HOME>独想録>
2007年12月の独想録
12月8日 宝くじで大金を手にした人の話
先日、インターネットで調べものをしていたら、たまたま、宝くじで一億2千万円当てた人の、その後の体験記に出会った。調べものとは関係がなかったが、興味をそそられて読んでみた。
それによると、宝くじで1億2千万円を当てたのは、この体験談を書いた筆者の父親である。
父親は営業や運送業などの仕事をしていたが、酒やパチンコが好きで800万円の借金があった。また、酒を飲むと母親に暴力をふるうようなところがあった。
話によると、筆者が小学校5年生のときに宝くじに当たった。大金を手にすると、父親はパチンコが馬鹿馬鹿しくなりやめたという。しかし、早朝から深夜に及ぶ仕事は辞めなかった。堕落した生き方をしたくないというのがその理由らしかった。当然、800万円の借金はすぐに返した。
ここまでは、健全な生活をしており、立派な心がけであった。
しかし、しだいに、状況は変わり始める。
父親は今までの質素な生活を取り戻すように、家族サービスとして、あちこち旅行に連れていってくれたという。高級ホテルに泊まり、おいしいものを食べた。しかし、そういう楽しい旅行に行ったときでも、父親と母親はケンカを始めたりして、筆者はまったく楽しくなかったと語っている。強制的にいやいや行かされた感覚であったという。
また、今までの狭い県営住宅から、二世帯住宅を建てて住んだ。著者はゲームやビデオなどを何不自由なく買ってもらい、そのために外で遊ばなくなり、ひとり部屋に引きこもってゲームばかりするようになった。
また、宝くじに当たったという話をきいて、事業がうまくいかない親戚などから借金を頼まれたりした。「事業は必ずうまくいくから、そうしたら返す」という約束でお金を貸したが、結局、それが返されることはなかったという。他にも、借金を頼む人に対してお金を貸すことが多くなった。
また、父親は毎日のように誰かを誘って酒を飲みに行くようになり、相手のぶんもすべて支払った。
そうしているうちに、父親は精神状態がおかしくなりはじめ、ついには精神病を患って精神病院に入退院を繰り返すようになる。父親が病院に入院するとき、母親は「これでやっと夫から解放される」と思ったという。息子である筆者も、家に父親がいなくなって嬉しかったといい、こう語っている。
「もうこの時点で、俺ん家は家族として全く機能していなかった……」
退院しても、父親は酒は飲み続けた。仕事もせず毎日酒を飲み続けた。
「オヤジは俺が小さいときから偉そうに人の道を言って聞かせていた。だが、この時のオヤジは金にものをいわせて、自分が言っていた人の道をことごとく外れていった。俺はそんなオヤジの姿を見せられ続けて、心底オヤジに失望した」
そして、筆者は、すべてはどうでもいいと投げやりになり、学校をさぼるようになったという。家族よりも友達が重要になり、携帯電話で長く話をし、電話代は月に十万円を超えるようになった。
筆者が高校生になったとき、東京の専門学校に進みたいので学費を出してくれと父親に頼んだ。すると、父親の口から信じられないような言葉が出てきた。
「すまん、無理だ。うちには金がない!」
金がない? 信じられなかった筆者は怒りのあまり父親をぶん殴った。金がないはずがない。一億2千万円も手にしたのだから。
金を出してくれなければ家に火をつけるぞと脅し、学費を出してもらったが、あとで気づいたところ、本当にこの時点で、貯金残高は百万円をきっていたのである。
母親が父親に「仕事をしてください。もう家にはお金がないんです」というと、意味不明なことを言って暴れ出し、結局、また入院することになってしまった。
しばらくの入院生活の後、退院した父親はタクシーの運転手になり、母親はパートに出た。
「宝くじが当たって約14年がたった我が家の収入は、宝くじ当選前の収入に比べたらはるかに少なくなっていた。今の両親二人の給料をたしても、新卒の初任給にも満たない額だ」
今では、宝くじで建てた家も、あちこち修繕が必要になってきたが、そのお金もないという。筆者は、1億2千万円の出費リストまで書いて公開している。
