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 2004年2月の独想録


 2月22日  もし大金持ちになったら何をするか?
 以前、社会問題となった某サラ金会社の社長が、ラスベガスでギャンブルに負け数億円の借金を作ったと報道されていた。もっとも、その程度の金額は平気で返せたらしいが。
 そのような大金とは一生縁がないだろう私にとって、贅沢の限りを尽くした生活というのは、果たしてどのくらい楽しいものなのだろうかと思う。
 ラスベガスという、いってみれば巨大な「ゲーセン」で数億円もギャンブルすることが、どのくらい楽しいのだろう? やってみなければわからないのかもしれない。想像する限りでは、ちっとも面白いとは思わないが、実際にやってみると、ものすごく面白いのかもしれない。ベンツだとかキャデラックといった高級車を乗ることが、どのくらい嬉しいことなのだろう? 私は機械というものが好きで、中身はどんな構造をしているのかを知るのが好きだし、クルマのデザインなども素敵だなと感じることもあるので、大金持ちだったら、少なくてもギャンブルよりはクルマの方が魅力的ではあるだろう。だが、最初に私が買ったクルマである軽自動車ほどの感激は、たぶん、もたらしてはくれないだろう。
 その他に、金持ちがやるようなこと、豪華客船で世界一周だとか、そういったことも楽しいかもしれない。しかし、豪華客船に乗りたいとは思わないし、行ってみたいと思う国だけ行けば十分だ。それなら、今は旅行など信じられないくらい格安で行けるので、別に金持ちにならなくたってできそうだ。
 金持ちになって気持ちがいいのは、周囲から羨望の目で見られるとか、チヤホヤされるといったこともあるのかもしれない。けれども、金をもっていることでチヤホヤされても何も嬉しくはない。チヤホヤされるのは金であって、私自身ではないからだ。
 お金持ちになることで、私が羨ましいと思うのは、生活のために不本意な仕事をしなくてもいいこと、つまり、自由な時間が取れることだ。これが一番羨ましいことだ。私は時間を作るために金持ちになりたいとは思う。もっとも、今の私は、けっこう好きなことをやっているので、たとえ金持ちになったとしても、やっていることはあまり変わらないような気もするが。
 ずっと下積みの生活をし、そうして謙虚さや誠実さといった美徳を磨いて光らせたのに、いざ努力が実って有名になりお金持ちになると、おごり高ぶって打算的となり、せっかく苦労して磨いた美徳が失われ、贅沢となり、人を見下し、嫌らしくなってしまうような人もいる。それはあまりにも醜い。

 どんなに金持ちになったとしても、心の奥の方で「自分だけこんなにも豊かでいいのだろうか?」という声が聞こえる人がいる。世界人口の8割は貧しく、食べるものがなくて一日に2万人以上の子供が死んでいるという現実を前に、自分だけ必要以上の贅沢をすることに、罪の意識を感じる人がいる。
 毎年クリスマスになると、世界はお祭り騒ぎでうかれる。クリスチャンではない人も、そんなことはおかまいなく、イエスの誕生日という名目を利用し、飲んだり食べたりプレゼントを交換する。それはそれでとやかくいう筋合いではないが、世の中にはプレゼントはおろか、食べるものがなく飢えと寒さで死ぬしかない人がたくさんいることを忘れてはいけないと思う。もしもイエスという方が、まだ宇宙のどこかに存在しているのであれば、イエスはむしろ、貧しく、寂しく、苦しんでいる人のそばにおられるに違いない。
 私はキリスト教徒ではないし、いかなる宗教の信者でもないが、想像の中でイエスと対話をする。イエスをとても敬愛しているので、彼から離れることなど考えられない。私はイルミネーションまばゆい豪奢な歓楽街などよりも、イエスがおられるなら、たとえそこがどんなに暗く貧しく汚いところだろうと、後について行きたい。そこには愛がある。どんなに綺麗で華やかで贅沢なクリスマスの舞台でも、愛がなければ、表だけで裏がない舞台セットのようなものだ。しかし愛があれば、たとえそこがどのような場所であろうと、あたたかさと平和と幸せがある。
 自分だけ豊かであればいいというのであれば、私はイエスを失うことになるだろう。心の中のイエスは、ときどき私にこう語りかける。
「あなたは、こんなことをしている場合なのか?(あなたを必要としている人のところへなぜ行かないのか?)」と。
 もしもあなたの愛する人、たとえば子供を、「10億円あげるからくれないか?」といわれたら、ほとんどの人はNOというだろう。ということは、愛する人をもっている人は、それだけでお金にして10億円をもっていることと同じともいえるのではないだろうか。
 彼がギャンブルで何億円も使ってしまったのは、愛する人がいなかったからではないだろうか。なぜなら、真に愛する人がいれば、たとえそれがたった一人であっても、真の愛である限り、愛のもつ普遍的な性質からいって、その愛は多くの人に向けられるようになるからだ。何億円もあれば、どれだけ困っている人の助けになったことだろう。彼には愛する人がいなかったのだろう。それはなんと殺伐とした人生だろう。
 どんなに金持ちになっても、愛がなければ、その金は死んでしまう。ただ紙切れや金属、数字がたくさん印字された通帳を持っている、というだけに過ぎない。


