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                 ホメオパシーの謎を解く(パート8)

 パート8

 ホメオパシーは暗示効果なのか?
 次に、いよいよホメオパシーの治癒力の謎に挑んでみよう。
 すでに少し触れたが、その治癒力は、プラシーボ効果、すなわち暗示の力によるものではないかとする反論が後を絶たない。本当にそうなのか?
 1986年、イギリスの有名な医学専門誌「ランセット」誌が、グラスゴー・ホメオパシー病院の主席医長デヴィッド・レイリー博士による次のような実験を紹介した。
 花粉症の患者に12種類の花粉を混合して作られたレメディと、見た目はそれとそっくりだが薬効のない偽薬(プラシーボ)とを投与して比較したのである。このとき、患者に投与する医師にも、どちらがレメディで、どちらがプラシーボなのかは知らせていなかった。いわゆる二重盲検法による厳格な実験を行ったわけだ。
 すると、ホメオパシーのレメディを投与された患者たちは、プラシーボを投与された患者たちよりも、症状の出現が少なく、症状がひどいときに飲むことを許されていた抗ヒスタミン剤を飲む回数も半分に抑えられたという結果が出た。この実験から、ホメオパシーの治癒力は暗示によるものではないことがわかる。
 さらに、同じ「ランセット」誌が、1997年に掲載した「ホメオパシーの医学的効果はプラシーボか」という論文がある。ドイツの医学博士クラウス・リンドによるもので、過去に発表された89件のホメオパシー・レメディとプラシーボとの対照実験を厳格に分析し、再検討したところ、「(これらの実験からは)ホメオパシーが有効だと結論づけるには不十分ではあったが、プラシーボ効果だとはいえない」という、やや慎重な表現を使いながらも、ホメオパシーが暗示によるものではないと結論している。
 だが、こうした実験が行われているにもかかわらず、ホメオパシーは暗示効果だと決めてかかる風潮が後を絶たない。理性的な反論というよりは、「従来の科学理論で説明できないものは世の中にあるはずがない」という感情的な反感に近い反論なのだ。
 たとえば、1997年、アメリカにおける代替医療研究の第一人者アンドルー・ワイル博士が編集顧問をしている「オルターナティブ・セラピーズ・イン・ヘルス・アンド・メディスン」誌において、ホメオパシーの有効性について、肯定派と否定派の双方の見解が掲載されたことがあった。
 アメリカ国立衛生研究所の代替医療諮問委員であるジェニファー・ジェイコブズ博士が肯定派の代表として、ホメオパシーは花粉症や関節リウマチ、結合織炎、インフルエンザ、小児下痢、喘息などにおいて、基礎科学的、臨床的に有効性が証明されていると主張。ホメオパシーの作用メカニズムは不明であるとの批判に対しては、従来の医学でも治癒のメカニズムがわかっていないことも多いと反論した。
 それに対して、否定派の代表であるサンタクララ・バレー・メディカルセンターの腫瘍学科副部長でスタンフォード大学臨床医学教授のウォレス・サンプソン博士は、ホメオパシーの効果は「観念に基づいた信仰のようなものだ」とし、プラシーボで十分に説明がつくと主張する。ホメオパシーには効果があるとする実験報告は、「ずさんなやり方で行われているか、(自分に都合よく)データの選択をしているか、あるいはデータを改ざんしているかのどちらかだ」と決めつけ「(薬効成分の分子が存在しないのに効くと主張する肯定派の説は)ばかげているとしかいいようがない」と、露骨に不快な感情をあらわにしている。
 両者の論説を見ればわかるように、肯定派は臨床結果に基づいて実証的に説明しているのに対し、否定派は「そんなものはあるはずない」という、単なる自分の信念を表明しているに過ぎない。
 これまでの理論体系(パラダイム)が否定されかねない現象は、それを土台にして研究を重ねてきた科学者にとっては、まさに脅威であろう。科学者としてのアイデンティティの否定につながりかねないからだ。しかし「事実は理論に先立つ」という自明の道理に従うなら、果たしてどちらが真に科学的な姿勢といえるだろうか? 
 事実をうまく説明できるように、従来の科学パラダイムの見直しを検討することなのか?
 それとも、従来の科学パラダイムで説明できるように、事実そのものを否定しようとすることなのか?

