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 2015年7月の独想録


  7月14日 
 
今日、骨髄バンクから手紙がきた。
 
私は若い頃から骨髄バンクにドナーとして登録していて、今まで2回ほど、患者の骨髄の成分パターンが近いということで病院に精密検査に行ったことがあるが、結局完全には型が合わなった。そのためドナーになることはなかった。骨髄バンクからの手紙にはこう書いてあった。
 「あなたは55歳になったので、年齢的にドナーのリストからはずすことになりました。今までありがとうございました」
 要するに、ドナーになるには歳を取りすぎたということである。
 私は先月、55歳になった。自分が55歳になるとは信じられなかった。四捨五入すれば60歳。定年である。ついこの間までは20代だったのにという思いが冗談ではなくて頭にあるというのに。
 人間は、20歳までは人生が長く感じる。だが、そこから時間がたつのはどんどん加速していき、このあいだ40歳になったと思ったら、もう55歳だ! 
 だが、私はその間、どんな有意義な活動をしてきたのかと思うと、ほとんど何もないことに情けなくなる。
 私の好きな作曲家マーラーは偉大な交響曲を10曲も残し、指揮者としても輝かしい業績を築いて50歳で死んだ。夏目漱石も数々の名作を残して49歳で死んだ。人生というものは、世のため人のためになるような業績を残したら、さっさとあの世に行った方が幸せなのではないかと思う。世の中は長生きであることをよいことだと考える風潮があるが、私は必ずしもそうは思わない。

 歳を取るということは、いろいろな意味で苦しくやっかいな問題を抱えることを意味している。
 まず一番大きいのは健康問題だ。だんだんとからだの機能が衰えていく。
 私は先日歯医者に行ったら、特に歯周病のようなものはないのだが、奥歯の根が傷んでいると診断され、抜いて部分入れ歯をすることになった。これも歳のせいらしい。私は「入れ歯」ということにショックを受けた。なぜなら、入れ歯というのは老人がするものだという思いがあるからだ。
 また、50歳を過ぎた頃から、近いものが見えにくくなり、本を読むのにめがねが必要になった。つまり、いわゆる「老眼」になった。早い人は40代から老眼になるらしいが、私は40代は平気だった。なので自分は若いと思っていたし、人からもよく「(見た目より)若い」といわれた。しかし50歳を過ぎた頃から、体力も落ちたことが自覚されてきたし、疲れやすくなり、「若い」とも言われなくなった。

 私はここ最近になって、もう若くないこと、若くないどころか、老人の域に入りつつあることを悟った。
 世の中は、若い人は会社でももてはやされるが、中年から老年になると、あまりいい顔をされない。仕事も雇ってもらえない。若い人は愛されるが、歳を取れば、どんなに若い頃はきれいな美人であったとしても、異性として愛してくれる人はいなくなる。ひどい場合は人間としてさえ愛してもらえないということもある。知っている人も次々に死んでいなくなり、しだいに孤独になっていく。
 さらに歳をとって下の世話などひとりで生きられなくなると、表面上はともかく、暗黙のうちにやっかい者扱いされ、決して口には出さないにしても、「早く死んでくれないかな」と思われたりする。私はそのように思う人を責めるつもりはまったくない。それは経験してみればわかる。自宅での介護がいかに大変か、あるいは施設にあずけて世話をしてもらうにしても、どれだけお金がかかるか、そういう現実をよく知っているからだ(安い施設もあるにはあるが、そういう施設は順番待ちが多く、順番が来る頃には死んでしまう)。よほどの高給取りは別として、普通の庶民だったら、そのために贅沢はできなくなり、長生きする親のために質素な生活をしなければならなくなる。そうなると、「こんな生活をしなければならないのは親のせいだ!」と思ってしまっても、無理はないだろう。もちろん親だって、好きで長生きしているわけではない。子供に迷惑をかけていることを心苦しく思っている。だから、長生きすることは、今の社会においては、子供にとっても親にとっても辛いものなのだ。


 
すでにこのブログで紹介したように、私の母は85歳だが、2年くらいまでは元気で独りで暮らしていたのに(父はその2年くらい前に死亡)、急激にからだの機能が衰えて、ついには施設に入った。実は今日、母が住んでいた実家に行ってきた。役所から庭の樹木が道路にはみ出しているから切って欲しいという、写真入りの手紙が来たからである。築50年以上はたっていると思われる小さな家はボロボロで、昨年の大雪で駐車場の屋根は崩れ、ベランダの屋根も崩れ落ち、アンテナは倒れており、庭はジャングルのように雑草が茂っていた。かつて父がマメに庭や家の手入れをしていた頃はきれいだったのだが、今は幽霊屋敷のような廃墟である。まだ両親が元気で暮らしていて、その家で一緒に夕食を食べたりしたことが懐かしく思い出されると、何ともいえない寂しさを感じる。時間というものは無情だ。容赦なく人も家も、何もかもを崩し去ってしまう。

