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                 ホメオパシーの謎を解く(パート13)

 パート13 

 特徴表示説とレメディ
 錬金術の世界には「特徴表示説」なる思想がある。
 万物を創造した神は、被造物であるわれわれが自らを癒すことができるように、治癒をもたらすものをすべて地上に用意してくれており、しかも、それがどれかわかるように、しるしを刻んでくれているというのだ。
 これは、ハーブ療法の間で「形態原理」の土台になっている。外見や性状を見れば、それが何に効くのかわかるというもので、例をあげれば、アイ・ブライトというハーブは目の形を連想させるが、それは実際、目の感染症に効き、クローブは歯の形をしているが、歯によいとされる。クルミの実は脳の形そっくりであり、小豆は腎臓の形そっくりだが、前者は健脳食として知られ、後者は腎臓によいとされる。もちろん、すべての植物にこの原理が当てはまるわけではないが、形態のみならず象徴の領域にまでこの原理を広げるなら、ホメオパシーのレメディには、特徴表示説の信憑性を裏づけるようなものがけっこうある。
 たとえば、ビオラという名のハーブから作られたレメディは、「ビオラ(バイオリン)の音色が嫌い」な人に適合するという。金から作られたレメディは、金、すなわちこの貴金属が象徴するところの、金持ちや社会的地位の高い人に効く傾向をもっている。水銀は温度計にも使われるほど、気温に対して敏感に反応する不安定な性質をもつが、水銀から作られたレメディも、周囲に影響されやすい不安定な人に適合する。塩は食物の腐敗を防いで長期に渡って保存できるが、塩から作られたナト・ムールというレメディは、悲しみを長期に渡り抑圧している(塩漬けにしている)人に適合する。マッチの原料になっている隣は、華やかに燃えるが、この隣から作られたレメディも、輝いて華やかな性質をもっている人に適合するといった具体である。
 ただし、ハーネマン自身は、レメディの薬効はあくまでも経験的な実証においてのみ認められるべきもので、形や性状から薬効がわかるとする「特徴表示説」には反対だった。
 現在のところ、レメディの数は三千種類以上もあり、それぞれが独自の薬効をもっているが、鉱物・植物・動物のレメディを比較すると、その性質がそのまま反映していることがわかる。たとえば、あなたが、秩序と安定を第一優先に生活し、責任感をもって仕事をコツコツこなしていく性格であるなら、「鉱物のレメディ」の中に、あなたに適合するレメディを見いだせるかもしれない。以下に鉱物・植物・動物のレメディの性質を記述したが、実際にはレメディの選択は柔軟に行われるべきで、あまり型にはまってしまってもうまくいかない。あくまでもおおまかな特徴として認識するべきである。

・鉱物のレメディ <安定・結合・構成・秩序・組織>
 鉱物は結晶という秩序ある構造をしているが、鉱物がもつ特徴(鉱物が適合する人の特徴)もまた、秩序と安定を求める傾向があり、それを人生の第一の優先順位にする。家族のために安全を守り、責任感強く、仕事熱心で、人間関係もトラブルを避けて円満に収めようとする。人から褒められたいという欲求をもつ。
・植物のレメディ <感受性・適合・反応・脆弱さ・傷つきやすさ>
 植物は置かれた環境に適応して生きなければならないため、基本的に脆弱であり、周囲の環境や状態に対して敏感で、そこから大きな影響を受け、感受性が強く感覚的に物事を考える。ささいなこと、それも自分が傷つけられるのではないか、といったことに神経質で、「彼は私を傷つけた」といった不満をもらす傾向がある。
・動物のレメディ <征服と犠牲・生存競争・生殖・仲間作り・なわばりと階層>
 動物は基本的に動き回りテリトリーを拡大していくため、力を誇示して認められたいという欲求をもつ。他者との競争意識やなわばり意識が強くプライドが高いので、「やるかやられるか」という視点から物事を見る。犠牲(えじき)にされるのではないか、という不安をもち、「彼は私を侮辱した」といった不満をもらす傾向がある。

 

