サストロダルソノ家の人々
     ―ジャワ人家族三代の物語―
ウマル・カヤム 著 (インドネシア)
後藤乾一/姫本由美子/工藤尚子 訳

( アジア文学館シリーズ )
段々社(発行) 星雲社(発売)
本体 2,900円 四六判 496頁
発行 2013年2月
ISBN 978-4-434-17216-8

定価(本体2,900円+税)
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『サストロダルソノ家の人々 ―ジャワ人家族三代の物語― 』について

 本書は、現代インドネシアを代表する作家であり、かつ同国の名だたる大学の文学・社会学教授でもあったウマル・カヤム(1932〜2002)が、自分たちインドネシア人とは何者かを探索し、提示するために1992年に執筆した長編小説である。自国民像を描くにあたっては、祖父母や両親の姿、オランダ植民地時代末期の1932年に生を受けた自分の幼少年時から執筆時までの体験などを下敷きとした。したがって、オランダ植民地時代から日本占領期を経て、スカルノ体制崩壊の原因となった1965年の9・30事件直後までが小説の時代背景となっている。

 さらに、父親は植民地時代に政治・経済の中心であったジャワ島において教師を務め、自身もジャワ島にある大学の教授となったことから分かるように、そのインドネシア人像は、植民地時代に、役人、教員、軍人階層などのホワイト・カラー職に就いていたジャワの上流階級の末端に位置するプリヤイと呼ばれる人たちとその末裔がモデルとなっている。ジャワのプリヤイが何を人生の指針とし、どのような人生を送ってきたのかが、サストロダルソノ家の三代にわたる家族のメンバーそれぞれの語りを通して、世代間にみられる変化を織り交ぜながら巧みに描かれている。本書は発表と同時にインドネシアで大きな反響を呼び、2012年秋の時点で12刷を数えるロング・セラーとなっている。

 また本書は、インドネシア人像の描写にすぐれているだけでなく、人間であれば私たち日本人も含めて人類共通の人生上の普遍的テーマについても考えさせられる小説である。この点も後押しとなってか、国際的な反響も大きく、ドイツ語版の刊行に続き、日本での本書の刊行とほぼ時を同じくして英語版も刊行された。

 そしてインドネシア内外で多くの読者を得ているもう一つの理由として、歴史上あるいは登場人物の人生の節目に次々と起こる事件を軸に物語が息つく暇もなく展開し、まるでサストロダルソノ家の一員となった気持ちで読者が一気に読み終えることのできる、読み物としての面白さも備えていることを指摘したい。

 さて、小説の主な舞台は、著者ウマル・カヤムの生地であるジャワ文化の中心にほど近い町ンガウィをモデルとした想像上の町ワナガリ。そこは、農民である父親に村の学校に通わせてもらった主人公のサストロダルソノが、副郡長の後ろ盾を得て教員としてプリヤイの世界に足を踏み入れ、赴任地として移り住んだ町である。その地においてサストロダルソノは一家の長として家庭を築き、一生を過ごすことになる。そしてこのワナガリにある彼の家は、その大家族――プリヤイの家庭に生まれ育った伴侶、父親より高い教育を受けさせてもらうことになる三人の子供たちと大勢の孫たち――にとって、家族の絆を確かめ深め合う大切な心のふるさととなる。大家族に、あるいはその一員である誰かに問題が起こると、同家に家族全員が集まり、ジャワの伝統文化の教えを手掛かりに協力し合って難題に立ち向かっていくのである。その大家族の絆を尊び、それを拠り所として社会に奉仕することが、ジャワのプリヤイにとっての精神的支柱であることが描かれている。

 また、この大家族の身の上に起こる歴史的事柄を通して、読者はインドネシア現代史と、その中で彼らがどのように思考し行動したのかを物語の展開を通して知ることとなる。例えば、植民地時代の20世紀初頭、小学校の教員になりたてのサストロダルソノは、同校の校長が民族主義運動の書物を読んだり集会に参加したりしたため左遷されたことに心を痛めながらも、家族を養っていくために、民族主義運動からは身を遠ざける。その一方、農民を中心とした小さな民(ウォン・チリッ)の力となることこそがプリヤイの使命であると考え、農民に読み書きを教える学校を小さな農村に作るが、これも植民地政府の圧力が要因となって閉校に追い込まれる。植民地時代のプリヤイの生き様を、生身の人間が苦悩して体験を重ねていく姿を通して読者は知ることができる。その後も、日本による占領時代、独立戦争期、そして9・30事件とめまぐるしく変遷する激動の時代をいかにサストロダルソノ家の人々が生き抜いていったかが、単なる歴史書からは見えてこない心の内面もあわせて描き出されていて、ジャワの人々が時代とどう向き合ってきたのかを深く理解することができる。

 しかも本書は、単にインドネシア現代史に沿って同国民像を提示しているだけでなく、プリヤイが大切とすべき精神とは、現世の富を尊ぶことではなく、小さな民に対して奉仕することにこそあると説き、執筆当時に権力の横暴をふるっていたスハルト独裁体制を批判することも忘れなかった。

 すでに触れたが、結婚相手を得る方法や夫婦関係のあり方をめぐる結婚観、そして子育ての方針など、地球上の人類すべてに共通する関心事についても、三世代の世代間の考え方の違いが明らかにされながら描かれている。それらの描写からは、思慮深く生き生きとした女性像を垣間見ることもできる。

 本書は、主人公サストロダルソノ家の人々の人生の軌跡を通して、ジャワの社会・文化や歴史を知ることができるだけでなく、人間として誰でもが思い悩む人生上の普遍的テーマについても考えるヒントを与えてくれるインドネシア文学を代表する作品である。

2013年2月  
姫本由美子(トヨタ財団チーフ・プログラム・オフィサー)


【 著者紹介 】

ウマル・カヤム (Umar Kayam, 1932〜2002)

インドネシア・ジャワ島生まれ。両親が教師の家庭に育つ。 国立ガジャマダ大学で文学を専攻するが、演劇活動にも熱中。 教師生活を経て米国に留学。コーネル大学で博士号取得。 1965年9月30日事件で揺れる中帰国し、教育文化省ラジオ ・TV・映画総局長に就くが、報道のあり方を巡り3年後に辞任。その後、社会科学訓練センター所長、母校の文学・社会学 教授、文化研究所長などを歴任すると共に、早くから作家・評 論家としても活躍。 邦訳作品に「バウク―ある革命家の妻」(『インドネシア短編小 説集』勁草書房)『インドネシア:伝統文化の旅』(穂高書店)他。 1992年刊行の本書は現在12刷。学術・芸術界二つに軸足をおく国際派の知識人としても知られた。
クンサン・チョデン