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 2004年3月の独想録


 3月7日  本当に生きるとは
 むかし、少し籍を置いたことのある経営コンサルタントの会社で、上司が「お金がなければ生きていけないんだぞ」と部下に説教したことがあった。そこはとにかく「カネ、カネ」の会社だった。
 もちろん、お金がなければ生きていけない。そんなことは誰だって知っている。
 しかし、誇張してものを言ってはいけない。その上司の生活はどうかといえば、高給を取り、毎日のように酒を飲み歩き、高級車に乗ったり、ブランドを身にまとうようなものだった。そんなことをするほどのお金なんかなくたって生きていけるだろう。
 その人にとって「生きる」というのは、毎日酒を飲み、高級車に乗り、ブランドをまとうことなのか? そんな人間が「お金がなければ生きていけない」というところに、奇妙な偽善性を感じてしまう。
 私からいわせるなら、そのような生活しかできない人間は、どのみち、すでに生きてなんかいない。むしろ、その人はお金がないことで、本当に生きることができるに違いない。すなわち、本当に人間らしくなるに違いない。
 しかしこうも思う。もしも彼が本当に「生きて」しまったら、この社会には生きられないだろう。この社会でうまく生きることができるのは、ある程度生きることを放棄した人間ではないかと思うことがある。
 この社会のもつ不条理、正義の欠如、弱い者いじめ、欺瞞、偽り、虚栄といった腐敗の中で、いったいどうしてまともに生きていけるだろうか?
 お金を持っていれば、社会はその顔に美しい化粧をして出迎えてくれる。どこへいっても笑顔で歓迎してくれる。しかし、お金がなければ、社会はすっぴんのまま姿を現し、不愉快な顔をし、蔑むだろう。社会は私のような者をあざ笑うかもしれないが、私は私で、そんな社会をあざ笑うだろう。
 ホスピスでカウンセラーとして働いて見たものは、金持ちも貧乏人も、最期にはやせ衰えて死んでいく姿だった。人は、いつ死んでしまうかわからない。人生は短い。社会に媚びた生活をしたからといって、安定した人生が送れる保証なんてどこにもない。ならば、自分らしく生きた方がいいのではないかと思う。
 自分らしく生きることが、本当に生きているということだ。自分らしく生きるためにカネを稼ぐならいいことだ。しかし、自分らしさを犠牲にしてまで必要以上にカネを追いかけることは、自殺行為である。


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 3月18日  暴力の世界を阻止するために
 あの9.11の日から、世界中で数多くのテロが起こるようになったような気がする。今日では、テロのニュースが入っても、それほど驚かなくなっているし、ニュースも小さくしか報道しなくなっている。
 いったいどうして、こんな世の中になってしまったのだろう? アメリカの空爆で父親を殺されたイラクの少年が、憎しみに満ちた目で「将来、お父さんのかたきを(アメリカ人に対して)とるんだ」と語っている映像が放映されていた。この子も将来、テロリストになるのだろうか?
 これまで、このような暴力の世界を阻止するために、多くの政治的な手段、経済的な手段、脅しや圧力、制裁といったことを繰り返してきたが、永続的な効果を発揮したことはなかった。
 ロシア生まれの社会学者、ピティリム・ソローキンは、社会の変革をテーマに長い間、研究を続けてきたが、結局、この世界を平和なものに変えるのは、「愛の力」しかないのだと結論した。そうして晩年、ある種のエネルギーとしての愛の力の研究に専念した。そんな彼の代表作「愛の道と力」(邦訳「若い愛 成熟した愛」広池学園出版部」には、愛の力がいかに敵意と憎しみをうち消すものか、その実話が多く収録されている。そのなかのいくつかをご紹介してみたい。

 1937年12月31日、ワツィリスタンのシャクツ渓谷で、英軍に率いられた軍隊が地滑りで生き埋めになっていたカカリ氏族の数人の労働者を助け出した。その一族はそれまで英軍と戦闘中だったが、敵対行動や狙撃をやめた。つまり労働者の救出行為が、カカリ氏族に対するあらゆる軍事作戦よりも、この氏族の攻撃を中止させるのに役立った。

