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                    探求の光(第2話)

 禁欲主義か快楽主義か

 右の天使がいった。
 「肉体は、魂の乗り物です。あなたがクルマの手入れをするように、肉体の手入れをしなさい。あなたはクルマとなると、とても神経を使うではありませんか。オイルやフィルターを定期的に交換したり、バッテリーが上がらないように、ときどき走らせたりしますね。タイヤの空気圧のチェックも忘れないはずです。性能をアップするために、どのようなオイルを入れればいいのか、長い時間をかけて研究もします。そうすれば、あなたのクルマは、いつまでも高い性能を発揮できて寿命がのび、快適なドライブができるからです。それに比べて、あなたは肉体に対しては何と無頓着なのでしょう。どのようなオイルを入れればクルマにとっていいのかは真剣に考えても、どのような食物を摂取すれば肉体にいいのかは、あまり真剣に考えません。長い間クルマを動かさないと性能が落ちるといって心配するくせに、長い間運動しないと肉体によくないとはあまり考えませんし、考えても実行に移しません。ピカピカに洗車してワックスを丹念にかけるくせに、肉体はちょっとくらい不潔で身だしなみが乱れていても平気なのです。けれども、クルマなどよりも、肉体の方が、ずっと大切なはずです。肉体は魂のクルマなのです。実際のクルマを扱うように、それ以上に、肉体を扱いなさい。快楽のために暴飲暴食して性能を劣化させないようにしなさい。適度な運動をさせなさい。
 肉体を、快楽を得る手段にしてはいけません。肉体は、神の愛を表現する媒体だからです。だから、いつだって神の愛の、その清らかさ、その暖かさ、その美しさ、その気高い気品を表現し、実行できるように、常にベストなコンディションでいなさい。肉体はあなたの乗り物なのです。あなたが乗り物を操縦するのであって、乗り物に操縦されてはいけません。肉体的な衝動をうまくコントロールする方法を学びなさい。神の愛にそぐわないような肉体的欲求は、断固としてそれを拒否しなさい」
 すると今度は、左の天使がいった。
 「肉体はモノではありません。肉体は道具でも僕(しもべ)でもありません。肉体もまた、いたわりと優しさを求め、自らを表現することを望んでいます。肉体の欲求に目を背けてはいけません。肉体の欲求を悪だとか罪だとか、汚らわしいだとか、恥だといって退けてはいけません。肉体の喜びを味わいなさい。肉体の感触に敏感でありなさい。肉体を感じなさい。肉体とひとつになりなさい。地に足をつけ、この物質世界で肉として生きなさい。肉体はあなたの一部なのです。肉体にとって気持ちよいことをしなさい。肉体を通してこの世の喜びを味わいなさい」
 私にはどうも、右の天使が「禁欲主義」、左の天使が「快楽主義」を説いているように聞こえた。いったいどちらが真実の道だというのか?
 「両方とも真実の道ですよ」
 二人の天使が同時にいった。そういったって、どちらも正反対のことをいっているではないか。
 「矛盾対立した言説が、矛盾でも対立でもなくなる意識のレベルがあるのです。そのときあなたは、二 人に見える私たちの姿が、ただのひとりに見えることでしょう。私のいわんとする真意が理解できるでしょう。その意識レベルに目覚めなさい」

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