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                    探求の光(第1話)

 この物語は、意識の悟りに伴う「二元性の統合」をテーマにしています。この「二元性」が、二人の天使によって描かれており、一人の求道者が二人の天使に導かれながら真理を探究していくという、宗教的・哲学的な内容になっています。

 正反対のものが一致したところに真理はある

 東の方角へ向かって長いあいだ旅をしているときのことだった。
 ふと空を見上げると、二人の天使が雲の間から姿を現し、私の方に向かって降りてくるのが見えた。 「やあ、天使さん、君たちはいったいどこに行くの?」
 「君たちだって?」。天使たちは互いの顔を見つめ、一瞬ためらった表情を浮かべたが、すぐに愛らしい笑顔に変わって、ふたりはまったく同時に声をそろえてこう告げた。
 「私は二人に見えるかもしれませんが、実はひとりの天使なのですよ」
 私は困惑して言葉を返した。
 「そういうけれど、どう見ても二人にしか見えないけれどなあ」
 二人の天使は、少しとまどい、少し愉快な様子であった。
 「天国では、私は、ひとりなのです。けれども、地上に降りてくると、地上の人間たちには二人に見えてしまうのですよ」
 「たしかに君たちはそっくりな顔かたちだけれど、双子なんですか?」
 「双子ではありません。今いったように、私はひとりなのです。でも、よくごらんなさい。私は、、、いえ、とりあえず“私たちは”、といいましょうか。私たちは少し違うのです。気づきませんか?」
 そういわれてしばらくふたりの天使を見つめてみた。すると、たしかに髪型が少し違う。一方は左に髪が流れ、片方は右に髪が流れている。
 「気づいたようですね。私たちは、ちょうど鏡で映したように、反対になっているのです」。
 私は内心、彼らを「兄弟関係」ならぬ「鏡像関係だな」などと思って愉快になった。すると天使たちは一緒になって笑った。
 「なるほど、面白い表現ですね。鏡像関係だなんて」
 「君たちは、心が読めるのですか?」
 「ええ、透けて見えるようにね。あなたの思い、あなたの考え、すべてわかりますよ」。
 自分の心の中を覗かれるというのは、裸を見られているようで居心地が悪いものである。そそくさと別れを告げて先に進もうとした。すると彼らはこういうのであった。
 「ちょっと待ってください。私たちはあなたを助け導くためにきたのですよ」
 次に、左の天使だけがこういった。
 「真理を見いだすには、神の助けがなければ無理です。私たちは、神の導きの啓示をあなたに授けるために来たのです。私たちの言葉を信じ、神の恩恵にすがることで、あなたは遠い彼方にまで道を歩むことができるでしょう」
 ふたり同時にしゃべるのかと思っていたら、別々にしゃべることもあるのだなと思っていると、今度は、右の天使が口を開いて次のように語った。
 「真理に到達し、救いを得るには、自分以外の何者にも依存してはいけません。自分の力を信じ、自分の足で歩まなければなりません」
 私は困惑した。二人のいうことはまるで違う、正反対ではないか。
 「おいおい、君たちは本当に“ひとりの天使”なのかい? いっていることがまるで反対じゃないか?」
 すると今度は、二人は声を合わせて同時に次のように語った。
 「ああ、地上というところは、なんてめんどうなところなのでしょう。私が天国の真理について語るときには、ここではいつでも正反対の言葉に分裂してしまうのですから」
 私はもう、何がなんだかわからず、めまいがしてきた。
 「いったいどっちなんですか。真理にたどり着くには、神にすがる他力の道と、自分の力で歩む自力の道と、いったいどちらの道を歩めばいいのですか?」
 すると右の天使は「自力の道です」といい、同時に左の天使が「他力の道です」というのであった。
 私は言葉を失ってしまった。気の毒そうな顔をした天使は、一緒に次のように語り始めた。
 「かわいそうな人間たち。あなた方は、右が正しいといえば、右が正しくて左は間違っていると思う。左を示せば左だけしか見ずに、右には目を背けてしまう・・・」 
 続いて右の天使がいった。「けれども、真理というのは、右の中にも左の中にもないのです」。次に左の天使がいった。「真理というのは、右の中にも左の中にもあるのです」
 私は頭を抱え込んでしまった。するとまた二人の天使が同時に話した。
 「私たちは、あなたに道を照らす光をもたらしにきました。光はいつでも、正反対のものが一致したところに生まれるのです。どうか、それを忘れないでください。私たちの矛盾した、対極的なメッセージの試練を、どうか乗り越えてください。この地上世界は“鏡”の世界なのです。もしも“A”というものがあったら、“反A”が必ず生まれるのです。もしもあなたに「自分」というものがあれば、必ず“反自分”、つまり他者が存在するのです。けれども真理は、自分と他者という分裂した領域にはありません。私たちの、道を照らす光は、常に矛盾した言葉によって運ばれてきます。けれども、それを矛盾だと感じられる領域を越え、両者はひとつだと見ることのできる方向を見いだしてもらいたいのです。真理の探究は、矛盾対立した相反する事象を乗り越えていくことによって為されていくからです。

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