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 2015年8月の独想録


 
 8月10日 義父の葬儀に出る
 
入院していた義父が死んだ。直接の死因は肺炎で89歳だった。死ぬ直後は認知症も出たり、激しく転倒して頭から大量の出血をしたらしい。
 義父母は函館に住んでいるので、家族で大宮から新幹線に乗り、4時間以上かけて函館についた。
 義母は少し変わった性格で、夫が死んだというのに、普段と変わらずケロリとしていた。後にいろいろ話を聞くところによると、人の痛みや苦しみに対して鈍感なところがあり、悪い人ではないのだが、とにかくそういう性格を生まれ持っている人なのだ(この傾向の一部は、私の妻にも引き継がれている)。なので、まだ義父が元気な頃に函館の実家を訪れると、義父から義母のそうしたところの悪口を聞かされたものである。悪口を聞かされるのはあまり気持ちのよいものではないが、実際、義父の語ることには真実があり、私も同じように感じたことが何回かある。義母の方は、自分の悪口を言われても、やはり人ごとのようにケロリとしている。義父によれば、「人の話を聞かない。いくら注意しても同じことを何回も繰り返す」ということであった。義父が入院したときも、単純に「今日は行きたくないから」という理由で、病院にしばらく行かない日もあった。ほとんど他人事のようであり、そこには夫婦愛といったものはまるで感じなかった。
 要するに、義父と義母の夫婦生活は、あまりうまくいってはいなかったということである。

 義母は夫が死んだことを知らされると、特に悲しみ嘆くといった様子もなく、淡々と葬儀屋に連絡をとり、葬儀の日程などを相談したという。
 葬儀は家族葬、すなわち、ごく身近な人だけで行うことになった。そのために、葬儀屋とどのような葬儀内容にするか、いろいろと交渉しなければならなかったが、義母はまったく当てにならず、結局、私が交渉することになった。葬儀屋も商売だから、いろいろなオプションを提示してきて、「他の方々はこれを選んでいます」などと、高いものを選ばせようとする。たとえば、遺体に着せる死に装束なども、安いものは1万円、高いものになると10万円もした。生地の質が違うらしい。私はこういう点については合理的な考え方の持ち主なので、何も感じない死人に高い着物を着せるのは無駄であるとして、一番安いものを選んだ。他にも、どのような棺桶にするかとか、どのような食事にするかとか、たくさんのオプションがあったが、ほとんど最低料金を選んだ。

 それにしても、腹が立ったのは、僧侶に支払う「お布施」だった。これは葬儀とは別料金である。内訳を見ると、基本料金が20万円、戒名代が3万円、食事代が1万円と書かれていた。戒名なども、3つのランクがあり、いわゆる「位の高い戒名」となると、数十万円もするらしい。また、食事代が請求されていたが、これは葬儀が終わってみんなで会食をするときに僧侶も加わっていただくのが本来のやり方であり、結局この僧侶は会食には出席せず、意味不明の「食事代1万円」をとられることになった。そして、基本料金20万円といっても、3、4回、葬儀場や自宅に来て、ほんの短い(しかもへたくそな)お経をあげただけである。それで20万円もとるのである。一ヶ月にどれくらい葬儀が行われるかわからないが、仮に10回としても、月に200万円、年収にすれば2400万円。しかも宗教活動だから税金がほとんどかからない。この金額はそこそこの企業の役員レベルの報酬である。人の死という、ただでさえ悲しく、またいろいろなことでお金がかかるという苦しい人たちを相手に、平気でこうした高額なお金を、ほんのちょっとお経をあげるだけで要求するというのは、仏教徒にあるまじき行為ではないかと私は思う。「坊主丸儲け」という言葉があるが、よくいったものだ。もちろん、なかにはよいお坊さんもたくさんいるとは思うけれども。
 結局、いろいろな面で節約したにもかかわらず、葬儀代とお布施を合わせて百万円以上の金額になった。


 
葬儀やその後の会食には、ごく身内だけ10人ほど来たが、ほとんど故人の話題も出ることなく、世間話で終わった。義母の方は、さすがに遺体が棺桶に入れられてふたをするときだけ涙を流していたが、あとはまたケロリとしていた。妻も同じく普段とまるで変わらない様子だった。
 私個人的には、距離が遠いために、ほんの数回しか義父とは会っていないが、それほど話をしなくても、どこか胸の奥で通じ合うものを感じ、親近感を覚えていた。だから、何ともいえない悲しみと寂しさが広がり、それがもともとの鬱病に加わって、ひどい絶望感に襲われた。
 そして、人間の最後は何とあっけないことだろうと思った。89歳という高齢もあっただろうが(つまりけっこう生きたからいいんじゃないかという気持ち)、少なくとも表面上は悲しむ人は誰もみかけなかった。何といっても、義母がケロリとしていることが、私にはショックだった。だれも悲しんでくれる人もなくこの世を去っていく人の気持ちは、どんなものなのだろうかと思った。もっとも、死んでいく人はそんなことは何も感じないのかもしれないが。
 とにかく、事務的でクールな葬式であった。

 
すでに書いたように、義父は警察官として最後は警視にまで努力を重ねて登り詰めた人であり、その苦労は相当なものだったと思う。そうして悪人を何人もつかまえて大活躍したであろう。だが、そんな人が死んだときの、この寂しい葬儀はいったい何なのだろう。私は人間の、また人生というもののはかなさをしみじみ感じた。
 もちろん、だからといって、お金をかけて壮大な葬式をやるのがいいと言っているわけではない。むしろその逆であって、葬式は地味な方がよいと思うし、できればそんなものはしなくてすむならしない方がよいとさえ思っている(単に坊主を儲けさせるだけだ)。問題は心だ。寂しいとか悲しいとか思われることなく死んでいくことは、やはり寂しく悲しいものだと感じた。
 私は、義父がかわいそうでならない。






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