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番外編2 : 貧しい食卓
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人は、私達夫婦がとんでもなく貧しい食生活を送っているに違いないと考えがちである。
実のところ、私達の食事はとんでもなく貧しい。
豆入りの玄米にみそ汁、煮物か漬物。朝食にはタマゴがつくものの、肉などは、まず登場しない。スーパーの肉のコーナーは素通りだ(もっとも、塩・油などのコーナー以外はほとんど素通りなのだが)。
つまり、「見た目」と金額的に言って貧しい。
しかし、負けおしみのようだが、私達の満足度はかなり高い。人生において、かつてないほどだ。
私達の「満足と感じるレベル」は、埼玉時代よりだいぶ引き下げられているようだ。
ともかく、食べるものがあること自体かなり嬉しい。
たまにトウフを使った料理などをもらうと、「おお、トウフだぁ!」と喜んでしまうし、カニ缶をもらった時など、カニの持つ圧倒的なまでのうま味に翻弄され、言葉を失うほどだった。こういう喜びが理解できなくなるほどに、「満足レベル」を引き上げてしまわないようにしたいものだ(このように貧しさを心のありようでカバーしているかのような私達を「ギマン的」と人は思うだろうか。ともあれ、この「満足レベル引き下げ法」は、いろいろな事に応用できるのでお試しあれ。よくはわからないが、地球環境を守る生活へのヒントも含まれているような気がする)。
それに加えて、私達の食材には「生命力・安全性」がある。
自分が作ったコメ・野菜、健康なトリとそのタマゴ、沢で釣ったイワナ。この村の山菜・キノコも天下一品だ。こういった自然の「気」が満ちたものを食べられる喜びは何ものにも代え難い。
とにかく、どんなごちそうを食べるにしろ、食べ物への素直なありがたみが湧いてこない時には、雪をどんどん腹につめこんでいくのと大差ない。
山登りの時、山頂で食べるただの塩むすびがどんなにうまいことか。
私達はいつも登山者のような心持ちなのかも知れない。
(2001.1 紙版「んだすか。」から転載)
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