rain tree homeもくじ最新号もくじ最新号back number vol.1- もくじBack Numberふろく執筆者別もくじ詩人たちWhat's New閑月忙日最新号rain tree から世界へリンク関富士子の詩集・エッセイなど詩集など
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10月に見つけた花 「おまけ」10月に見つけた花

関富士子の閑月忙日 2001年 10月



  10月31日 下のボードレールの詩の翻訳訂正
10月26日の駿河昌樹さんのボードレール論の講義タイトルの件。富永太郎の翻訳というのは正しくは「何処でもいヽわ! 此の世の外なら!」でした。(佐々木幹郎『中原中也』)。ボードレールの散文詩「Anywhere out of the World」を引用したもの。でも、ボードレールってフランス人なのに、英語のタイトル? うん、駿河さんに聞いてみなくちゃ。佐々木幹郎が論じているのは、中原中也の未刊詩篇で「頭をボーズにしてやらう」というへんてこりんな詩。

  10月26日(金)この世のパーティ

 今夜はハウル・ザ・バーの3階で駿河昌樹さんの集まりがあるが、わたしはパソコンに向かってお仕事である。月末はいつもこんな有様。なんとかならんものか。今ごろ駿河昌樹は、ボードレールに憑依して、「コノ世の外ナラ何処ヘデモ」と絶叫しているであろう。

 そういえば今日近所にある立教大学内の図書館で調べものをしていたら、書棚に佐々木幹郎の「中原中也論」があって、何気なくぱらぱらめくったら、たまたま中也の詩にこのフレーズの引用があるのが目にとまった。英文をそのまま引用しているが、富永太郎は「この世の外なら何処にだって」と訳したらしい(あーちょっと記憶で書いています。違うかも。)

駿河昌樹とボードレールと中原中也とわたし。こういうのシンクロニシティというのかな。意味のある偶然の一致の現象が、因果律によるのではなく非因果的に同時に生ずること。この言葉を初めて知ったのは、田村奈津子さんの詩だった。

扉から扉(部分)
      田村奈津子

その日その時
風が止まるのを待って
一緒に
今度の受肉の
計画を立てる
わたしの親はわたしで
「家族は魂がながれる川にすぎない」
水の時空に
すべてを忘れて すべてを覚える
この日この時
時間なきひととき
(シンクロニシティ)

『野性のスープが煮えるまで』田村奈津子詩集花神社

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ところで昨日10月25日は、小池昌代さんの講談社エッセイ賞の受賞式とパーティがあった。わたしも受賞作のエッセイ集「屋上への誘惑」にかかわったものの一人として招待された。といっても、"rain tree"に中の3篇をただで書いてもらったので、お世話になったのはわたしのほうである。("rain tree"vol.10 小池昌代特集 目次

 わたしは、受賞パーティというものには、詩人関係も含めて数えるほどしか出たことがないが、なかなかどうして豪華なものであった。おいしいワインと料理をたっぷり食べたが、ローストビーフを食べ損ねた。同席の須永紀子さんが狂牛病を嫌がっていたので付き合ったのである。残念。

 食い気ばかりのようだが、出席者は有名人がたくさんいて、テレビや雑誌で見た顔がいると、なんだか知り合いのような気がしてうっかりあいさつをしてしまいそうになる。詩人関係はわたしと須永さんぐらいか。(もっといたのかもしれないがわたしは偉い詩人をあまり知らない。)編集者がとても多く、それから、小説家や歌人など。やはりエッセイは商売になるのである。

 さて、主役の小池昌代さんは、じつにどうどうと美しくほれぼれした。ほかに二人の受賞者がいたが、彼女に比べれば若造である。といっても小池さんももちろん若く清新なのだが、既に詩のほうで賞をとりまくっているので、こんな場所でも落ち着いている。井上ひさし氏の選評はわたしの感想とぴったりでうれしかった。何気ない日常のことに着目して、さまざまに思索を巡らし、わかりやすい言葉で表現する。着地がすばらしく、思いがけない発見がある、というようなことだった。

小池さんは受賞あいさつで、詩は言葉をぎゅっと冷凍するように書くけれども、エッセイはそれをゆるゆると解凍するようなもの、冷凍と解凍をいったりきたりして、おもしろく楽しみながら書いたと言っていた。彼女の言葉は比喩が卓抜で、よくそんなことを思いつくと感心するほど、なにかをなにかにたとえて言うことが多い。考えてみるとぴったりで、なるほどねー、と思うのである。詩は守られている分野だったけれども、エッセイはいろいろな厳しい批評があって、今は苦しみもあるということだ。ほんとうにね、ものを書いてお金をもらうということは大変なことである。これからがたいへんだが、小池さんなら、きっと大丈夫。

