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その5 : さまざまなモチ
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「誕生日に何が食べたい?」と聞かれ、僕は「モチ」と答えた。たまには玄米以外のものも食べたかったし、肉類はもはや要らない体になりつつあったし、何よりも、モチが好物だったのだ。
安い、いいかげんな切りモチを買ってきて、大根のみの雑煮を作った。12月4日という変な時期に二人で静かに食べるモチはうまかった。寒がりの僕に、あおいは部屋ではける赤いテントシューズをプレゼントしてくれた。
僕のお祝いの日なのに、あおいは僕よりもたくさんモチをよそって、「やっぱりモチだねえ」などと言いながら、間髪をおかず食べ続けていた。
この部落では、大みそかと元旦に神社に丸いモチを持ちより、天井に投げ上げて拾いあうという行事がある。
お隣が用意してくれた、きれいなモチを見て「投げないで、今食ってしまいたい」と思うが、涙をのんでフロシキに包む。
狭い神社にひしめきあう村人。子供も多い。そもそも子供たちに拾わせるのがメインのようだ。
しかし、乱舞するモチを見ているうちに、貧乏人魂が首をもたげ、薄暗いのをいいことに、子供を押しのけ、モチを拾いまくってはジャンパーのポケットにつめ込んだ。いっしょに投げられる小銭も夢中で拾った。畳のすき間に入った50円玉もほじくり出した。
そしてモチ投げの合間には平静をよそおって、酒をチビリとやり「いやあ、いいですなあ、子供は無邪気で」といった顔をした。
僕が大量のモチと小銭(現金収入)を持って帰ると、あおいは狂喜した。そして正月は連日モチが食べられた。
村のスキー場主催の雪祭りのプログラムに「モチまき」という文字を発見した私たち夫婦は、すかさずビニール袋を持って出かけて行った。
デッキから一つずつ袋に入った色とりどりのモチが節分のようにまかれる。僕は神社のモチまきできたえられたという自負があったが、案外と子供やおばあさんに先に拾われてしまう。
特に、おばあさんはモチが来ると非常に機敏な動きで拾っていく。
意外だった。腰があらかじめ曲がっているのも、落ちたモチに対して有効なようだった。
モチをまいている人の中に知り合いのロクさんを発見し、「こっちによろしく!」と念力を送ったが、あまり効果はなかった。
それでも二人で30個以上拾い、かなりの食糧を手に入れることができた。
その他にも、近所の方に、お節句だといってはアンコの入ったモチをいただいたり、孫が初めて歩いたお祝いといってはキナコつきのつきたてのモチをいただいたりと、ずいぶんいい思いをした。モチつきの盛んな地域で良かったと思う。
あおいが「腹が痛い」と言って夕食をパスしたにもかかわらず、かげで大きなモチを焼いていたのを発見した時、「二人ともかなりのモチ好きだなあ」と再確認したものだった。
(2000.7.22)
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