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 2月29日 いつまでも残るもの
 今日は、ひとりの患者さんのことをお話したいと思う。
 その方は松岡弘子さん(仮名)という36歳の女性で、秋からホスピスに入院してこられた。肺癌だった。みかけは10歳ほども若く見えて、少女のような可憐な方で、家族と共にキリスト教を信じるクリスチャンであった。
 カルテを見ると、23歳のときから肺と心臓の病気で入退院を繰り返してきた。人生においてもっとも輝いて、充実するべきはずのこの時期に、松岡さんはあちこち旅行するとか、遊び歩くとか、結婚ということもなく、ほとんど病気との闘いに時間を費やし、そしてお亡くなりになったのである。
 しかしながら、そうした辛い過去を背負ってきたことなど、松岡さんからは微塵も感じることはなかった。普通なら、暗くなり、絶望し、世の中を呪い、健康な人に嫉妬する気持ちで腐ってしまっても無理もないのに。12年も病苦と戦ってきたのであるから。
 松岡さんは、いつも穏やかで、優しく、明るく、自分よりも人のことを気遣っていた。私が病室を訪れると、来客や用足しといった特別な事情でもない限り、いつでも快く迎えてくれて、本人はよほど苦しいはずなのに、「風邪に気をつけてくださいね」といってくれたり、自宅に帰る前には「気をつけて帰って下さいね」といった、いたわりの言葉をかけてくれた。笑顔が無邪気ですばらしく、事情を知らない人は、これまで何一つ苦労など知らずに育った幸せなお嬢様といった印象を受けるかもしれない。
 松岡さんは、これほどまでの厳しい試練を経て、魂を磨いて浄めてきたのであろうと、私は思う。彼女から伝わる神々しいまでの爽やかさは、まさに聖者のレベルに達しているのではないかとさえ思われた。彼女の病室には、彼女の存在から放たれる不思議な波動が満ちていた。それは接する人の心を自然に浄めてしまうような、まさに「神聖」とでも呼ぶべき雰囲気であった。とはいえ、近づきがたいような神聖さではなく、あたたかくて親しみやすい、いってみれば天使のようなバイブレーションであった。彼女の部屋には明るさが満ちていた。それはまさに彼女の存在から放たれるオーラのせいだったのだろう。
 ドクターも私も、日常の勤務などで不愉快なことがあったとき、気持ちが落ち込んでいるようなときでも、彼女の病室を訪れて少し話をするだけで、そういう否定的な気持ちが雲散霧消してしまうのだった。ドクターは「松岡さんは、もう地球を卒業してしまった人なんだと思う」といっていたが、私も同感であった。患者を癒す立場の私たちが、逆に患者さんから癒されていたのである。松岡さんは私たちの魂を癒してくれていたのである。
 こんな人柄だったので、松岡さんは看護婦その他、スタッフのすべてから非常に敬愛された。
 あるとき、肺炎を併発して、いっときかなり危ない時期があった。私もドクターも、文字通り快復するように祈りを捧げた。松岡さんのご家族や友人の方も必死で祈りをしていた。そのおかげかどうかはともかく、松岡さんは危機を脱した。あとできくと、看護婦さんたちも、真剣に祈りを捧げていたという。看護婦さんたちが自主的に団結して祈りを捧げるといったことなど、ほとんどないことだ。つまりは、それだけ松岡さんは看護婦さんにとっても大きな存在だったのであり、心の琴線に触れていたのだろう。何一つ偉そうなことをいうでもなく、もちろん説教など口にするわけでもなく、ただ日常のこと、ちょっとしたキリストの教えなどを口にするだけの彼女が、これほど人の心をとらえるというのは、何とも不思議であった。
 私がこれまでに会った、いわゆる「偉い人」のほとんどは、おしゃべりで、自分だけ話してこちらの話に耳を傾けようとはあまりしない人たちだった。関心があるのは自分のことだけで、相手にはあまり関心がないといった感じの人が多かった。松岡さんは、そうした社会的にはいわゆる「偉い人」ではなかったかもしれないが、しかし誰よりも相手に気使いを寄せ、高潔な人であるという感覚をもった。私は、こういう人こそが本当に「偉い人」なのだと尊敬する。

