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その24 : おかゆ生活を偲ぶ
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9月ともなればすでに肌寒い東成瀬村。いただきもののソウメンも、7月末になってもあおいが、「まだソウメンの気温に達していない」などと言って温存しているうちに、もう寒くて食べる気がしなくなってしまった。
冷夏ぎみだった。少し暑い日でも、うどんかソバで、確かに「ソウメンの気温」ではなかった。
メン類をゆでると、あおいはなぜか「ナスいため」を必ず添えたがる。確かにこの油っこさとほのかな甘味は、さっぱりしたメンをうまく補完する。
「昼は、ソウ(メン)?」「イナニー(稲庭うどん)。」「ナスも?」「そえる。」という短いやりとりが毎日続けられた。
しかし乾めんがこんなに豊富なのも、みんなから様々な機会にもらうからで、買ったわけではない。夏は3食玄米ではちょっと重いので、とてもありがたい。稲庭うどんのような高価なものを、湧き水にさらし、ナスいためとシソ、ミョウガなどで腹一杯食べるこのぜいたく。
そう言えば、乾めんに限らず、近頃はもらいもので食卓がずいぶん華やかになっているなと思う。
魚介類のビン詰めや味のりがあったりする。3品以上のおかずがあると、どう食事を組みたてていけばいいかととまどう僕達。更に、近所から魚やキノコ、山菜などや、ロクさんから宴会の余りものをいただくことも多く、秋田に来た当初には考えられないような食材に囲まれていることに気付く。
ともあれ耐久生活でとことんイヤしくなってしまった二人のこと、日頃、食べられないものほど、ハアハアあせるように腹に詰め込んでしまう。
しかし幸せにも慣れすぎは禁物で、何か変わったおかずがないと物足りないような気がしてくる時があり、自分のダラクを感じたりもする。
肌寒くなると、こちらに来たての秋が思い出される。
豆も入っていない玄米がゆに、塩か梅干。カボチャをもらえばカボチャがゆ。タマゴもろくに産まなかったのでおかずはなし。しかし、トリ小屋作りと冬支度で疲れた体には、それが最高にうまく感じられた。衣類ケースをおぜんにして、電灯の下、2人で向き合い夢中で食べた。「空前のうまさだ!」などと僕はしばしば言ってたっけ。そして2人とも元気いっぱいだった。
時々、玄米がゆだけの日々も復活させてみようかな。戦時中の苦労をしのんですいとんを食べるみたいに。
(2002.9.21)
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