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                 ホメオパシーの謎を解く(パート2)

 パート2

 伝説のホメオパシー療法家の癌治療
 まずは、ホメオパシーについて、もう少し詳しく見てみよう。
 オーストリア出身で裕福な家庭に育った43歳の女性が、はるばるロンドンの病院からギリシアにあるホメオパシー診療所にやってきた。
 肺癌を患い、すでにそれが脳と骨に転移していた重篤な患者だった。仙骨の股関節が侵されているため歩行ができず、車椅子で移動するのがやっとであった。そして激痛を抑えるために大量の鎮痛剤を投与しなければならなかった。いわば癌の末期であり、死に向けてカウントダウンの段階に入った状態といえよう。
 女性の話によれば、数年前に父親を亡くし、母親とは仲が悪く、娘であるこの女性に激しい憎悪を向け、喧嘩のたびに「お前なんか癌で死んでしまえばいい!」とののしったという。それから2年後、女性は母親の言葉通り癌に侵されてしまったのであった。
 そうして、ロンドンで最先端の一般医学的治療を受けたものの、病状は思わしくなく、ホメオパシーに救いを求め、評判をきいてギリシアまで尋ねてきたという。
 ホメオパシーは、外科的処置が必要な場合を除き、およそあらゆる病気に効果的な治癒力を発揮する。風邪や消化不良といった日常的な病気から、現代病ともいうべきアトピー性皮膚炎や癌、心因性の病気、鬱、神経症、さらには一般医学の検査では「異常なし」とされる不定愁訴(頭が重い、疲れやすいといった主観的な症状)までもカバーする。
とはいえ、いくらホメオパシーといえども、このケースの患者ほど進行した癌を治療するのは難しい。対面したホメオパスは、役に立てそうもないと丁重に断り、帰ってもらおうとした。けれども女性は必死になって懇願した。
「この病気を治してくれるように神様にお祈りしたら、声が聞こえたんです。あなたのところに行きなさいと。あなたなら私の病気を治してくれると……」
 女性が訪れたのは、現代最高のホメオパスとして、すでに生きながら伝説的な存在となっているギリシア在住のジョージ・ヴィソルカスの診療所であった(1996年、ホメオパシーの研究で、医療分野における第二のノーベル賞といわれるRight livelihood賞を受賞している)。

ジョージ・ヴィソルカス
1932年アテネ生まれ。もっとも有名なホメオパスのひとり。クラシカル・ホメオパシーの第一人者。1967年、アテネで医学生にホメオパシーを教え始め、1970年にはホメオパシー医学センターを設立。1995年、アロニッソス島にインターナショナル・アカデミー・オブ・クラシカル・ホメオパシーを設立。





 ヴィソルカスは、とりあえず話だけは聞くことにした。
 女性の家族は非常に裕福であったが、財産はすべてオーストラリアに住んでいる母親が握っており、母親からはほとんど何も与えられていなかったという。そのことで彼女自身も母親を憎悪していたが、母親が死ねば財産が入ると思い、借金をしながらロンドンの上流階級の人々と交流していた。
 ヴィソルカスは、話を聞いているうちに、この患者にふさわしいレメディが思い浮かび、治癒の見込みがあると直感した。そうしてレメディを投与した。
 一週間後、女性から電話があった。何と痛みが消失して鎮痛剤がいらなくなったというのである。そして三カ月後には、ロンドンの病院に戻って医師たちの前でダンスを踊るまでになった。その後、何度か痛みは再発したものの、レメディで消すことができた。そうして一年が過ぎると、患者との連絡が途絶えてしまったという。
 後に伝えられたところによれば、この女性は母親から遺産を受けることができずに破産。悲観して自殺してしまったという。この悲劇さえなければ、もっと長く生きることができたに違いない。
 


ホメオパシーは、現代医療のように、単純に症状や病名だけでレメディが処方されるのではない。ホメオパス(ホメオパシー療法家)は患者と面接し、症状のみならず、性格や体質などの細かい情報を聞き出し、患者の全体像に合致したレメディを慎重に選んで処方される。





「これはまさに魔法の薬です」
 ところで、この記事を書いている筆者も、自殺願望と深刻な絶望感、疲労感で休職し入院していた中年男性に服用してもらったことがある。すると、レメディを投与して半月で快方に向かい、一カ月後には半日だけ復職、二カ月後には完全フルタイムで職場復帰を果たした。このとき投与したのは、岩塩からできた「ナト・ムール」で、たった一粒を週に一回か二回服用してもらっただけだった。発病以来一年近く、抗鬱剤その他さまざまな試みをしてもよくならなかったのに、金平糖よりも小さなレメディをほんの少し服用しただけで回復したこの患者は、驚嘆して次のようにつぶやいた。
「これは、私にとって魔法の薬です!」
 魔法の薬というと、中世の魔女が、毒草やらグロテスクな動物などを釜でかきまぜながら作っているような、怪しいイメージが浮かぶかもしれない。
 ところが実際に、レメディの中には、「毒」をもった原料がよく使われる。たとえば、風邪のひきはじめやパニック障害などに効く「アコナイト」は、猛毒のトリカブトから作られている。癌に効くといわれる「コニウム」は、ドクニンジン(ソクラテスがこの薬草の汁を飲んで死刑になった)だ。鉱物でも、水銀や砒素といった猛毒が用いられ、動物では熱帯アメリカの巨大な毒蛇「ラケシス(ブッシュマスター)」、毒グモの「タレントゥラ」、コモン・トードと呼ばれる毒ヒキガエルから作られたものもある。
 もちろん、こうした気味悪いものばかりではないが、もともとホメオパシーの治癒原理が「毒をもって毒を制す」ところにあるので、毒性のある原料が使われることは珍しいことではない。もちろん、こうした原料は、天文学的な薄さにまで希釈され、実質的に成分はまったく混入されていない状態になっているので、レメディに毒性はまったくない。
 ところで、ホメオパシーは「錬金術」の発想から多くのヒントを得たといわれている。錬金術といえば、いわゆる西洋魔術のバッグボーンになった体系であるが、レメディの製造方法に、錬金術の名残ともいうような雰囲気が感じられるのだ。
 というのは、伝統的なレメディの製造方法は、薬液を入れた容器を「聖書」の上で叩きながら何回も希釈して製造されているからだ。“聖書の上”というのは、レメディに“神聖な力”を宿すという象徴的な意味が込められているからだが、こんなところにも「魔法の薬」のイメージが感じられるかもしれない。実際、今日でも聖書の上で容器を叩きながらレメディを製造している製薬会社もあるという。
 なお、この「叩く(震盪)」という行為はレメディ製造にとって必要不可欠の作業であり、後に詳しく考察することになるだろう。
 いずれにしろ、ホメオパシーそのものは、文字通りの意味で「魔法」などではなく、道理に基づいた科学的な理論体系であり、アート(技術)に他ならない。
 このように、従来の科学理論の枠組みを越え、一見すると怪しく神秘的で、魔術的でさえあるにもかかわらず、世界中の絶大な信頼と支持を勝ち得たホメオパシーは、いったい誰が、どのようにして編み出したのだろうか?
 次に、それを見てみることにしよう。


レメディの原料は、鉱物・植物・動物・その他、多種にわたる。右はアコナイトと呼ばれるレメディの原料である猛毒のトリカブト。左はラケシスと呼ばれるレメディの原料であるブッシュマスター。



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