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                    探求の光(第10話)


 馬鹿に見えるくらいでなければ、真の道者ではない

 道の途中、私はひとりの老人と出会った。老人は一通の封筒を手渡して、これを丘の向こうに住むだれそれに届けてくれないかといった。
 私は、その老人の、深く刻まれた顔と真剣なまなざしを見て、きっとよほど大切な手紙に違いないと思い、引き受けることにした。老人は感謝の涙を浮かべ、震える手で私に手紙を差し出した。
 そうして、私は道を歩み始めた。太陽が昇り、暑さが厳しくなっていった。何という土地であろう。昨日は冬のような寒さ、今日は夏のような暑さなのだ。私は木陰で一休みした。そのとき、ポケットから手紙が落ちて、風で飛んでいった。私はあわてて手紙を追いかけた。手紙は上昇気流に乗り、高い木の上の枝にひっかかってしまった。いくら木を揺すっても、落ちてこない。仕方なく木によじ登った。だが、半分くらい昇ったところで足を滑らせ、そのまま落下して、腰を嫌と言うほど打ち付けてしまった。激痛が走った。脳裏に、もうあの手紙のことなんかあきらめてしまおうという考えが浮かんだ。しかし、それでは無責任だと思い、もう一度、木に登った。そして苦労の末、ようやく手紙に手が届くまでになったとき、手紙はスルリと枝から抜けて、そのまま下に落ちていった。
 下を見ると、何とその手紙を、ウサギがくわえて走り去っていくではないか。私は急いで木を降りた。そのとき、またして足をすべらせて顔を擦りむいてしまった。うさぎは手紙をくわえたまま、林の中をおそるべき速さで疾走していった。私は息を切らせながらあとを追いかけた。しかし、とうとう見失ってしまった。
 「仕方がない。あの老人には申し訳ないけれど、手紙はあきらめてもらおう」
 だが、あの老人の顔、感謝を込めて涙を流したあの顔を思い出すと、心が痛んだ。あの老人は期待しているだろう。それを裏切ってしまっていいのか? 仕方なく、私は何時間も森の中を探し回った。腰の痛みと、すきむけてヒリヒリする顔の痛みに耐えながら。草の中をかきわけてはのぞき込んでいる私の姿を、ときおり通りかかる人が、嘲笑するかのような顔つきを浮かべて過ぎていった。私は恥ずかしい思いでいっぱいになり、いったい何でこんなことをしているのかと、自分が馬鹿に思えてきた。きっと通りすがりの人たちも、私を馬鹿だと思ったに違いない。
 とうとう日が暮れて真夜中になった。幸い満月が出たので、手紙を探すことができた。きっとどこかに落ちているに違いないと期待しながら。だが、ついには疲労に耐えきれなくなり、もう諦めてしまおうと思った。そのとき、前方に白いものが落ちているのが見えた。急いでかけよってみると、それは探し求めていた手紙であった。私は狂喜した。ただし、封筒は破れ、中から一枚の便せんがはみ出していた。そしてするりと便せんが落ちた。私はそれを拾い、封筒の中に入れようとしたが、そのとき折り畳んであった便せんが開いた。何気なく見て驚いた。そこには何も書かれていなかったのである! つまり、私は何も書かれていない、一枚の白紙を届けていたのだ。それを苦労して探していたのである。
 私は、あの老人にからかわれたのかもしれない。そう思うと、自分自身がいよいよ馬鹿に思えてきた。あんな手紙、とっくにあきらめてしまえばよかったのだ。というより、頭のいい人なら、最初からあのような依頼など引き受けなかっただろう。お人好しというか、馬鹿というか、私は情けなくなった。
 するとそのとき、森を明るく照らしながら、二人の天使が舞い降りてきた。右の天使がいった。
 「馬鹿でありなさい。ならば、馬鹿に徹しなさい。こうときめたら、それに徹しなさい。あきれるくらい誠実でありなさい。うまく立ちまわろうとしたり、頭のいい者になろうとしてはいけません。その場その場で、自分に有利なように右についたり左についたり、考えを変えてしまうような、統一性のないことではいけません。それならば、馬鹿になりなさい」
 続いて左の天使がいった。
 「馬鹿に見えるくらいでなければ、真の道者とはいえません。物事を大局的に、広い視野から見つめて生きる人は、しばしば馬鹿に見えるものです。なぜなら、目の先のこまごまとした障害などは平気で忍耐して進むからです。頭のいい、小賢しい者は、その小さな障害をいちいち避けて通ってしまいます。そのたびに得をしたように見えるかもしれません。けれども、そのたびに彼らは道を曲げているのです。そしてついには、大きく道をそれてしまうのです。ですから、あなたにいいます。たとえ岩があっても、道を曲げ、よけて進むよりは、それを乗り越えてまっすぐに進みなさい。さあ、それでは、仕事を完結しなさい。すなわち、その手紙を届けるのです」
 私は、何も書かれていない白紙の手紙を届けることに何の意味があるのか疑問に感じながらも、とにかく宛先の人物の家に向かった。呼び鈴を押すと、ひとりの女性が出てきた。私は封筒が破れてしまった事情を告げて手紙を渡した。白紙の手紙を見た女性がいった。
 「ありがとうございます。これは父からの手紙です。父は、手が震えて文字が書けません。しかし、自分が元気で生活していることを私に知らせるために、毎月、白紙の手紙を送ってくれるのです。今回も、これで父が無事でいることがわかり安心しました。本当に、どうもありがとうございました」

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