 パーティになると、主役は、次々にあいさつに来る人々に頭を下げ、名刺を交換し、言葉を交わす。一人一人の顔を見るときの笑顔が、ぱっと開く花のようである。二時間にわたって立ち通しである。実は彼女は来月出産を控えていて、今すぐにも生まれようという立派なおなかなのだ。少し休んだら、と椅子をすすめ、ようやく座るやいなやだれかが名刺を持って来る。すばやく立ちあがって笑顔であいさつ。疲れた顔も見せず、これを何度となく繰り返す。いやはや、受賞パーティとは受賞者にとってはたいへんなお勤めと言わざるを得ない。

 わたしは彼女が赤ちゃんを生むのがとても嬉しい。「うん、大丈夫、つわりもなかったの。逆子もお灸でなおったの」という大きな目が深深と潤んでいて、実に美しくて、妊婦の色気を感じてしまった。そのとき言い損ねたが、小池さんに是非教えてあげたいことがある。出産のあと母乳を吸わせ始めると、広がっていた子宮が急速に収縮を始める。そのしびれが痛いという人もいるが、わたしはすごく気持ちがよかった。産後のベッドの1週間、波のように襲ってくるエクスタシー。どうだ。わたしも一生に二度しか味わったことがないが、これはすごいよ。ぜひ小池さんに味わわせたい。

  10月17日(水)更新のお知らせ
Stretch Out Like the World 奥野雅子
に、岡野良恵さんの翻訳を追加しました。

21号の奥野雅子特集は今日で終わります。奥野さん、二か月間ありがとうございました。あなたのやさしい心遣いにいつも励まされました。メールでいただいた奥野さんの言葉、「書く」という最低限のことをだいじにしながら、書いていきたいという気持ち、共感します。


 10月14日(日) 訃報 


詩人の田村奈津子さんが亡くなられました。
10月11日午前4時46分死去 享年40歳
乳がんが再発し、今年夏ごろから入院、ここ2・3日で急激に体調が悪化されたそうです。
とてもとても残念です。謹んでご冥福をお祈りします。

お通夜 10月15日(月)午後6時
告別式 10月16日(火)午前10時
場所 堀の内斎場 東京都杉並区梅里1−2−27
電話 03−3311−2324
地下鉄丸の内線新高円寺下車徒歩5分
新宿方面から行く場合。
改札口(1つ)を出て大通りを右へ(新宿方面)進む。
2つ目の信号わきに都営バス車庫在り
右へ曲がって突き当たり。


 10月11日(木) 田村奈津子さん・・・ 
 田村奈津子さんがご病気で亡くなられた。今藤富保男さんから連絡をいただいたばかり。ショックで頭ががんがんしている。まだ若い。1961年生まれである。すばらしい詩を書かれた有望な詩人だった。あざみ書房から小さなシンプルな詩集をたくさん出している。(あざみ書房HPで一部が読めます。)どれもまぶしいように新鮮な、新しい世界観を示唆するような、また一種独特な語彙の詰まった、魅力的な作品ばかりだ。
 藤富さんを囲む詩の勉強会COLOURの会のメンバーで10年来ごいっしょした。また、3年前の"rain tree"vol.4 1998年2月のメインゲストでもある。そのとき、名作「風の治療師」を書いていただいたのだ。今思えば、このころすでに乳がんの手術を受けていたらしいのに、わたしはまったく知らなかった。ちょっと腕がしびれるんです、と聞いただけで、どこか体調がお悪いのかなと思っただけだった。
 その後お元気で詩集も出されて、評判がよかったのに、このごろあまり詩を読ませてもらっていないなあと思っていた。最近会を休みがちで、5月に会ったのが最後か。8月に入院なさったと聞いたのが9月22日の会のときである。気になって何度かお母様に電話をしたがお留守で連絡が取れなかった。病院に詰めていらしたのだろうか。会ったら手渡そうと思っていた"rain tree"をご自宅に送って、気慰みのお見舞い代わりのつもりでいた。それから20日も経たないうちの死の知らせである。なんということだろう。
 もっと詩を読ませてほしかった。何より、田村さん、さぞ無念でしょう。もっともっと生きたかったでしょうね。

