HOME書庫ホメオパシーの謎を解く

                 ホメオパシーの謎を解く(パート14)

 パート14 

 社会状況によって変わる「死に至る病」
 ノゾといわれる病変組織から作られたレメディの薬効も、集合的無意識と関係しているようである。というのは、その時代に流行する病気が、その時代の人々の精神状態に大きく影響を受けるからだ。
 たとえば、今日、死因の一位を占めているのは、癌であるが、産業革命から第二次大戦後くらいまでは、癌ではなくて結核であった。これには食生活などライフ・スタイルや環境といった物理的な変化が関与していることはもちろんだが、当時の人々の精神的傾向も大きな要因になっていることは間違いない。
 たとえば、結核が流行していた時代は、大衆のほとんどは物質的に貧しく、生活のためにあくせく働くのが精一杯だった。そのため精神的な潤いに欠け、常に「満たされない」思いに駆られ、勤勉の美徳を掲げながらも、退廃や堕落的な雰囲気が漂っていた。精神を満たそうとして、強迫的なまでに変化や刺激を求め、刹那的な快楽に飛びつく風潮があった。こんな時代に結核は不治の病として恐れられていたのである。
 そして、そんな結核(に侵された臓器)から作られたレメディに適合するのは、まさに「満たされない」という空虚感や不安を覚え、衝動的に変化(旅行や娯楽)を求め、ロマンティックな夢想を抱いている人であり、そんな人々の気持ちを癒してくれるとされる。
 では、癌の時代である今日はどうだろうか? 物質的には豊かになり、娯楽に恵まれている点では精神的には満たされたかもしれない。だが、人々は幼いときから勉強を強いられ、技術の発達に伴い高度なスキルと正確さ、合理性と完璧性を要求されるようになった。子供も大人も厳しい課題を背負わされるようになり、それがうまくできないと社会や人間関係から阻害されてしまう。そのために、絶えず緊張にさらされて心が傷ついている時代であるといえよう。こんな時代に癌という病気がみるみる増えていったのだ。
 そしてまさに、癌細胞から作られたレメディは、責任感が強くワーカホリックで、それでいて傷つきやすい人に適合し、そんな気持ちを癒してくれるのである。
 このように、その時代の病的な精神が肉体を通して表現され、臓器が結核や癌に侵されていく。逆にいえば、その臓器組織には病的想念のエネルギー(情報)が込められているということなのだ。


 エネルギー的な世界では想念も物質も密接に結ばれている
 だが、臓器の場合は精神と密接に関連しているから、想念が臓器に影響を与えるとしても不思議ではない。ところが、「ベルリンの壁」は、精神の外に存在する物質である。それなのになぜ、人類の想念が、通常なら単なる瓦礫にすぎないドイツに存在する壁をレメディに変えてしまったのだろうか?
 複数の人間の想念が、ある一定空間に位置する存在に影響を与える可能性について、次の実験を紹介してみよう。
 元カリフォルニア大学の心臓学教授ランドルフ・ビルドは、「祈り」の効果を科学的に確かめるために、次のような実験を行った。
 まず、心臓治療中の393人を、祈られるグループ(192人)と祈られないグループ(201人)に分けた。患者の分け方はコンピューターによる無作為で、患者の世話をする医師や看護婦にも、どの患者がどのグループに属しているのかは知らされなかった。そして、ローマ・カトリックとプロテスタント教会から祈る人を募集した。彼らには、患者の名前と病状のみが告げられた。そして毎日、患者のために祈った。
 すると驚くべきことが起こった。祈られたグループは、そうでないグループに比較して、抗生物質を必要とした人は5分の1、心臓疾患につきものの肺気腫になった人は3分の1だったのである。また、祈られたグループでは、喉に人口気道を確保する気管内挿管を必要とする人はいなかったが、祈られないグループでは12人が人口気道を必要とした。さらに、統計的には有意ではなかったものの、祈られたグループの方が死亡率は低かったというのだ。
 一方、植物を使った実験もある。
 アイオワ州ガットンバーグの牧師カール・E・グッドフェローは、1995年、彼の教区である1万2千人の農家の協力を得て実験を行い、祈りが種子の発芽率と成長特性に影響を与えることを示す証拠を得た。被験者はトウモロコシであったが、祈りを受けたトウモロコシは、そうでないトウモロコシよりも豊かな収穫を実らせたという。
 トウモロコシが、農業作業者の顔つきや言葉使いを察知して「暗示」にかかり、作物を豊かに実らせたとは考えにくい。つまり、トウモロコシにプラシーボは通用しない。あきらかにトウモロコシは、物質的な次元のファクターを越えた何らかの影響を受けて成長が促進されたのである。
 これに関連して、インドの思想家クリシュナムルティに関するエピソードを紹介してみたい。これは生前、クリシュナムルティの側近であったという人から直接聞いた話である。
ある母親の、まだ小さい子供が病気になり、入院したのだが、病状は悪くなるばかりで、ついには危機的状況になった。そこで母親は、親しくしていたクリシュナムルティに「子供が助かるように祈ってください」と電話をした。クリシュナムルティは「わかりました」といって電話を切った。すると数時間して、その子供は奇跡的に回復したという。
 そればかりではない。驚くべきことに、その子供と同じ部屋にいた、やはり重い病気の子供たちまでも、奇跡的に回復してしまったというのである。

