階があるとされる。英語では「ラストタイマー」などといわれている。地球を卒業した人というわけだ。私の夢は、ラストタイマーになることだった。
 これは、消極的でネガティブな、ひ弱な人間の抱く逃避的な夢なのだろうか?
 自分だけが救われれば、地上の人々がどうなってもいいという、自分本位の夢なのだろうか?
 私にはわからない。
 しかし人間というものは、心のどこかにラストタイマーに憧れる気持ちを抱いているくらいの方が、そうでない場合より、しばしば地上人生を積極的に肯定的に、そして利他的に生きたいという気持ちが起きてくるから面白い。

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