 

19世紀グラスゴー・ホメオパシー病院





 薬効成分をもたない薬が効いた
 今度は、ホメオパシーの治癒力の解明に挑んだ実験を紹介してみよう。
 これは、フランス国立衛生医学研究所の科学者ジャック・ベンベニストが、パリ大学とチームを組んで行ったものである。ベンベニストは、ミッテラン大統領に健康相の大臣に推薦されるほどの実力者として知られている人物だ。
 彼は、シリカ(珪素)から作られたホメオパシーのレメデイ(10Cのポテンシー)をマウスに投与し、マウスのマクロファージが67.5パーセントも活性化し、レメディの有効性を確認したと報告している。マクロファージとは、体内に侵入してきた菌や、癌細胞などの異常な細胞を自らに取り込んで死滅させる、いわば「体内の戦士」だ。
 このマクロファージが活性化したということは、感染性の病気や癌などに対する抵抗力や治癒力が増強したことを意味している。ちなみにシリカのレメディは、免疫力をあげる効果があると「マテリア・メディカ」にも紹介されている。
 次にベンベニストは、ホメオパシーのレメディを作るやり方で、すなわち原液を百分の一ずつ震盪させながら希釈して、ついには薬効成分がまったく含まれないほど薄めた水(常識的には“ただの水”)を作った。その水を被験者に投与したところ、アレルギー反応のメカニズムに作用を及ぼしたことが判明した。
 アレルギーとは、体内に侵入してきた異物に対し、その異物が有害でなくても生体が過剰に反応し、異物を排除しようとしてヒスタミンという物質を大量に分泌するために起こる。いわば、行き過ぎた免疫反応で、自分で自分を攻撃しているような状態だ。
 たとえば、花粉症などは、無害な花粉を生体が有害と判断してヒスタミンを分泌するために、クシャミや鼻水が出てしまう。こうしたアレルギー反応を引き起こす異物は「抗原」と呼ばれる。
 ベンベニストが行った実験を詳しく説明するとこうだ。表面に免疫グロブリンEをもつ免疫細胞(好塩基球)が、抗免疫グロブリンE(いわば抗原)に出会うと内部のヒスタミンを放出するという性質をもとに、抗免疫グロブリンEを、ホメオパシー的に希釈・震盪し、成分が実質的にまったく含まれないほどの水にして、それを投与したのである。すると、その“ただの水”が、免疫細胞に作用してヒスタミンを放出させたというのだ。
 要するに、ベンベニストの実験は、ホメオパシー最大の謎である「薬効成分が存在しないのに薬効が存在する」という現象の存在を、実験によって証明したわけである。
 この実験結果は、1988年、世界的に権威ある雑誌「ネイチャー」に掲載され、大反響を巻き起こし、肯定派と否定派が激しい論争を展開させることになった。
 余談だが、この話には続きがある。予想外の反響に驚いた「ネイチャー」は、再びこの実験の検証を行うことになり、3人の人物をベンベニストの実験室に派遣させたのだ。
 ところが、そうして公表された結論は、「先の実験では意図的な偽りはなかったが、意図されなかった誤りがあった可能性はある」という、あいまいなものであった。
 後に判明したところによれば、派遣された3人とは、肝心の免疫学や生物学に疎い編集者、論文の粗探しで有名な「調査員」、科学では説明できない現象はすべてトリックやインチキと決めつけることで有名なジェームズ・ランディという手品師だった。
 こうした人選で調査に向かわせたこと自体、客観性を重んじる科学とは相容れないものであり、自ら「ネイチャー」の権威を落とすことになったといわざるを得ない。皮肉ないいかたをすれば、新しい事実や理論を受け入れることに、人間というものが、どうしてこんなにも“アレルギー反応”を示すのか、それを明らかにした記事であったともいえる。


ジャック・ベンベニスト
水に情報が宿るという説を提唱し、ホメオパシーの治癒原理の証明ではないかともいわれたが、世間からは冷ややかな目でみられた。2004年没。





「類似の法則」が教える「病気の症状の正体」
 ホメオパシーが治癒効果をもつことは否定しがたい事実であることはわかったが、いったいなぜ効くのか?
 ホメオパシーの治癒メカニズムは、2つの原理で成り立っている。すなわち、ひとつは「似たものが似たものを癒す(毒をもって毒を制す)」という「類似の法則」であり、もうひとつは「薬効は(震盪しながら)薄めるほど強くなっていく」という「希釈・震盪の法則」だ。この二つの原理を理解することが、ホメオパシーの治癒力の謎を解くことになるはずである。
 そこで、まずは「類似の法則」から考察してみよう。
 ハーネマンが薬草に関する医学書を翻訳中、キナ皮がマラリアに有効だとの記述にぶつかった話を再び取り上げてみよう。キナ皮は、マラリアの特効薬であるキニーネの材料として知られるが、「なぜ、キナ皮がマラリアに効くのか?」と疑問を抱いたハーネマンは、自らキナ皮を飲んでみたのだ。すると、マラリアと同じ症状が現れたのであった。
「病気と同じ症状を引き起こす物質は、その病気を治す」
 ハーネマンはこの仮説を実証するため、仲間の医師を集め、各自が被験者になって、ベラドンナ(イモ科の植物で飲むと頭痛や高熱などが生じる)、砒素、水銀、硫黄といったさまざまな薬材を服用し、その結果として引き起こされる症状を探るという実験(プルービング prooving=試験 と呼ばれている)を行った。さらに語学の才能を活かし、あらゆる言語の医学書を読みあさって、誤って健康な人が薬を飲んでしまったケースなどを収集した。
 こうして6年もの歳月を費やして得た結論は、ハーネマンの仮説の正しさを裏付けるものとなった。すなわち、健康な人が飲めば、ある症状を起こさせる毒が、その症状で悩む病人が飲むと薬となり癒されるという事実である。
 たとえば、玉葱(刻むと涙や鼻水が出てくる)を原料に作られた「アリューム・シーパ」というレメディは、(風邪やアレルギーなどによる)鼻水に効く。ところが健康な人が服用すると一時的に涙や鼻水が出てくるのだ。