借金返済 800万円
家(土地代含む) 5000万円
祖母(母方)の生活費 500万円
他人の借金返済 1400万円
祖母(父方)の入院費 150万円
生活費(3年間) 1800万円
学費 300万円
寄付 100万円
家電などちょっとした贅沢 100万円
父の酒代 1000万円
不明 850万円
合計 1億2千万円
この話を読んで、いろいろ考えさせられた。1億2千万円もの大金も、14年で消えてしまうものなのだ。
この父親も、大金をもつと堕落するのではないかと最初は警戒していた。しかし、これだけの大金をもっているという誘惑には勝てなかった。
こうなってしまうのは、この父親だけではないだろう。贅沢さえしなければ、余生を働かなくても過ごせる金額である。そのうち、働くのが馬鹿馬鹿しくなってしまっても無理はない。
しかも、大金をもつと、ある種の万能感のようなものが生じてきて、要するに傲慢さが顔を出してくる。謙虚さが失われ、わがままになってくる。そのため、人間関係がうまくいかなくなり、家族さえ嫌悪するようになってしまう。実際、この筆者の家族はバラバラになってしまった。この家族には愛情が欠落してしまった。
もちろん、宝くじに当たった人がすべてこうなるというわけではない(しかし聞いた話によると、宝くじに当たった人の七割が後悔しているという。その理由は、おそらく今回の話と似たような事態になってしまったからではないかと思われる)。
しかし、大金をもつということは、その本人および関係者の、長所も短所も拡大させてしまう、ということは事実である。金がないときは、短所があっても大きな問題にはならなかったが、金をもったために、その短所にブレーキがかからなくなり、大きくなって被害が拡大されてしまうということになりやすい。
筆者によれば、父親が精神病になったのも、もともと精神的に不安定な性格だったことに加え、お金が入ったために調子にのって酒を飲みながら親戚の悪口をいい、その報復を怖れたことが原因であるという。
お金がないと、嫌な仕事もしなければならない。朝も早く起きなければならない。嫌な上司やお客さんにも頭を下げなければならない。それでストレスとなり健康を害することもあるが、それで人間が磨かれるということもある。忍耐力や、根性や、他者への思いやりといったものが養える。こういう美徳は、本を読んでいてもなかなか身に付かない。厳しい状況に自分をおいてこそ養われるものだ。だが、お金がたくさんあって、贅沢をしたり、人からちやほやされたりすると、美徳などというものにはまるで価値をおかず、関心をもたなくなってしまう。
お金で愛は買えないが、愛のようなものなら買うことができる。たとえばセックスは、本来なら愛する気持ちの果てに行き着くものであり、愛の表現であるべきものだが、セックスそのものは、お金があればいくでも手にはいる。それは売春といったあからさまなものでなくても、お金を目当てに愛を装って恋人や配偶者になる女性(男性)など、世の中には少なくないからだ。それを本当の愛であると本人が思えば(誤解すれば)、主観的には本当の愛だといえなくもない。だから、「お金で愛は買える」ことになる。
いろいろな人と出会ったとしても、その相手が自分の気に入らなければ、自分を変えることなどしないだろう。相手が自分の気に入るように変わるように強いるだろう。「嫌ならいいんだよ。自分には他にいくらだって女などいるんだから」ということになる。
しかし、もしも、大金を手にする前に、本当の愛というものが何であるかを知っていたなら、大金をもっても、そうひどく堕落することはないかもしれない。
なぜなら、すでに述べたように、本当の愛はお金では買えないからだ。本当の愛を知っていたら、愛に見せかけたものでは、決して満足できないだろう。そのため、愛されるために自分を変えようと努力するだろう。美徳を養おうとするだろう。
お金が人を狂気に導くのではなく、愛がないことが、人を狂気に導いてしまうのかもしれない。
