【訳者からのメッセージ】
『サヤン、シンガポール― アルフィアン短編集 ―』について
(アルフィアン・サアット/幸節みゆき 訳)
シンガポールは富裕層が多いと聞くと、彼の地で公演した歌舞伎スターがある週刊誌上で言っていた。背後にはこれみよがしの偉容/異様のマリーナ・ベイ・サンズ・ホテルがあった。成功と繁栄の都。なるほど、それがこの国の一般的イメージだろう。だがそれは、GDP、人口増加などといった数字的情報や観光客の目につきやすい街の賑わいぶりなどが喚起する漠然とした全体的イメージである。そこからその地に生きるシンガポーリアンたち一人一人の姿は想像できない。まして国家的成功の大いなる物語において、端役の端役でしかない人たちの顔は決して浮かんでこない。
アルフィアン・サアットのこの短編集は、しかし、あからさまな格差社会に生きるこうした普通の人々の存在を読者に知らしめてくれる。自身マレー系シンガポーリアンとして民族的マイノリティに属する著者が描くのは、何らかの形で―経済的に、教育的に、社会的に、性的志向においてなど―成功物語の周縁にいる人間たちである。公営高層アパートで起きた殺人事件から人と人との繋がりに思いを巡らせる老女(「廊下」)、離婚してゲイとしてカミングアウトする決心をした中年男(「ディスコ」)、未来を約束された華人家庭教師とは対照的な落ちこぼれのマレー少年(「傘」)、インド系の女友達のために貯めたへそくりを夫に掠めとられてしまうマレー系の主婦(「誕生日」)など、どの物語も切ない。こうした人たちが生きる成長戦略ヴィジョンを追及する社会のありようを、アルフィアンは詩や戯曲において直截的に提示し告発するが、これらの短編においてはそのような大上段に構えた声高な語り口は取らない。彼は変幻自在に様々な登場人物となって語ることにより、シンガポール社会でどこか居心地の悪さを感じている人間たちを、彼らの内側から描き出しているのだ。シンガポールへの愛着ゆえに成長・成功のヴィジョンに替わるものを模索する過程での苦い想い、満たされぬ想いが、こうした報われぬ人々への切ない共感(サヤン)となって、シンガポールの内でシンガポールの外に存在することを可能にするアルフィアンの想像力を、創作へと突き動かしているに違いない。
アルフィアンのこれら12の短編を通して、日本の読者にとってシンガポールのイメージがいささかでも顔のあるものとなり、多様性の中に生きることについての何がしかのヒントを与えてくれるならば幸いである。
2015年 新春
幸節みゆき(大阪学院大学国際学部教授)