 幸い、母は施設で安定した生活を送っている。だが、会いに行っても黙ってニコニコしているだけで、まるで魂が抜けた人みたいだ。私の心のなかでは、母はもう死んでいるも同然である。若かった頃の母の面影はもうない。
 しかも、今度は妻の両親が高齢のために入退院を繰り返し、施設に入るかどうかという問題が最近にわかに起き始めた。義理の父は現役のときは警視までのぼりつめた警官で、大柄でがっしりした体格と、性格はやさしいが顔は鬼のような怖い顔をしていた。この風貌でさぞかし多くの悪人を懲らしめてきたことと思うが、腰を痛めて定年より少し早く退職して函館に家を買い、後はずっと座ってテレビばかり見るような生活を送った。もともと心臓も悪かったということもあるが、90歳近くなった最近は、認知症も出てきて病院に出たり入ったりし、もう下の世話もひとりではできなくなり、施設に入るかどうか、病院の先生やヘルパーなどと話し合いをすることになった。義理の母はちょっと変わり者で、夫のそうした現状にはほとんど無関心で何もしない(というよりできない)。そのため、一人っ子である妻(私もそうだが)は、最近は毎月のように飛行機で函館まで行っている。多いときはひとつきに二回も行っている。正直、金銭的にもばかにならない。


 
私は自分自身のウツの苦しみに加えて、こうした辛さと遭遇することになり、ウツの状態は治るどころか、じわじわと悪化しているような気がしている。他にもストレスがあり、一時は減薬を試みたが、結局、こうしたウツを悪化させる要因をどうにかしない限り、減薬はうまく達成できないことを知った。私はいま、二重、三重の苦しみを抱え込んでいる。本来ならウツの治療のために静かに療養生活がしたいし、医師もそれを勧めているのだが、上記のような経済的な理由で働かなければならず、しかもその職場もストレスと残業のために精魂が枯れ果てるような場所で、プライベートでも親の介護の問題などで頭を悩まさなければならない。40代から50代の死因の一位は癌で、二位は自殺という統計があるが、その理由がわかるような気がする。つまり、無理をすれば癌になって死ぬか、あるいはウツになって自殺するか、そういう危険をはらんでいる年代なのだ。ちなみに20代から30代までの死因の1位は自殺で、すでに述べたように40代から50代は二位となるが、自殺の数が減ったわけではなく、順位は二位でも数としてはむしろ増えている。

 かといって、人間が歳を取ることによって味わう苦しみというものは、避けがたい宿命のようなものである。社会制度がもっと豊かになれば、老齢に伴う苦しみも今よりずっと減るだろうが、完全に老齢に伴う苦しみから解放されることはない。
 世の中には「アンチエイジング」といって、歳を取ることと戦うような風潮がある。私もかつてはそうだった。何歳になっても若々しく見られたかったし、実際、若く健康でいたかった。そのために、運動をしたりサプリを飲んだりと、いろいろ工夫をしてきた。
 しかし今は違う考え方をするようになった。
 それは、「歳を取ることを受け入れる」ということだ。いかに髪の毛が白くなり、顔に皺ができ、体力が落ちたとしても、それが自然の摂理なのだから仕方がない。自然の摂理と戦うことは愚かである。もちろん、若くなるためにではなく、健康になる努力をして、その結果として若々しくなるというのは賛成だし、ぜひそうあるべきだ。しかし、老齢と戦うということは、自然の生き方に反しているように思われる。
 歳を取るにつれて訪れる辛さや苦しみにも、きっと何か意味があるのだろう。
 ならば、それを心静かに受け入れるべきではないだろうか。
 ただし、それは必ずしも現状に甘んじる、ということではない。どんなに歳を取っても、改善できるところは改善していくべきだ。実際、80歳を過ぎても鍛えれば筋力も体力も付くというし、日頃から健康に気を付けていれば、絶対ではないにしても、死ぬまで健康で生きられる可能性はある。
 そういう努力は続けながらも、心の中では歳を取ることを潔く受け入れて生きるということだ。

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