ホメオパシーのレメディの原料としてよく用いられるタマネギ(左)とベラドンナ(右)。





 病気の原因を多層的に理解することの重要性
 ホメオパシーの「類似の法則」は、風邪を例にして説明するとわかりやすい。
 風邪を引くと熱が出るが、かつての一般医学では、熱という症状は悪者であり、病気そのものだから、何としてもなくさなければならないとされた。そこで、解熱剤を服用させるなどして、無理やり熱を押さえ込んできた。
 しかし今日では、熱というのは、体内に侵入したウィルスを撃退させる抗体を活発に働かせるために、身体が作り出していることがわかった。そのため、よほどの高熱でない限り、解熱剤を服用して熱を下げることは好ましくなく、むしろ暖かくして身体をあたためる方がよいとされている。
 すなわち、熱という症状は熱によって癒されるわけだ。これがホメオパシーの基本的な考え方(類似の法則)であり、その意味では、一般医学がホメオパシーの考え方に近づいてきたといえるだろう。
 病気と症状は必ずしも同じではないのだ。症状を押さえ込んでも病気の治療にはならない。病気の抑圧は、抑圧させたその病気よりもさらに深刻な病気を招くようになってしまう。重要なことは、病気の原因を、どの程度まで掘り下げて追求していくかである。
 たとえば、糖尿病を例にあげて説明してみよう。
 糖尿病の患者がやってきて、この病気になった原因は「インスリンの分泌不足」であると結論したとしよう。この診断は、糖尿病の原因を「肉体レベル」の層までしか掘り下げていないことになる。
 そのため、治療も肉体レベルだけのものとなる。たとえばインスリンを注射するだけで終わる。換言すれば、「なぜインスリンの分泌が不足したのか?」までは考えない。
 では、インスリンの分泌不足の原因を考えるなら、それは食べ過ぎによる肥満のせいだと結論できたとしよう。だとすれば、いくらインスリンを注射しても、それは一時的なもので、糖尿病は真に治癒されず抑圧されてしまうことになる。
 だが、もう一段階深い層にまで掘り下げ、インスリン分泌不足が「栄養過剰」のためだと診断したならば、治療法も変わってくる。「ダイエット」という生活習慣的な指導が治療となるだろう。これは「肉体レベル」よりも深い「生活レベル」での治療ということになる。
 だが、この層では「なぜ食べ過ぎてしまうのか?」とまでは考えない。
 そこで その原因をさらに掘り下げていったところ、職場の人間関係のストレスであることがわかった。この診断は「生活レベル」よりも深い「心理レベル」、あるいは「社会レベル」にまで踏み込んだといえる。したがって、この層における治療は「職場の人間関係を改善すること」となる。この問題を解決せずにダイエットをしても、糖尿病の根本的な治療にはならず、抑圧させるだけになる。
 さらに、層の深みはまだまだ続く。「なぜストレスが溜まるのか?」を探っていけば、「悲観的に物事を考える性格だから」となるかもしれない。そうなると「心理レベル」から「精神レベル」へと深みが増していく。
この時点で、糖尿病の根源的な原因は、「悲観的に考える性格」ということになる。したがって、この層を癒さなければ、真の意味で患者を治療したことにはならない。これよりも浅い階層で治療を施しても、抑圧させるだけで再発を繰り返すことになるわけだ。
 あるいはもっと深く、「悲観的に物事を考えてしまう性格」の原因を知ることもできるかもしれない。すると「精神レベル」よりも深い「霊的な(スピリチュアルな)レベル」に到達するかもしれない。そのときは「霊的なレベル」の癒しが必要になってくるだろう。
 もちろん、現実問題として、医療者がどこまで深く患者に関与できるのか、また関与が許されるのかは別枠で検討しなければならない課題ではあるが、いずれにしろ真の治療とは、病気を誘発した第一原因まで掘り下げることで可能になるのだ。換言すれば、人間という存在の全レベル、すなわち、肉体的、心理的、精神的、社会的、霊的な各層のすべてを視野に入れなければならないのである。
 こうした、人間をより全体的にとらえようという世界的な気運を反映してか、現在、WHO(世界保健機構)は、健康に関する定義を変えようとしている。これまでの定義は「健康とは、肉体的、精神的、そして社会的に完全な状態のことであり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」であった。しかし改正案はこうなっている。
「健康とは、肉体的、精神的、霊的、そして社会的に完全な活動的状態のことであり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」
 前文に「霊的に(Supiritual)」という言葉と、「活動的(dynamic)」という言葉が加えられている。どちらも訳しにくい言葉であるが、新しい健康観、人間観が提示されたものとして今後の動向が注目されている。

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