 クリシュナムルティ(1895年-1986年)
 インド生まれの宗教的哲人、教育者。思考の終焉や条件付けからの解放などを説いた彼の教えは、幅広い支持者を獲得した。タイム誌によりマザー・テレサらと共に現代の5大聖者に数えられた。





 これは、どう解釈したらいいのだろうか?
 本記事の文脈に沿った解釈をするなら、クリシュナムルティに祈られた子供は、彼の想念を受けて癒されたと同時に、その想念が磁化された、ある種の「レメディ」になったのではないだろうか。その結果、周囲に癒しのエネルギーを放射し、そのために周囲の他の子供たちが癒されたのではないかと。
 プラシーボは本当にプラシーボ(ニセ薬)なのか?
 ここまで考えてくると、いわゆる「プラシーボ」というものは、実は文字通りの「ニセ薬」などではなく、実は何らかの原因で薬効を宿した、れっきとした「薬」なのではないかという可能性が浮かんでくる。プラシーボについて、あらためて次のケースを紹介してみよう。
 カリフォルニア州のカイザー病院に勤務するD・ソーベル医師によれば、製薬会社から喘息に効く新薬を取り寄せ、患者に投与したところ、数分もたたないうちに症状が改善し、呼吸が楽になって、その絶大な効果に驚いた。そして次にプラシーボを投与したのだが、思うような改善は見られなかったという。
 ところがしばらくして、製薬会社から送られてきたのは、手違いからプラシーボだったことが判明した。つまり患者に投与されたのは、どちらもプラシーボだったのである。しかし最初のプラシーボは、ソーベル医師自身もだまされて、画期的な新薬だと思い込んでいた。どうやらそれが、単なるニセ薬を特効薬にさせたようなのだ。
 常識的に考えるなら、この医師は「特効薬」を患者に渡す際に、顔つきや態度、言葉使いが、プラシーボを渡すときとは違っていたのだろう。微妙ながら、前者は肯定的、後者は否定的な態度をしたのかもしれない。患者はそれを微妙に感じ取り、プラシーボであったにもかかわらず症状が改善されたのだろう。二重盲検法とは、こういう余計なファクターを除去するために行われるわけだ。
 しかし、実際は、プラシーボというものに対するわれわれの認識が、根本的に間違っていた可能性があるのだ。
 すなわち、医師の微妙な態度を患者が感じ取ったから治癒されたというよりも、「この薬は効くのだ」という医師の期待や信念といった精神的なエネルギーが、プラシーボを「本当の薬」に変質させたのではないのかと思われるからだ。
「この薬は効くのだ」という強い信念をもつと、たとえそれが単なる砂糖粒、すなわちプラシーボだったとしても、その信念のエネルギーがプラシーボに磁化され、文字通りのプラシーボではなくなり、ホメオパシーのレメディのような「本当の薬」になってしまうのではないか?
 もちろん、これは単なる仮説にすぎないが、考えてみるなら、単なる「ニセ薬」を飲んで病
気が改善されてしまうということは、驚くべきことではないだろうか。しかも、新薬の効果を
試すために投与されたプラシーボが、その薬よりも効いたという例さえ報告されているのだ。
「ベルリンの壁」は、人類の巨大な想念を受けて、ある種の「癒しの磁力」を帯び、レメディとしてのエネルギー情報を帯びるようになったのかもしれない。
 アインシュタインの理論や量子力学の業績により、いわゆるモノ(物質)といえども、究極的にはエネルギーであることが判明した。この世界のすべて、森羅万象は、エネルギーのさまざまな「パターン」であるといえる。想念もある種のエネルギーパターンであるから、この世界をエネルギーの視点で見るなら、人間の想念が、いわゆる「物質」に影響を与えるという現象は、決して不思議なことではない。

このページのトップへ