 昨年の暮れには自宅に戻り、自宅で最後のときを迎えることになった。ドクターや看護婦が毎日のように訪問して緩和ケアをした。私は残念ながら、松岡さんのご自宅に伺う機会は得られなかった。したがって、12月の中旬頃、病院で最後にお会いしたときが、まさに彼女とのこの世での最後の別れとなった。それからの松岡さんのことについては、スタッフの話やカルテを通して知っただけである。
 肺癌の辛いところは、しだいに肺の機能が失われてくるために、呼吸困難となり、息苦しくなってくることにある。窒息状態になるのだから、相当に苦しいと思う。
 松岡さんも、波はあったようだが、ずいぶんと苦しいこともあった。そうして、しだいに身体が弱ってきて、今年の2月に入ってから容態が急速に悪化していった。起きていると非常に苦しそうなので、点滴に睡眠薬を入れて、ほとんど一日中、眠っている状態になってもらうことにした。それでも眠りながらうめき声をあげるので、ご両親は、「もう長く生きるよりは、早く楽にさせてあげたい」と願うようになった。ドクターは、「うめき声はあげますが、本人は眠っているので苦痛は感じていないはずです」といって安心させていた。
 そうして、2月20日、いよいよという状態になったので、家族や身内、友達がやってきて、ひとりひとり別れの挨拶をした。といっても、本人は昏睡状態でどれほど自覚していたのかはわからないのだが、みんなで賛美歌を歌うと、口を動かして一緒に歌うようなしぐさも見られたという。
 母親が松岡さんに語った。「ひろ、もう頑張らなくてもいいんだよ。辛かったね。いっぱい痛い思いしてきて、ホントに頑張った。ひろ、お母さんの子供に産まれてきてホントに良かった。ありがとう。イエス様と一緒に天国に行ってね。パパとママもその後に行くからね」
 お父様は「(周囲がたて続けに声をかけるので)あまりしゃべらせようとするな。ひろが疲れるから。ひろ、ひろ、前は足も太っていたのに。よう、よう頑張ったな。ありがとな……」
 祖母は「ひろちゃん、ひろちゃん、本当に本当にありがとう」と涙で声にならなかった。
 そうして、午後8時29分、松岡さんは大勢の人に見守られながら昇天された。

 臨終に立ち会った看護婦はカルテにこう書いた。
「弘子さんの人柄に、励ましの優しい言葉のひとつひとつに、心から感謝でいっぱいです。弘子さんに、弘子さんの家族に出会えたこと、本当に幸せです」
 そしてドクターが、最後にこう書きしるしている。
「ご自宅で、ご家族・ご友人に看取られ、賛美歌に包まれイエス様に抱かれて、安らかに旅立たれる。どんなきつい時でも、周りの人のことを気づかい、愛を注ぎ、まさに“傷つくまで愛せよ”を実践したマリア様のような方でした。いつまでも私たち残された者の心の中に生き続け、導いてくれることでしょう。人格をすばらしく成長され、もうこの世は卒業して行かれるのでしょう。ありがとうございました。バレンタインデーに私にカードをいただきました。“艱難は、忍耐を育み、忍耐は練られた品性を生み、練られた品性は希望を生む。そして、この希望は、決して失意に終わることはない”(聖書の言葉) 最後まで前向きに死を受け入れつつも、希望に生き抜いた姿は神々しかった」
 ドクターから「松岡さんから預かったよ」といって、私にもカード付きのバレンタイン・チョコをいただいた。
 私のカードにはこう書いてあった。
“いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは、愛です”
 そして、裏には“どうもありがとうございます。松岡弘子”と記してあった。
 このカードが貼り付けられたチョコレートは、私のお守りとして本棚に大切に保管してある。このチョコレートは食べられることないだろう。いつまでも、私のそばに飾られておくことだろう。そして私は、彼女が残してくれたこの言葉、「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは、愛です」と一緒に生きていくだろう。
 やがては、いつか、このカードもチョコも風化して消えてしまうのだろうが、松岡さんが残してくれたすばらしい愛の影響力は、決して消え去ることはない。人の心から人の心へと伝わっていき、永遠に人類が存続する限り、その影響は広がり続けていく。いつまでも残るもの、それは松岡さんの存在であり、彼女の愛の影響力そのものだ。
 ホスピスで働いていると、人の死に遭遇するのは日常茶飯事だ。しかし、「ああ、亡くなったのだな」と思って、すぐに思い返すこともなくなる患者さんもいれば、亡くなったのだという感じがしない患者さんもいる。松岡さんは、そんな患者さんだった。
 松岡さんは、亡くなってはいない。
 松岡さんは生きている。
 肉体を脱ぎ捨て、違う次元の存在に移行しただけだ。
 愛に生きた人は、決して死ぬことはない。
 愛こそは生命であり、永遠そのものだ。

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