rain tree homeもくじ最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack Numberふろく執筆者別もくじ詩人たちWhat's New閑月忙日最新号rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
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6月に見つけた花 「おまけ」6月に見つけた花2000.6.29

関富士子の閑月忙日 2001年 6月
 6月29日(金) 蛍

蛍の光生まれ故郷の福島に住む古い友人が亡くなった。ご主人の電話で知らされ、昨日の朝、新幹線でかけつけた。自死である。心を病んで3か月入院し、退院したばかりだという。やりきれない。向こうは告別式の前に火葬を済ませてしまう。柩の蓋をするとき、年老いた父と母が、娘の名を呼びながら、節くれた指で、彼女の青白い頬や額に触れていた。なんとむごいことだろう。火葬に立会い、お骨を拾って、告別式を終え、当時の友人たちとお茶を飲んで、くたびれて実家に帰った。

夕食の後、母が、今ごろ蛍が出ているはずだから見にいこうと言う。こんな時期に帰省するのは珍しいのだが、蛍の季節だったのだ。何年蛍を見ていないだろう。目のつんだ座敷ぼうきと袋をもって裏山沿いの田んぼにぶらぶら歩いていく。田んぼの畔のあちこちで、ちかちかと蛍が光っている。なんとはかない美しい輝きだろう。一時見られなくなったが、最近農薬を控えるようになって、また蛍が帰ってきたのだという。ふんわりと飛んでくるのを母が「ほーたるこい」と言いながらほうきを一振りする。ほうきの粗朶に蛍が挟まったまま光っている。おもしろいように捕れるが、2匹だけ袋に入れて、家で待っていた父や妹夫婦に見せてから庭に放す。甥や姪は三人とも大学生で、すでにこの家を離れている。
叢の蛍、ピンボケ
小学生のとき、学校でのいじめがなかなかやまずに、母に死にたいと訴えたことがある。母は覚えているだろうか。そのころ、家には厳格な祖父とボケ始めた祖母と、分裂病を病んで被害妄想の叔母が同居していて、母はどんなに苦労だったか。その母は、子が親より先に死ぬのは、いちばんの親不孝だと、と泣いて戒めた。そのときわたしは、どんなことがあっても母より先に死んではいけないのだと知ったのだっけ。
父と母
蛍狩りを終えて夜道を帰りながら、明日はホトトギスが、ポットオッカケオッカケタグジュグジュグジュと鳴くのを、わたしに聞かせたいと、母が言う。ポットが欠けてとても悲しそうに、グジュグジュ泣くんだよーと言うので、おかしくて二人で笑いあった。

父母と枕を並べて眠った明け方、激しい雷と雨が二時間ほど続いて、ホトトギスは鳴かなかった。でも、父の作ったレタスとアスパラガスとトマトを食べて、元気をもらって帰ってきた。わたしはいつまでもあなたたちの娘です。


 6月27日(水) 更新のお知らせ

<ことばのあやとり>に、品評会 桐田真輔
をアップしました。横糸ありそうで考え中。
それから、関富士子のかかとに羽もつ六人の勇者がに、桐田真輔さんが、イラストをかいてくださいました。桐田さんありがとうございます。

<詩を読む>に、詩はどこまで自由になれるか 中上哲夫
(ロバート・ローエル詩集『その日その日』を読む)
をアップしました。
中上哲夫の<告白詩>の出どころがわかったみたい。

  6月22日(金)

愛し合うシジミチョウ 黒目川の川原は繁殖期。







 6月20日(水) 更新のお知らせ

ハルノノゲシとアブ <詩>に、中上哲夫、「愚かしくもおかしくて素敵な日々」より、
こんな新入社員だったのさ
兄という存在
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<詩を読む>に、関富士子、
倉田良成詩集『六角橋ストリート・ブルース』を読む
をアップしました。

 6月17日(日)

夕方、リビングの明かりをつけてぎょっとした。ベランダ近くに、羽を毟られた小鳥の死骸がちらばっていたのだ。1cmぐらいの小さな丸裸の頭、細い首の骨が折れ曲がって、そこを噛まれたことがわかる。翼も毟られ、小さな2本の脚も無残に折り重なっている。そばにチャコ(犬)が座って、キョトンとこちらを見ている。鳥など捕れないと思っていたのに、お前の仕業か。傷ついた小鳥だったのだろうか。そういえば、昼過ぎ、チュン、チュンと元気な雀の鳴き声がすぐ近くで聞こえて、おや、小鳥が遊びに来たかな、と思ったのだが、すぐに静かになったので忘れてしまっていた。犬が小鳥を襲っている気配など少しも感じなかったのに、隣の部屋でこんな惨劇が起きていたとは、・・・。