内臓に似た形態をもつものはその内臓を癒すという説がある。
目によいとされるアイ・ブライト(左)とブルーベリー(右)は、確かに目に似ている。





 レメディの薬効を決めるものは何か?
 こうした特徴をもつレメディの薬効は、その原料となるものをプルービングすることによって、すなわち、健康な人が服用した場合の反応を調査することによって、地道に発見していったものだ。たとえば、ある植物のエキスを服用し、その結果、不安な気持ちが沸き起こり、頭痛がしたとすると、その原料から作られたレメディは、不安を感じている人の頭痛に効く可能性があると判断するのだ。そして臨床を重ねて確かめていくのである。
 ところで、ポテンシーが低いレメディの場合は、肉体を中心に作用するので、服用する人の性格などはそれほど考慮しなくてもいい傾向がある。しかし、ポテンシーを上げていくにつれ、しだいに精神面が中心となり、レメディと患者の性格像が一致することが、治癒の効果を決める重要な要因になる。このことはすでに「ナトムール」と「オーラム」のレメディの項目で紹介した通りである。
 換言すれば、ポテンシーをあげていくと、鉱物であれ植物であれ動物であれ、その原料がもっている「性格」が浮き彫りになってくるということだ。
 そして、それはきわめて人間的なのである。「マテリア・メディカ」を読んでいると、まるで人間のプロフィールを閲覧しているような錯覚を覚えてしまう。
 たとえば、植物に関していえば、ハーブのカモミラは、いつもイライラして癇癪持ちの性格である。キナは芸術家肌で気難しい。コケスギの一種ライコポディウムは、自信がなく不安なのに強がりである。プルサティーラ(セイヨウオキナグサ)は、優しく素直だが感情が不安定で寂しがりや……といった具合なのだ。
 健康な人が高いポテンシーのレメディを服用すると、一時的にこのような精神状態を経験する(なので、このレメディがどういう性格の人に適合するかがわかる)ということなのだが、人をこうした精神にさせてしまうのは、いったい何なのだろうか?
 すなわち、レメディの薬効を決定しているのは何なのかということでもある。
 常識的には、原料となる物質の化学的な成分が関係していると考えられるが、必ずしもそうではないのだ。確かに、鉱物のレメディの中には、原料である成分との関連が指摘されているものもあり、ある成分が共通に含まれている原料から作られたいくつかのレメディが、「イライラに効く」といった特徴をもっていたりする。
 ところが、すべてのレメディに共通した成分が見つかるわけではなく、むしろ成分との関連は無関係である方が多い。しかも、太陽や月の「光」を原料にしたレメディもあり(当然、化学的な成分といったものはもとから存在していない)、原料の成分がレメディの薬効を決めるという説明では不十分なのだ。
 原料の成分ではないとすると、いったい何がレメディの薬効を決めているのか?
 その鍵を解くような、奇妙なレメディがある。



 ホメオパシーの代表的なレメディの原料であるカモミラ(左)と、キナ皮(右)










 ライコポディアムの原料となるコケスギ(左)と、
 プルサティーラの原料となるセイヨウオキナグサ。






「ベルリンの壁」から作られたレメディ
 それは、ホメオパシーの世界で賛否両論の議論が沸き起こっている「ベルリンの壁」というレメディだ。そう、1989年11月に崩壊した、東西ドイツを分断していたあの壁から作られた、比較的新しいレメディである。
 われわれはテレビで、東西のドイツ人が、分断と束縛の象徴である壁をツルハシで叩き壊しているシーンを見た。このレメディは、実際にあのかけらを粉砕して作られている。薬効としては、心理的に束縛されて過剰に自己防衛している患者に効果的であるとされ、本来なら適合するはずのレメディを服用しても効果がない患者に処方される。このレメディを服用すると「ブロック」が除去されてレメディが効くようになるというのだ。
 果たして、こんなことがあり得るのだろうか?
 このレメディはホメオパスの間でも評価が分かれており、「そんな“魔法”のようなことがあるはずない」と批判する人もいれば、「いや、実際に効くのだ」と効果を認める人もいる。仮にこのレメディが本当に効くのだとすれば、単なる瓦礫に薬効を宿したのは、いったい何だったのか? 壁に含まれる何らかの成分がレメディの薬効になったわけではないだろう。
 ここで重要なことは、あの壁は単なる壁ではなく、かつては分断と束縛の象徴だったということであり、その壁が崩壊したということなのだ。あの映像は世界中に流れ、世界中の人々が見た。砕け散った「ベルリンの壁」を見て、われわれは「分断と束縛の崩壊」という共通したイメージを抱いた。
 そのイメージが、ただの瓦礫に薬効をもたせたのだろうか?
 すなわち、人間が思い描く象徴的なイメージが、単なるモノをレメディにしてしまう可能性があるのか、ということである。
 念のためにいえば、それが何のレメディか知らなくても、服用すれば効くのである。すなわち、プラシーボや暗示効果といった問題ではないのだ。したがって「ベルリンの壁」のレメディには「分断と束縛の崩壊」という情報が、レメディそれ自身に「薬効」として含まれていることは確かなのである。
 全人類的な、心理学者ユングがいうところの集合的無意識、すなわち、人類すべてが生まれながらにもっている共通したイメージやシンボル、観念や信念といった深いレベルが関係しているのかもしれない。たとえば太陽は男性、月は女性のシンボルといったように。 これはほとんど無意識的なものである。無意識的ではあるが、われわれは心の奥に情報として蓄えられている。
 通常、こうした集合的無意識イメージは、はるか人類の歴史と共に長い年月を通して形成されていくのだろうが、「ベルリンの壁」の場合、それがあまりにも全人類的な規模で強いインパクトを与えたので、短期間のうちに、人類共通の象徴的なイメージが集合無意識層に形成されてしまったのではないか?




  ベルリンの壁




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