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                    探求の光(第15話)


 神の愛は偽装されてやってくる

(二人の天使は、私が困っている人を助けたことを神様に報告するために天国に戻っていった。
 天国の領域に入ると、二人の天使は合体して一人の天使になった。天使の報告を聞いた神様は、この男、すなわち私に、褒美を差し上げようといった。そして、「この男に幸いあれ!」と、愛の念を私に向かって放射した。その光は一条の線となって地上に向かっていったが、天使と同じように、地上の領域に入ると2つの光線に分岐した。
 ちょうどその頃、私はある大きな町中の市場にいて、こみ上げる雑踏に息苦しさを覚えていた。すると突然、アクセサリーの小物を売っていた店員が、私に向かって怒声をあげた。
「おい、おまえ、店の品物を盗んだだろう!」
 「なんだって、私はそんなことはしていない!」周囲の人たちの目が、すべて自分に向けられるのを感じた。どの目も、私を泥棒とみなしているのがありありと伝わってきた。
 「ならば、ちょっとポケットの中をみせてもらうぞ」
 店員はそういうと、無理やり私のポケットに手を入れてきた。そして叫んだ。
 「いったいこれをどう説明する気なんだ?」
 見ると、私には覚えのない店の品物が入っていた。私には何がなんだかわからなかった。
 「知らない、私は盗んでなんかいない!」
 弁明の余地もなく、私は血の気の多い店員と何人かの群衆から袋叩きにあってしまった。誰一人として弁護してくれる人も、助けてくれる人もなかった。私はボロボロの姿になり、周囲の人たちのあざけりを受けながら、これ以上はないという屈辱を胸に抱いて、その場を立ち去った。
 「どうして、こんな目に遭わなければならないのだろう。私が何をしたというのだろう。私はむしろ、人を助けたのではなかったか? なのに、その報いがこのような苦しみなのか?」
 私は世の不条理にやるせない気持ちでいっぱいになった。そして、人間というものが信じられなくなった。だれかが私を陥れるために、ポケットの中に品物をこっそりと入れたのだ。なんてひどい奴なんだろう。それに、みんな私を泥棒と決めつけて、暴力を振るった。だれも助けてくれなかった。人間なんて、なんてひどいのだろう。こんな世の中で道を探求することに、いったい何の意味があるというのだろう」
 私はひとり森に入った。だれもいない静かな森。人間嫌いになった私にふさわしい場所だ。さんざん叩かれて痛みの走る身体を横たえながら、私は世の中を呪いながら眠りについた。
 すると、胸の奥の方から、何やらキラキラ光るような感覚がこみ上げてきた。それは私の心に不思議なほど平和な気持ちをもたらした。そしてその光のようなものは、こうつぶやいているような気がした。
 「それでも私は人間を愛することをやめない・・・」
 なにをいっているんだ! 腹立たしくなった。頭がおかしくなったのかもしれない。あんな目にあっておきながら、それでも人間を愛するだって?
 そうして再び眠ろうとした。だが、繰り返し光のようなものはつぶやき続けた。
 「それでも私は人間を愛することをやめない。それでも私は世界に向かって歩いていく」
 その声は、ささやきのように小さなものであったが、決して消えることのない力強いものであった。
 繰り返し聞こえてくるその声に耳を傾けていると、なぜか涙が溢れるように流れてきた。その涙は、私の心も身体も洗い清めてくれるかのようであった。そして、ついに私はその声と合体した。
 「そうだ、私はそれでも人間を愛することはやめまい。それでも私は、世界に向かって歩いていこう!」
 それは、理屈ではなかった。ただ、そのような強い決意が生まれたとしかいえない。それが自分本来の生き方だと納得したのである。
 いつのまにか朝日が昇っていた。私は立ち上がって、深呼吸をした。生まれ変わったような気持ちになった。何というすばらしく満たされた気持ちだろう! 自分が自分に戻ったような自信と誇りが生まれた。やがて、朝焼けの雲の間から二人の天使が舞い降りてきた。
 右の天使がいった。
 「あなたが昨日受けた苦しみは、神様からのプレゼントだったのですよ。あれは神様の愛の現れだったのです。私たちと同じように、天国からやってくるものは、この地上では2つに分裂してしまうのです。神の愛も、この地上に降りてくると、喜びと苦しみの2つに分裂してしまうのですよ。ですから、ときに神の愛は、苦しみという形で訪れてくるのです。だから、もしも自分に非がないのに苦しみが訪れたなら、それを喜びなさい。それは偽装された神の愛だからです。その苦しみは必ず喜びを生むのです。だから、ひたすら忍耐強くありなさい。その苦しみが深ければ深いほど、神の愛も深く、その苦しみが強ければ強いほど、神の愛も強く、そして後に訪れる喜びも深くて強いのだと思いなさい」
 続いて左の天使がいった。
 「神様は、真に善い人であり、ますます向上していく可能性をもった高い資質をもつ人にしか、苦しみをプレゼントされません。どんなにお願いしたって、善が不足している人、向上する可能性の薄い人、弱い人には、苦しみをお与えにならないのです。つぶれてしまうかもしれないからです。神様は、そういう人には世間的な喜びと幸運をお与えになります。彼らはそれで満足しているように思うかもしれませんが、彼らの魂は、苦しみを与えられた魂をこそ、むしろ羨ましがっているのです。なぜなら、その苦しみこそがまさに、神の愛の喜びをもたらすからです。苦しみを受け入れたとき、神の愛が目覚めるからです。そしてその喜びの深さは、地上でのいかなる幸運といえども、比較にはならないからなのです。魂にとっては、そうした喜びこそが、まさに最大の恩恵だからです」

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