年を取るごとに、死というものに出会うのがつらくなる。若いころはなぜあんなに無神経で人の苦しみに鈍感だったのだろう。自分のことにせいいっぱいで、人の人生に思いを巡らせることができなかった。自殺を美化するわけにはいかない。聞いたばかりは激しい怒りがこみあげる。でも少したつと、言い知れない無力感でいっぱいになる。死の近くまで行ってしまう心の軌跡を思いえがくことができる。自分もかつてその道をたどったことがあるという思い。そこから彼を引き戻せるのは、ほんとうに彼のすぐ近くにいる人だけなのだから。

おととい、ネットで知り合った若い詩人が自死したことを知ったばかり。なんといったらよいか言葉が見つからない。詩集『空中ピエロ』を送ってくださったり、わたしの詩集を買ってくださったり、相互リンクをし合ったりというお付き合いで、何回かメールのやりとりがあった。しかしわたしは彼の心の奥を知るべくもなかった。秋田県の詩人、佐々木誠さん、ご冥福を祈ります。佐々木誠のHP「魂響(たまゆら)」

 6月13日(水) 更新のお知らせ

ツバメノシジミ? <詩>に、関富士子
机と椅子のある庭 縦組み縦スクロール表示

中上哲夫「愚かしくもおかしくて素敵な日々」より
ホモセクシャルな男の部屋に泊まったことがある
十九歳にもなってどうしてこどもが産まれるのか知らなかった
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をアップしました。中上哲夫のエタ・セクスアリスといったところか。


 6月10日(日) no.20感想集(6月1日の欄) 追加

6月1日にアップした"rain tree"20号へのご感想、うっかりして、掲載をし忘れていたものがありました。☆さんごめんなさい、確かに読んでいました。今6月1日の欄にあわてて追加アップしました。いつもいつもあなたのお言葉に励まされているのに申し訳ないことをしました。なにとぞお許しを・・・。ほかにも、BBSやメールで送ったのに載っていないという方、お知らせください。6月1日以降の分は未掲載です。また、匿名でも私信は載せて欲しくないとおっしゃる方はすぐに削除しますのでおっしゃってくださいね。匿名にしなくてもいいよ、という方もお知らせください。この感想集は、今回限りの思いつきなのですが、今後継続したものかどうか、書いてくださった方の反応を見て考えます。

6月7日(木) 家出少年D

昨日のこと、ぐうたら少年が学校をサボって寝ていたのはいいが、部活には行くというので、ついでに酒屋へ寄って、わたしの仕事の原稿を宅配便で送ってほしいと頼んだ。夕方気づいてみると、ビデオを見ていて部活には行かず、わたしの大事な原稿が、ベランダにほおりっぱなしになっていた。前の晩1時までかかってようやく仕上げた仕事である。宅配の集配に遅れれば締め切りに間に合わない。ついにキレて、どうしてくれんのよーと、思わず少年の頬をひっぱたいた。

大事な仕事をぐうたら息子に頼んだわたしが悪い。郵便局の本局は7時までやっているので、速達なら間に合う。ちょっと高いが仕方がない。雨の中を合羽を着て自転車をこいで行く。ゆうパック翌日10時配達便というのがあるというのでそれで出してきた。2キログラム以内で1000円。宅配より高いが、夕方7時でも間に合うのがよい。今度からこれで行こう。

少年はといえば、深く後悔した様子でうなだれていたが、家を出ていって夕べは帰ってこなかった。こんなことは初めてだが、友達のところだろうと思ってほおっておいた。今日の午後になって電話があって、ぼそぼそ話すので聞いてみると、大学を辞めたいという。もう飽きたのか。早いね、まだ入って3か月である。夕べは公園で野宿をしたそうだ。ホームレスの気持ちが少しはわかったか。家を出て働いてボクシングジムに通うという。ありがたいことである。さっさと仕事を探しなさいと言って電話を切った。夕方帰ってきた家出少年、ぼそぼそご飯を食べているのを見ていると、子育てももう終わりかと感慨深い。