2007年12月の独想録
12月8日 宝くじで大金を手にした人の話
先日、インターネットで調べものをしていたら、たまたま、宝くじで一億2千万円当てた人の、その後の体験記に出会った。調べものとは関係がなかったが、興味をそそられて読んでみた。
それによると、宝くじで1億2千万円を当てたのは、この体験談を書いた筆者の父親である。
父親は営業や運送業などの仕事をしていたが、酒やパチンコが好きで800万円の借金があった。また、酒を飲むと母親に暴力をふるうようなところがあった。
話によると、筆者が小学校5年生のときに宝くじに当たった。大金を手にすると、父親はパチンコが馬鹿馬鹿しくなりやめたという。しかし、早朝から深夜に及ぶ仕事は辞めなかった。堕落した生き方をしたくないというのがその理由らしかった。当然、800万円の借金はすぐに返した。
ここまでは、健全な生活をしており、立派な心がけであった。
しかし、しだいに、状況は変わり始める。
父親は今までの質素な生活を取り戻すように、家族サービスとして、あちこち旅行に連れていってくれたという。高級ホテルに泊まり、おいしいものを食べた。しかし、そういう楽しい旅行に行ったときでも、父親と母親はケンカを始めたりして、筆者はまったく楽しくなかったと語っている。強制的にいやいや行かされた感覚であったという。
また、今までの狭い県営住宅から、二世帯住宅を建てて住んだ。著者はゲームやビデオなどを何不自由なく買ってもらい、そのために外で遊ばなくなり、ひとり部屋に引きこもってゲームばかりするようになった。
また、宝くじに当たったという話をきいて、事業がうまくいかない親戚などから借金を頼まれたりした。「事業は必ずうまくいくから、そうしたら返す」という約束でお金を貸したが、結局、それが返されることはなかったという。他にも、借金を頼む人に対してお金を貸すことが多くなった。
また、父親は毎日のように誰かを誘って酒を飲みに行くようになり、相手のぶんもすべて支払った。
そうしているうちに、父親は精神状態がおかしくなりはじめ、ついには精神病を患って精神病院に入退院を繰り返すようになる。父親が病院に入院するとき、母親は「これでやっと夫から解放される」と思ったという。息子である筆者も、家に父親がいなくなって嬉しかったといい、こう語っている。
「もうこの時点で、俺ん家は家族として全く機能していなかった……」
退院しても、父親は酒は飲み続けた。仕事もせず毎日酒を飲み続けた。
「オヤジは俺が小さいときから偉そうに人の道を言って聞かせていた。だが、この時のオヤジは金にものをいわせて、自分が言っていた人の道をことごとく外れていった。俺はそんなオヤジの姿を見せられ続けて、心底オヤジに失望した」
そして、筆者は、すべてはどうでもいいと投げやりになり、学校をさぼるようになったという。家族よりも友達が重要になり、携帯電話で長く話をし、電話代は月に十万円を超えるようになった。
筆者が高校生になったとき、東京の専門学校に進みたいので学費を出してくれと父親に頼んだ。すると、父親の口から信じられないような言葉が出てきた。
「すまん、無理だ。うちには金がない!」
金がない? 信じられなかった筆者は怒りのあまり父親をぶん殴った。金がないはずがない。一億2千万円も手にしたのだから。
金を出してくれなければ家に火をつけるぞと脅し、学費を出してもらったが、あとで気づいたところ、本当にこの時点で、貯金残高は百万円をきっていたのである。
母親が父親に「仕事をしてください。もう家にはお金がないんです」というと、意味不明なことを言って暴れ出し、結局、また入院することになってしまった。
しばらくの入院生活の後、退院した父親はタクシーの運転手になり、母親はパートに出た。
「宝くじが当たって約14年がたった我が家の収入は、宝くじ当選前の収入に比べたらはるかに少なくなっていた。今の両親二人の給料をたしても、新卒の初任給にも満たない額だ」
今では、宝くじで建てた家も、あちこち修繕が必要になってきたが、そのお金もないという。筆者は、1億2千万円の出費リストまで書いて公開している。