いつも優しく控えめだった田村さんの、生命力みなぎる詩を読もう。



新しい月、新しい鉄、  july 28 1995

             田村奈津子



七月二十一日
月と冥王星が引きあって
天空に暗号が刻まれた
からだの双六を逆戻り
自分を捜そうとするから
耳から鬼が入ってきた
私は鉄の生まれだ
うたれてうたれて
魂の形を作る
タタラの土地で
蟹座に生まれ
夏の子供と名付けられた
私のなかの炎も
サナギに似ているだろうか

新しい月が巡るたびに
記憶がはがれて耳が裸になっていく
たたかれてたたかれて
頑固な夏が育っていく
私は鉄の生まれだ
哲学の男と名付けられた父親は
乙女座に生まれ
タタラの土地へ
移り住んだ
彼の魂が
サナギから蝶になり
彼岸に飛び立ってから
七回目の神在り月が巡ってくる
スサノオの風を呼び込み
遮光器土偶のおんなのように
目を閉じて
耳を開いて
闇と交わりたい
私は鉄の生まれだ
からだの炉で炭を焼き続けるのだ


詩集『虹を飲む日』より 1996年刊 あざみ書房


 10月10日(水)更新のお知らせ
部屋に置いた植木鉢のどこかからウスバカゲロウが誕生している。011010<詩>に、奥野雅子
A Room with the Tide Reaches(横組のみ)
(「海水のとどく部屋」/英訳:南川優子)

をアップしました。

冷たい雨が降っている。外で仕事をする人はびしょぬれだね。かぜなどひきませんように。少年に冬用の布団を送る。今日は給料日で5000円を送金したとメールが入った。親に借金したのを毎月少しずつ返済するというわけ。いつまで続くかな。新聞配達は朝・夕刊で手取り12万円だそうだが、アパート代に6万がなくなってしまう。まったく若くなくちゃあできないことである。




  10月3日(水)更新のお知らせ

2001年10月2日の彼女と彼<詩>に、奥野雅子、学生街の雨 3 縦組み縦スクロール表示 をアップしました。

 アメリカのアフガニスタンへの攻撃に反対です。これは報復行為です。アメリカの軍事行動を、日本が支援することにも反対です。
 日本は、60年前にアメリカを空爆して数千人を殺し、報復に原爆を落とされて数十万人を殺された国です。同じことを再び起こしてはなりません。


 10月1日(月) 小池昌代さんのエッセイ集
 小池昌代さんのエッセイ集『屋上への誘惑』が講談社エッセイ賞を受賞した。小池さん、おめでとうございます。皆様この機会に手にとって読んでくださいね。出たばかりの詩集『夜明け前十分』は萩原朔太郎賞の候補でしたが、惜しくも逃したようです。候補になるだけでもすごいね。受賞者は町田康さん。小池さんは今、日経新聞の夕刊にエッセイを連載中で、こちらも愛読しています。

 賞の話題というと、去年出した拙詩集『ピクニック』は何の候補にもならなかったし、公にはほとんど話題に登らなかったのがなんだか寂しいが、まあいつものことだし、そんなものだろうとあきらめが早い。前に詩集を出したときはもっと口惜しい気持ちになったような気がするのだが、年のせいか。執着がなくなったらおしまいよ―、とは先輩詩人の言である。

 それはともかく、関さん、このごろ詩の傾向が変わりましたねと何人かの方に言われている。いつだったかは、このごろ書いている詩はあれは一体なんですか、ときつい口調で言われたこともあってびっくりした。そうかな、そんなにひどいかなーと思いつつ、ひどくてもしょーがないや、とちょっと居直っている。

 詩誌の感想でも、新しい方向を見守りたいと言う方もいるが、『ピクニック』のころのほうが好きだったとおっしゃる方もいる。
 『ピクニック』はわたしにとってたいせつな、とくべつな詩集だ。でも、いつまでもピクニックをしてはいられない。うん、ピクニックは終わったのだ、詩集を出して終わらせた。実際には何年も前に終わっていたのだが、ピクニックの詩を書いている最中は、わたしの心のなかでは続いていた。わずかばかりのだいじな体験をなんども繰り返し詩に書くことでより深く体験した。もう充分だろう。

 いずれにしても詩を書くほうは、今書けるものをただひたすら書くしかないのだ。感想や批評はありがたくいただいておいて、書くときの気分としては、出来がいいだの悪いだの、それがどうした、くそくらえ、というわけである。


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