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                    探求の光(第16話)


 単独で存在することの中に美しさの意味がある

 私は、自分が困っている人を助ける善人であり、神様は、そういう善人こそ苦しみを与えて愛してくれるということで、数々の苦労に満ちている自分は、いわば「エリート」なのだと思って嬉しくなっていた。
 そんなことを考えながら、静かな草原の丘にある一本の木陰で休んでいた。ここは、人の歩く道からけっこう離れた場所で、もしかしたら、人間が足を踏み入れたのは、私が初めてかもしれない。そうしていると、いつものように天使が降りてきた。
 右の天使がいった。
 「人間が生きる意味というのは、常に自らの存在をすばらしいものにして、常に他者との関係において影響を及ぼしていくことです。すなわち、世の中には、あんなにすばらしい人がいるのだと、そのように思ってもらうことが、人間の存在する意味であり、幸せなのです。そういう生き方をめざすべきなのです」
 確かにその通りだと思った。先日、私はお金をあげて貧しい人を助けた。きっと彼は、私のような人間がこの世界にもいるのだと知って、お金をもらったことはもちろんのこと、この世界も捨てたものではないなと思ってくれたに違いない。私はそのようにして、この世界に対して善い影響を及ぼしているのである。それは、なんてすばらしいことなのだろう。私はこれからも、そういった自らのすばらしさを世の中に表現していくつもりである。そうして、私の存在によって、周囲の人たちを導いてあげるつもりだ。
 そんなことを思っていると、今度は左の天使がいった。                           
 「あれをごらんなさい・・・」
 天使が指をさした方を見ると、私の背後のすぐ近くに、一輪の美しい花が咲いているのが見えた。
 「もしも、自分のすばらしさを他の人たちに見てもらい、評価してもらえなかったとしたら、生きる意味も、存在する意味もないのでしょうか? ならば、あの花は、今までだれの目にもとまることはありませんでした。あの花の存在する意味はなかったのでしょうか? あの花には価値がなかったのですか?」
 そういわれて、困ってしまった。確かにあの花は美しい。その美しさには絶対の価値があると思う。たとえ、誰の目にもとまらなくても、それは変わることはないだろう。けれども、その存在の美しさを周囲に理解されることがないならば、価値がないのと同じではないのだろうか?
 左の天使は続けた。
 「もしもあの花が、“どうですか、私はこんなにも美しいのですよ、こんなにもすばらしいのですよ、見てください。わかりますか、私のすばらしさを!”なんて訴えながら咲いていたと考えてごらんなさい。いくらその姿が美しくたって、見る者はうんざりしてしまうでしょう。あの花は、人に見られるために、自らを美しくしているのではないのです。あの花が美しく咲いているのは、ただ自分自身であり続けた結果にすぎません。人に見られようと、見られまいと、その花は美しく生きるでしょう。そのような、単独で存在することの中にこそ、周囲に対して真に深い影響を及ぼす本物の価値と意味が生まれてくるのです」
 私は、何もいわないこの一輪の花を見つめながら、自分の自惚れの醜さを恥じた。この一輪の花は、偉大なる教師のように、貴重な教訓を示してくれた。

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