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 2017年1月の独想録


1月23日 トランプ大統領誕生に関して
 いま世界は、トランプ新大統領の話題で持ちきりである。
 当初、あのような暴言や差別的な発言をする人物が大統領になるとは、ほとんどの人が予想していなかった。大統領に選ばれたとき、株価は大きく値下がりした。株価は人々の心理を反映する。彼が大統領になれば大変なことになると思ったわけだ。しかし、直後の記者会見でまともな発言をしたことから、「大統領になれば、案外うまくいくかもしれない」との期待感から、株価は上昇に転じた。ところが、つい最近の記者会見での品性のなさ、大統領就任挨拶における、経済政策への具体性のなさや過剰な保護主義への懸念のため、不透明感が広がり、株価は再び下げに転じている。
 トランプ大統領の基本理念は、極論を言えば、「自分さえよければどうでもいい」ということだ。「アメリカの経済さえよくなればそれでいい」である。そうした明確で力強い発言が、経済的に恵まれない人々に支持され、当選したと考えられている。
 確かに、経済的に困っている人にとっては、それを救ってくれそうな力強いメッセージを掲げる人物を支持したくなるのは、無理もないことだと思う。不法移民のために職を奪われたり、治安が悪化したり、その対策として莫大な税金が投入されていることに不満を抱くことも無理のないことだ。そういう鬱積した不満を抱えていた人々にとって「国境に壁を作る」といった、途方もない提案をする人物には、ある種の清涼感というか、ガス抜きのような効果を発揮したのであろう。
 いずれにしろ、トランプ大統領の誕生で、アメリカは大きく分断した。正確に言えば、分断状態がさらに大きくあからさまになった。アメリカの分断への傾向は以前からすでに始まっている。たとえば、ある州では、貧困層にばかり税金が使われることに不満を抱いた富裕層が、富裕層だけが暮らすための市を作ってしまった。
 また、イギリスのEU離脱をはじめ、アメリカのみならず、世界的な潮流として、世界は分断の方向に揺れ動いているように感じられる。
 歴史というものは、振り子のように揺れながら進んでいる。あるときは分断に揺れ、しばらくするとそれではいけないと、統合に揺れる。しかしそれもしばらくすると、さまざまな問題が生じてきて、また分断へと向かう。こういうことを繰り返している。
 したがって、しばらく世界は分断に向かうかもしれないが、またしばらくすれば統合へと揺れてくるに違いない。
 しかしながら、分断状態には非常な危険がつきまとう。その最たるものが戦争だ。戦争が起こる主な原因は、領土と経済である。経済戦争が、本当の戦争に移行する可能性は十分にあり得る。経済戦争は、自分だけの利益を考えようとすることから始まる。
 それゆえ、トランプ大統領の誕生が、世界が戦争へと突入していくきっかけにならなければいいと懸念している。現代は、過去の戦争とは異なり、多くの国が核を持っている。一度核が使われたら、その報復として何発もの核が使われる。その結果、地球上の多くの国が、放射線と核の冬(核爆弾で舞い上がった塵が長い間空を覆って太陽がささなくなる現象)により、人間が住めない場所になる。そうなると、勝者も敗者もない。人類そのものが絶滅の危機にさらされ、すべての国が敗者となり、悲惨なことになる。
 まさか、そんなことはないだろうと思われるかもしれないが、イギリスのEU離脱にしてもトランプ大統領の誕生にしても、ほとんどの人は「まさかそんなことはないだろう」と思っていたことが起きたのだから、世界大戦が勃発することも、決してあり得ないことではない。そんな状態になってから、世界が統合に揺れだしたとしても、すでに遅い。
 仮に、そこまでの惨事には至らなくても、「自分さえよければいい」という考え方は、目先はいいかもしれないが、結局は自分の首をも絞めることになる。なぜなら、人類は相互協力によって成り立っているからだ。たとえば、自分さえよければいいという社員が多い会社は、決して伸びていかない。会社も社会も、世界も、オーケストラのようなもので、お互いの立場を大切にして調和的に進んでいくことで、すべての人が恩恵を受けるような構造をしている。
 したがって、もしこのままトランプ大統領が「自分さえよければいい」という姿勢で貫いていけば、しばらくは対症療法的にうまくいって国民の支持を得るかもしれないが、やがてうまくいかなくなり、国民からの支持を失うのではないかと、私は考えている。
 では、私たちとしては、これからどうしたらいいのだろうか?
 一部の独裁国家を除いて、世界の多くの国の政策は、民意が反映される。したがって、私たちひとりひとりが「自分だけがよければいい」という考え方を持たないことだ。お互いの利益を考えるようにすることである。そうすれば、そういう考え方を持った人が指導者に選ばれる。
 「しかし、私たち日本人がそんな考え方をしても、アメリカや世界は何も変わらないのではないか」と思われるかもしれない。私は、そうでもないと思っている。というのは、現在は、インターネットで世界中の人が情報を共有しているからだ。たとえば、私たちの身近で生じた小さな親切行為が、またたくまに世界中に配信され、世界中の人が知ることができる時代である。実際、たとえば日本人の礼儀正しさなどは、インターネットを通して世界中の人から称賛されている。
 私たちが、「自分のことさえよければいい」という考え方を断固として退け、「お互いのためによいことを選ぶ」という考え方を持って実践していけば、世界中の国民に影響を与え、世界を変えていくことができる。即効性はないかもしれないが、じわじわと大きな潮流になる可能性は十分にある。
 私たちひとりひとりには、世界を変えるほどの力はないかもしれない。しかし、世界を変えることができる力を持った人を、そうなるように変える力は、誰もが持っている。