 第一次世界大戦中に、ある掃討作戦が行われたとき、マイケルはひとりのドイツ兵とばったり会った。マイケルは素早く敵の所へ歩いていき、銃を肩にかけて、笑いながら「友よ」と叫んだ。驚いたそのドイツ兵は銃剣をもって彼に向かってきたが、マイケルが笑いながらドイツ語で話しかけ続けたので、数フィート離れたところで止まった。マイケルは「人を愛しなさい、すべての人を」と言った。疑い深いそのドイツ人は「すべての人か、ドイツ人もか」と尋ねた。「そう、すべての人だ」とマイケルは答えた。そのドイツ兵はだんだんと彼の立場を理解するようになり、「友よ、友よ」と叫んだ。彼らはしばらく話し合ったあと、それぞれの方向に向かって別れた。

 1917年のこと、悪漢の集団が南ロシアをうろついて、略奪、暴行、殺人が行われていた。あるメノー派の集落は、長い間、平和主義者であったにもかかわらず、女性や子供を守るために武器をとって「発砲に対して発砲して戦う」ことになった。攻撃が始まって、多くの者が殺され、女性が襲われ、残虐に扱われた。侵略者が去った後、会議が開かれ、元のやり方に戻ることが決定された。襲撃隊が次にやってくると、男たちは出ていって、銃をもたずに彼らに会った。銃のかわりに、彼らはひざまずいて彼らの愛する者や敵のためにも祈った。「この精神の衝撃は通じた。それは攻撃者の良心にとどいた。略奪者たちはあきらかに、たとえ目に見えない力であっても、自分たちより優れた者に直面したと感じた。彼らは去り、戻ってはこなかった」

 次は、ソローキン自身が学生を使って行った実験。
「互いに憎しみ合う五組の学生を対象として、望ましい変容をさせるために善行の方法が選択された。それぞれの組の一人の学生が、嫌っている相手に対して何か親切な行動を起こすよう説得された。およそ四ヶ月が過ぎるうちに、四組の敵対関係は友好的なものに変わった。小さな親切(ダンスに招待、劇の切符を贈ること、研究作業の援助、編み物を教えるなど)を行うことが、実行者そのものを変え、次に相手を変えはじめ、彼らの憎しみをよりよい理解と友情に変えていったのである」

 憎しみをもって憎しみを返しても、憎しみはなくならないと、釈尊もいっている。憎しみに対して愛をもって報いたときにこそ、永続的な変容が生まれる。とはいえ、現実には、いつも上記のようにうまくいくとは限らない。もしかしたら、うまくいかない方が多いかもしれない。ソローキンも次のような実話を乗せている。

 小アジアの修道士テレマコスが、千マイルも離れたローマにやってきて見たものは、ローマの職業剣闘士による虐殺の見せ物であった。戦闘の最中に、彼は円形劇場の自分の席から走り出し、戦士に殺し合いを止めるように呼びかけた。激怒した観客たちは彼のところへ突進し、棒や石で叩いて殺してしまった。

 私たちは、このような正義と愛の人が、迫害されたり、殺されたりするのを少なからず見かけることがある。そのとき、「ほら、見たことか!まぬけだ」とあざ笑ったり、「この世に神も正義もあるものか」と嘆く。そして誰も「愛の行為」など、馬鹿馬鹿しくて、また恐ろしくて、実行しようなどと思わなくなる。
 だが、この話には続きがある。

・・・しかし、その犠牲はホノリウス皇帝に影響を与えた。皇帝はすべての剣闘士に戦いを禁ずる勅令を出した。その結果、このような邪悪な見せ物は二度と行われることはなかった。

 結果的に、彼は多くの人命を救ったのである。
 報われを期待して行う行為は、愛の行為ではないし、そのような期待は多くの場合、失意に終わることが多い。したがって、いかに報われなくても失望しないような満たされた心、地上的なものではない源泉によって満たされている心を確立していなければ、愛の行為などできないだろう。
 愛の行為は、すぐには目に見える形で報われることはないかもしれないが、長い目で見れば、将来、どのような偉大な報われとなるのか、わからないことも確かなのだ。だから、長期的な展望を持って愛の行為をすることが大切ではないだろうか。
 それには、捨て身の覚悟がなければ難しいのかもしれない。いったいそのような愛の力は、どこから供給されるのだろう? また、どのように供給されるのだろう?

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