借金返済 800万円
家(土地代含む) 5000万円
祖母(母方)の生活費 500万円
他人の借金返済 1400万円
祖母(父方)の入院費 150万円
生活費(3年間) 1800万円
学費 300万円
寄付 100万円
家電などちょっとした贅沢 100万円
父の酒代 1000万円
不明 850万円
合計 1億2千万円
この話を読んで、いろいろ考えさせられた。1億2千万円もの大金も、14年で消えてしまうものなのだ。
この父親も、大金をもつと堕落するのではないかと最初は警戒していた。しかし、これだけの大金をもっているという誘惑には勝てなかった。
こうなってしまうのは、この父親だけではないだろう。贅沢さえしなければ、余生を働かなくても過ごせる金額である。そのうち、働くのが馬鹿馬鹿しくなってしまっても無理はない。
しかも、大金をもつと、ある種の万能感のようなものが生じてきて、要するに傲慢さが顔を出してくる。謙虚さが失われ、わがままになってくる。そのため、人間関係がうまくいかなくなり、家族さえ嫌悪するようになってしまう。実際、この筆者の家族はバラバラになってしまった。この家族には愛情が欠落してしまった。
もちろん、宝くじに当たった人がすべてこうなるというわけではない(しかし聞いた話によると、宝くじに当たった人の七割が後悔しているという。その理由は、おそらく今回の話と似たような事態になってしまったからではないかと思われる)。
しかし、大金をもつということは、その本人および関係者の、長所も短所も拡大させてしまう、ということは事実である。金がないときは、短所があっても大きな問題にはならなかったが、金をもったために、その短所にブレーキがかからなくなり、大きくなって被害が拡大されてしまうということになりやすい。
筆者によれば、父親が精神病になったのも、もともと精神的に不安定な性格だったことに加え、お金が入ったために調子にのって酒を飲みながら親戚の悪口をいい、その報復を怖れたことが原因であるという。
お金がないと、嫌な仕事もしなければならない。朝も早く起きなければならない。嫌な上司やお客さんにも頭を下げなければならない。それでストレスとなり健康を害することもあるが、それで人間が磨かれるということもある。忍耐力や、根性や、他者への思いやりといったものが養える。こういう美徳は、本を読んでいてもなかなか身に付かない。厳しい状況に自分をおいてこそ養われるものだ。だが、お金がたくさんあって、贅沢をしたり、人からちやほやされたりすると、美徳などというものにはまるで価値をおかず、関心をもたなくなってしまう。
お金で愛は買えないが、愛のようなものなら買うことができる。たとえばセックスは、本来なら愛する気持ちの果てに行き着くものであり、愛の表現であるべきものだが、セックスそのものは、お金があればいくでも手にはいる。それは売春といったあからさまなものでなくても、お金を目当てに愛を装って恋人や配偶者になる女性(男性)など、世の中には少なくないからだ。それを本当の愛であると本人が思えば(誤解すれば)、主観的には本当の愛だといえなくもない。だから、「お金で愛は買える」ことになる。
いろいろな人と出会ったとしても、その相手が自分の気に入らなければ、自分を変えることなどしないだろう。相手が自分の気に入るように変わるように強いるだろう。「嫌ならいいんだよ。自分には他にいくらだって女などいるんだから」ということになる。
しかし、もしも、大金を手にする前に、本当の愛というものが何であるかを知っていたなら、大金をもっても、そうひどく堕落することはないかもしれない。
なぜなら、すでに述べたように、本当の愛はお金では買えないからだ。本当の愛を知っていたら、愛に見せかけたものでは、決して満足できないだろう。そのため、愛されるために自分を変えようと努力するだろう。美徳を養おうとするだろう。
お金が人を狂気に導くのではなく、愛がないことが、人を狂気に導いてしまうのかもしれない。