1月1日 リスク管理
 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 以前にも書いたことがあるのですが、「新年あけましておめでとう」という意味は、「新年を迎えることができておめでたい」ということですね。「おめでたい」というからには、新年を迎えることが容易なことではない、というニュアンスが込められていることがわかります。
 おそらく大昔は、自然災害だとか戦だとか病気といったことで亡くなる人が多かったのでしょう。つまり、生き抜くのが難しい時代だったのだと思います。それゆえに、新たな年を迎えられたということは、無事に生き抜くことができたということになり、「おめでたい」ことだとして祝うのでしょう。
 もっとも、現代社会でも、地震や洪水などの自然災害、戦争やテロ、そして事故や病気などで亡くなる可能性は少なくありません。私の身近でも、昨年、私より一歳年下の友人が病気で亡くなりました。「あけましておめでとう」ということはできませんでした。人生というものは、本当に「一瞬先は闇」であり、何があるかわかりません。
 かといって、いたずらに不安に思う必要はありませんが、用心するに越したことはありません。「来年も無事に迎えることができる」ことを当然のことと考えず、何があっても対処できるように、いわゆる「リスク管理」をすることが、とりわけこれからの時代、大切であるように思われます。
 リスク管理とは、悪いことを考えて脅えることではなく、悪いことが起きても安心していられるということです。「リスクなどを考えるのは縁起悪い」などと言わず、前向きにリスクを考えていくべきだと思います。
 リスク管理の基本は、「バランス」にあります。悲観的になりすぎても、楽観的になりすぎてもうまくいきません。楽観的すぎるとリスクを考えず無鉄砲になって危険ですが、悲観的すぎても、あまりにも保守的になって冒険を侵すことをためらってしまい危険です。なぜなら、人生というものは、保守的であること、冒険を侵さないことが、かえって危険であることもあるからです。
 悲観主義者からは「楽観的」と思われ、楽観主義者からは「悲観的」と思われるような姿勢が、もっとも適切な立ち位置ではないかと思います。仏教的にいえば「中道」ということになるでしょうか。
 そのような姿勢で今年を生き抜いて、また一年後、皆様と一緒に「新年あけましておめでとう」と祝えるようになりたいものです。
 今年もよろしくお願いいたします。

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