HOME独想録

 2015年2月の独想録


 2月24日 精神薬の怖ろしさ
 すでに書いたように、私がウツで苦しんでいる理由は単純ではなく、過去から現在に至る、さまざまな出来事や要因のせいで、それらに耐える限界値を超えたことによるものだと思っている。具体的にどのようなことがあったのかは、それを語ると関係者に迷惑がかかるおそれがあるので、詳しくはいえない。言える範囲でいえば、急激な母の衰弱と入退院の繰り返し、何人かの親しい人との生別や死別、執筆の仕事の失敗と挫折、二度の交通事故(たいしたことはなかったが)、娘の不登校(その原因を作ったのは私で、以来娘は精神をおかしくして精神科に通うようになった。今は治ったが、治るまでに2年かかった。娘をそのようにさせてしまった父親としての罪悪感に苦しんだ)などがある。
 また現在は、ある環境が非常なストレスとなっており、そのために抗うつ剤はやめたが精神安定剤を続けている。とてもそのような薬を飲まなければやっていけないのだ。これについてはさきに述べた理由により詳しくは言えない。これが私のウツが治らない原因のもっとも大きな要素となっていることは間違いないのだが、どうしてもそこから抜け出せない事情があるのだ。実は、精神安定剤を最初に飲むきっかけとなったのは、娘のことで苦悩した私も精神の安定を崩し、医者に行ったことであるが、現在では、この薬を飲まずにはいられない理由は、娘のことではなくて、このストレスのためである。
 私が飲んでいるのは「パルギン」というもので、あの有名な「デパス」のジェネリックだ。もともと薬嫌いで風邪を引いても薬など飲まなかった私だが、あまりにも苦しいので、仕方なく、最初は処方された量よりも少なく飲んでいた。ところが、ストレスの環境に身を置くようになってから、徐々に量が増えていった。
 というのも、だんだんと効かなくなってくるからである。それで量が増えていく。量を増やせばしばらくはいいが、また効かなくなってくるのでさらに量を増やすというようになってしまった。そして毎月、一ヶ月ぶんの薬をもらいに行くということが3年くらい続いている。気がついたら、通常一日の限界量の5、6倍の量を飲むようになっていた。そのため、一ヶ月もたないので、早く薬をもらいに医者のところに行く。医者は処方箋を出してくれるが、それをもって薬剤師のところに行くと、一人の薬剤師が私のオーバードース(過剰服用)に気づいたのか「まだひと月たっていないですね。場合によっては薬を出すことはできませんよ」と言われた。そう言われたときは「人の事情も知らないで」と腹を立てたが、今から思うと、この薬剤師は私のことを案じてくれていたのだと思う。
 というのも、たとえば何かをメモして机の上においておいた紙を見ても、自分がメモしたということがまったく思い出せなかったり、足下がふらふらして、まるで酔っぱらいのように歩くといったことが出てきたからだ。しかし何よりも困ったのは、これほど量を増やしても、効果があるのはわずか2時間だけで、2時間たつと、非常に激しいウツの落ち込みと不安感が出るようになったことである(後にも触れるが、これは薬の禁断症状である)。私はあきらかに依存症になっていた。だが、依存症になっている人は、よほど悪化しない限り自分が依存症になっているとは気づかないものらしい。私はとにかく薬を手に入れなくてはならないとあせって、同時にもうひとつ、別の精神科医と掛け持ちして薬を手に入れようとした。そして別の医者を訪れたが、あいにく定休日だった。
 私はふと、自分が飲んでいる薬について、ネットで調べてみた。すると、デパスをはじめとする精神安定剤は「ベンゾジアゼピン」という化学物質によって作られていることがわかり、それについて調べていくと、「ベンゾジアゼピン依存症」という項目にあたり、それが私にぴったりと当てはまり、そのときようやく依存症になっていたことに気がついた。そして、このベンゾジアゼピンというものが、実は非常に恐ろしい副作用があることがわかり、海外では4週間以上服用してはならないとなっている。ところが日本では、やたらと患者に飲ませているのが現状だ。
 私のように、大量の精神安定剤、すなわちベンゾジアゼピンを長期に渡って服用していると、その薬の作用が切れた時点で激しい禁断症状に襲われるようになる。その苦しみはとても言葉では表現できない。飲むきっかけとなったもともとの症状よりもさらに苦しい。とてつもなく深い絶望感と不安と悲しみに押しつぶされそうな感覚、胸のあたりが締め付けられ息ができないと思われるような、いてもたってもいられない苦しみ・・・。この苦しみは、経験した者でなければわからないと思う。まったく拷問のようだ。
 この苦しみに耐えながら「神よ、なぜこんな苦しみを私に与えるのですか? 何か悪いことでもしたのでしょうか?」と繰り返し心の中で叫んだが、何の返答もない。いずれにしろ、このまま量を増やして再現なく飲み続けたら、あきらかに脳がやられ廃人になってしまう。
 そこで、断薬することに決めた。といっても、何ヶ月もかけて徐々に減らしていかなければならないのだが、とにかくこのままではいけないということは明らかだった。
 それにしても、日本の医者は、こんな危ない薬をよく平気でホイホイ出すものだと思った。確かに人生には、こうした薬に頼って不安や悲しみを和らげたいと思うことがある。だが、私の経験から言わせていただければ、もし我慢できるのなら、飲んではいけない。飲むことになったとしても、一ヶ月を超えないようにすべきだ。薬に依存してずるずると量を増やしていくと、最初の苦しみの何倍もの苦しみを後で味わうことになる。
 私はウツと禁断症状の二重苦を背負うことになった。それでも勤めにいかなければならならず、仕事をやめるわけにはいかない。頭が少しおかしくなっているから、仕事上でミスをしたり大切なことを忘れたりといったことが増えた。そうして上司から怒られる。それに加えてウツと禁断症状に苦しみながら仕事をしなければならないことは、どうしようもないほど辛い。
 だが、仮に断薬に成功して薬を止められたとしても、それを飲むきっかけとなったストレスの苦しみと、今度はどのように対処していけばいいのか、という問題が残る。もともと好きで飲んでいたわけではない。あまりにも辛いので飲んでいたわけで、薬によってようやく耐えていたのだが、その薬がなくなったら、いったいどうすればいいのか? 
 しかしとにかく、薬は新たな苦しみに変わってしまったので、まずは止めなければならない。これから禁断症状との闘いという、長く険しい道のりが待っていると思うと、思わず気持ちが挫けそうになる。けれども、世の中には私などよりもずっと辛い人生を生きている人がたくさんいるのだから、負けてはいられない。
 ただ、今まで多くのストレスに見舞われてきたので、少しでもいいから苦しみから解放されて休みたいと思う。そのわずかな休息さえもゆるしてくれないのが、この人生の本質なのだろうか? これもまた「神の愛」なのだろうか?

このページのトップへ