 6月6日(水) 更新情報


白いコイ <詩>に、中上哲夫「愚かしくもおかしくて素敵な日々」より
人生でもっとも退くつな日
ぼくはそういうふうにはできていないんだ
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<詩を読む>に、
見たものを言葉に 関富士子
宮沢賢治「小岩井農場」を読みながら
<雨の木の下で>に、
詩の催しもりだくさん
をアップしました。


 6月1日(火) "rain tree"vol.20感想集 詩誌、詩集発行情報

クサガメ「クリ」埼玉は雨がちで早くも梅雨を思わせるこのごろですが、みなさまいかがお過ごしですか。冬眠の熊みたいにファットになってしまった体型をなんとか夏向きにと思いつつ、努力は嫌いなわたくしです。クサガメのクリとメガも元気です。

紙版"rain tree"にいつもご感想ありがとうございます。うれしく、かたじけなく読んでいます。私信なので公開は控えていましたが、せっかく毎号ていねいなお言葉をいただいているので、もったいないので、たまにはその一部をご紹介してみようかと思います。なにとぞお許しを。あざみ書房としみりんHPのBBSに書いてくださったものも集めました。了解を得ていないので匿名で・・・。みなさま、ありがとうございました。

紙版"rain tree"no.20には、<詩>「梅を見に」関富士子、「挨拶詩」3篇中上哲夫、<詩を読む>「恐ろしくて」(北村太郎「幼年の日の記憶」を読む)関富士子、<雨の木の下で>「ロマンチストとモダニスト」中上哲夫、「ピクニック」関富士子を掲載しています。なお、下で言及されている「Zwar」1掲載の「絵暦さくら印の日に」はまだネット版"rain tree"には掲載していません。

☆さん 「梅を見に」山歩き詩編ですね。関さんの詩の世界。その地図がだんだんできあがっていくようだと思いました。中上さんの「ロマンチストとモダニスト」,勉強になりました。楽しく文学史を教えてもらったみたいです。(6月10日追加)

Aさん あなただけのことではないのですが、レイントリーのお作よりツヴァールの方がずっとよいと思う。そういうデコボコが目立つような気がする。中上さんくらいの活字と余白のバランスが取れているのが好きです。作品が長かったらゲストぬきではいかが。本篇とイメージがダブルのでピクニックはいらないと思います。<詩を読む>はあなたが日頃眼をみはることに耐えていることがよくわかりVサインです。

Bさん 北村太郎の詩は季節のアンテナがピンピン張りめぐらせられているようで、読んでいるうちに同調してしまっているのに気づきます。好きな詩人の一人です。

Cさん guiお作、「植物地誌」も「梅を見に」も足をつかってお書きになった詩で、たいへんリアリティがありますね。

Dさん 「梅を見に」ここかしこに小さな裂け目があり、かぜに押されて振り返りたくなる怖さがありました。「絵暦さくら印の日に」自在な裂け目が怖さとやさしさと、ずれつつ風に包まれるようでした。

Eさん インターネット版で沢山の工夫をこらし現代詩も関さんたちの時代と、たのもしく思います。深く潜行する中上氏を浮上させる魅力ある個人誌でお作品はもとよりエッセイ共おもしろく拝見いたしました。わたしも三度高麗の里を訪れ、彼岸花の咲く異土の感がありました。

Fさん 「梅を見に」あるく速度で書かれた(あるく速度で読む)作品。と、同時に思考のスピードと移動する視線とともに展開していく風景がリズムと息づかいに融けあって、詩に生命を吹き込む。宮沢賢治をおもわせるようなスリリングな転調を、からだで読み、どきどきしました。中上さんの「父と母のいた正月」も傑作。グリムの「いばら姫」をなぜか思い出しました。

Gさん 先日は失礼しました。楽しんだご様子でよかったです。梅見にピクニックに、行くたび詩が落ちてるのか成ってるのか「ただは行って来ない」のですね。

Hさん 「梅を見に」はあなたさまらしく明るく健康な感じがします。私の明るいというのはアテにならないらしく、或るところで私が「明るくてのどかだ」と言ったら、「これはとても怖い詩だ」ということになったのです。だから違っているかもしれませんが。中上哲夫さんの三つの詩は三つとも面白いです。こういう挨拶をもしもらったら、私だったら笑っちゃいます。嬉しくなります。「父と母のいた正月」の中でどさっと重い物が落下するような・・・」のところは、ドキッとして何物かが死んで倒れる音か、あるいは自分の生命の終わりかと感じます。

