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番外編6 : 倹約妻との日々
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秋田に来て、あおいとの生活が始まり、僕はまずある事実に驚かされることになった。――あおいが並はずれた「ケチ女」であるということだった。
僕が二つ下の部落にある郵便局へ行くのに車を使おうとすると、「あそこなら歩いて行ける」と言う。片道3キロ、往復で6キロの坂道だ。あおいにとっては半径5キロくらいまでは完全に「徒歩」の世界なのだ。半径10キロほどになると自転車を使う(もっとも、あおいの妹さんは大宮から都内まで自転車で通うという。たいへんな血筋だ)。
埼玉に帰る時も決して新幹線など使わない。鈍行で一日がかりで行くか(米沢で2時間以上の待ち合わせがあるが気にも留めない)、夜行バスだ。秋田テレビの取材でテレビ局が交通費をもってくれた時が、唯一の新幹線帰省だった。
「ストーブの灯油の節約」は寒がりの僕にとってはかなりこたえた。寒さに強いあおいは、すぐに「もう充分あたたまったね。ストーブ消すよ」とくる。室内はたちまち1〜2℃にまで下がる。寒さをうったえると、「そういう時はこうするとあたたかくなるよ」と言って、あおむけになり腹筋を始める。さすがワンゲル部仕込みだ。
食べものは調味料しか買わないことは昨年も書いたが、マヨネーズ・ソースなどは、しばらくは買ってもらえなかった。「うちのタマゴや野菜でいずれ作れる」と言うのだ。
冬囲いで家の中が暗くなると、二階の陽の当たる部屋を、太陽と共に次々と移動しながら暮らす(我が家の電気代は月1300円くらい)。冬場は「家の中がせっかく冷えているのに」と冷蔵庫も切る。更に今年は「薪ストーブで調理できるから」と、農協に頼んでガスまで止めてしまった。
本の虫のあおいだが、秋田に来てからは本は一冊も買わず、もっぱら知人が送ってきてくれたものや借りた本を読んでいる。衣類も、もらいものでまかなっている。
シャンプーがなければ酢で髪を洗い、封筒がなければ広告紙を切り貼りして作るというあおい。
「もったいない」という言葉を現代によみがえらせたあおい。
「テケテケ日記」を「ケチケチ日記」と読み違えた人が出たのもいたしかたないことだ。
当初、その金銭感覚の違いにとまどった僕であったが、今思えば、彼女の倹約精神がなければ、この2年間の難局をのり越えることは不可能だったと思う。
あおいにしても、まだ収入のおぼつかない生活を覚悟した上での頑張りというものだったかも知れない。
今では僕もかなりあおいに感化されてきたようだ。自然とムダを避け、その分体を動かすようになってきた。
――金や物に依存しがちだった脆弱な心を、さり気なく、無邪気なやり方で鍛え直してくれた妻に、こっそり感謝さえしている。
(2002.1 紙版「んだすか。」に掲載)
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