Iさん 中上哲夫氏の軽妙な詩、面白いです。「父と母のいた正月」の”台所の方でどさっと重い落下する音がすごいです。なにげない日常の続きに、突然、変事が起こって。と人生こんなものですよね。関さんの「梅を見に」の”メンドリを抱いた女”の登場(同席)が面白いです。北村太郎の詩そこはかとなくこわいですね。「港の人」もいのちをみつめていて、こわかったです。

Jさん 「梅を見に」は好きな詩です。風景やありさまが流れるように描かれていて、このましい夢をみているようでふわふわします。さいごに蝋石も買っていいなあと思いました。北村さんの詩は私も時々読んでいます。きっとこれからもずーっと時々読むと思います。

Kさん 雨木20号と津張1号御禮。梅見程良く剪定され恰好が定まりました。中上哲夫氏小ワザも巧み。メタフィジィカルな墓参の「絵暦さくら印の日に」、ちょっとシャに構えて、それでいて関さんのホリの深さ感じました。

Lさん Zwarの「絵暦さくら印の日に」は関さんは”移っていく”ことをしない分、その得体の知れなさが好きでした。「梅を見に」の詩は、関さんが”移っていく”ので、ちょっと一緒についていきましたよ。

Mさん 「絵暦さくら印の日に」は毒があって「ママヨ・・・」で始まる行が好きでした。

Nさん 言葉に対する鋭い感覚とは、よく言われもする言い方ですが、私自身もそのように言いながら、それは一方で、言葉に対して意味を与えるのは、その言葉に向き合った人によるのではなく、言葉というもの自体が鋭く迫ってくるものを持っているのであり、人はそれぞれに、自分の都合でそれを拾い上げたり掬い取ったりまた、急いで離したりして、つきあいを重ねているのだと、そんなふうに思うときがあります。人の感性からの視点に立ってのもの言いと、大同小異のようでもありますが、付き合い方においては、これはかなり距離のあることではないかと。といった感慨を押し流すように、中上さんのお作は、私にはお洒落な詩と映る。最近あまり見かけなくなったこのおシャレは、私自身が表現できそうにないものだけに、それだけ読んで私もお洒落の時間を持つことができるというものです。

Oさん ネット版「rain tree」20の「地上の人に告げて」もそうなのです。めまいがしそうな爽やかさがあるのに、それでは何が・・・というと、何が何だか返答に窮します。こんな時、詩は、どんな風に語られればいいのでしょうか? 又教えて下さい。「Zwar」のエッセイもなかなか面白かったです。それから後になりましたが、中上哲夫さんの詩、面白かったです。あまり読んだことがなかったのです。

Pさん 今号は「梅を見に」の詩が怖くて面白かったです。こんな詩を読むと、関さんのエネルギーを、四方に発散させるのが、おしいような気もして。でも、rain treeこそがエネルギーの源なのかしら。ある時期集中して、書下ろし詩集を作ってみたら….なんて、思いました。単なる私の親心的勝手な思いつきです。みんな楽しみにしているマガジンですもの。陰ながら応援しております。

Qさん 中上哲夫さんがゲストですか。お元気なようですね。「挨拶詩」なんて面白いはっそうですね。「梅を見に」。楽しそうですね。今年は見そこなってしまいました。近所に梅の公園があるのにです。ぐうたらが身についてしまったようです。

Rさん 「梅を見に」は硬質で、押し殺した感情が背後にあって、人を不安にさせる怖さがありました。それが、関ワ−ルドなのだと思いました。北村太郎の「幼年の日の記憶」を取り上げられたのも、何かお二人に通底する感性があるのだと思いました。中上哲夫氏のでは、「父と母のいた正月」がいいと思いました。折り句はこれから時間をかけて、楽しませていただきます。

Sさん 〈梅を見に〉さまざまな音が出てくるのに、詩を支配しているのはふしぎな沈黙なのに惹かれました。

Tさん 中上哲夫さんの詩を簡単でいい.といいましたが、紙版のレイン・ツリーを読んで、簡単な詩ではないと分かりました.「ロマンチストとモダニスト」を読んでもあきらかですね。ぼくはインテリじゃない、簡単ないい詩を書く人というイメージの方が良かったのですが.

Uさん お作品のなかに、自然の声を聞きました。歩いていると、聞こえてくるのですね。それが、伝わってきます。北村さんの詩はいつもひかれます。とくに引用されると、またすばらしくなります。詩集もそばに置いています。そのほかも。ああ、関さんの情熱に打たれました。ここにも、ピクニックに行く人がいます。羽があるのですね。軽々として。わたしの空っぽの頭を叩いてくれました。楽しかったです。このようなページ、[rain tree」ならではですね。

Vさん 「梅を見に」は3連のメンドリを抱いた人の登場でグッと奥行きが出たように思います。<町に下りる人で・・>というフレーズで、叙景の中にうまくニンゲンが描かれて、うわ〜ウマイヤ!という感じでした。Zwarとっても面白く拝読しました。四人の方がリレーしていらっしゃる・と言ったら無理があるかな?つまり「絵暦・・」の<印>が「ニジミ、霧」の<印画紙>に。そこから、「美しい週末」の2連3連の<しるし>へ、又、(これが無理?)「場所」の終り部分<夏の声の跡>へと・・。不思議な統一感が静かにながれているのはそのせいかなあと思いました。「絵暦・・」の、なん語をひびかせる幼い人をこのように詠う関さんに、脱帽しないではいられません。

Yさん rain treeの「ことばのあやとり」わからない???桐田さんカンニングさせて〜。「かかとに羽もつ六人の勇者が」はZwarの桐田さんの表紙画と繋がってしまいました。中上哲夫さんの「わたしはオールド・ビートですよ。死ぬまで、ずっと。」が気にいりました。

Zさん 「梅を見に」の3連目は外国の風景みたいです。この女は、たっぷりした長いスカートをはいていて、刺繍したストールをかけているかもね。アンモナイトやアマゾンの化石まで出てきて、そう、桐田さんの読書メモを読む前はこういうところに明るさしか感じなかったかも知れないけど、今や怖いです。この3連目の転調、魅力的。「絵暦さくら印の日に」の春の黒土は、生の苗床なのですが、同時に死の果てでもあるわけです。自然は自然自身のとらわれ人なのでしょうね。春はいくらか物寂しい。身体が風のなかに溶け出してしまいそう。――――うむ、わが人生も残り少ないな。

*さん 「雨の木」の関さんの詩、ぼくが机の前で汗かいてるとき、高麗でピクニックが行われていた(^^)ことを思い起こさせます。ぼくもロウセキだったら買うかも。こないだ、虎印マッチをたくさん買ってきましたけど(マッチのほうが煙草がおいしい)。中上さんの挨拶詩連作3篇、軽くておもしろいですね。でもビートニクは日本でいえば、戦後詩にあたるのではないだろうか。日本のビートは日本の戦後詩だったのではなかろうか。という無粋な疑問は別にして、^^中上さんも若いなあ、という思いがしました。

§さん 関さんの「梅を見に」甘納豆や佃煮と違って、蝋石はご自分おひとりのために買われたのでしょうね。植物に対する愛着。視線が自然の景観から人間に移される際の筆の運びに、改めて感嘆しました。中上さんの「暑中お見舞い申し上げます」面白かったです。一回こっきりのアイディア。

★さん 「絵暦さくら印の日に」の終わりのほうにある「人々の額にあおぐろく顕われる」のは、刺青」だと思ったのです。「さくら印」は古代人の印であると。また、割礼のイメージも感じました。最初からとても神秘的なイメージなのです。

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いつもたくさんの詩誌・批評誌、詩集をありがとうございます。遅れがちですが必ず読んでいます。ネットのみなさまにも、どんなものが発行されているのかお知らせします。詩はいつも読者を求めています。読んでみたいという方は、遠慮なく発行者に注文してください。残部があれば喜んで送ってくれます。住所を知りたい方は関にメールをくださいね。

また、桐田真輔さん管理のあざみ書房HP個人誌・同人誌情報では、詩誌の写真や発行者、執筆者、作品紹介、購読案内などの詳しい情報があります。メールで注文できるようになっています。詩誌発行者の登録も随時受付中。ネットで詩誌を通販したいけれど、HPを持つ余裕がないという発行者の方も、ぜひのぞいてみてください。

"rain tree"もどうぞよろしく。

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